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09、






 お爺さんは落ち着き払っていたのに、その孫はとても元気な女の子だった。二学期が始まって早々、樫立晴菜は僕の席に飛ぶようにやって来て、嬉しそうに自己紹介してくれた。

「初めましてだよね! 私、晴菜って言うの!」

「よろしく……」

 小声で答えて、首をすくめたっけな。稜太以外のクラスメートと仲良くする気なんて今さら起こらなくて、誰かと会話をする時は大抵、こんな調子だった。

 それでも晴菜は少しも気分を害していないみたいに、笑った。

「うちのおじいちゃんがお世話になってます! お母さんにもよろしくね」

「……僕、こそ」

「あ、分かってるよー。私が通報したことでしょ? 誰かが暴力を振るわれてたら助けを求めるのなんて、市民として当然だもんねっ」

 何を言っても嬉しそうになる。諦めて、それからも少しばかり会話を続けた。彼女の笑みはいつまで経っても眩しくて、照らされる側の僕は気後れする一方だった。

 晴菜は正義感と思いやりの(かたまり)のような子だった。頼んでもいないのに、僕が中学を休んでいた間のノートを持ってきたり、暇ができればしきりに話しかけたがったり。放課後も帰途につこうとする僕を何度も引き留めては、一緒に遊ぼうってしきりに誘いをかけてきたっけな。クラスの他の女子と話すよりも、僕の前に立ちたがっているように見えた……なんていうのは考えすぎだろうか。それほど晴菜は僕との距離を縮めたがっているように見えたんだ。


 正直、困っていた。

 稜太のほかに仲良くしてくれようとする人なんていたことがないし、これからできる可能性さえないのだと本気で思っていた。そんなにフレンドリーに振る舞われても、僕の側がどうすればいいのか見当もつかない。

 僕は晴菜に何を求められているんだろう。

 素直に話に付き合えばいいのか?

 遊んであげればいいのか?

 どうしようもなく困って、ついに一度、稜太に相談を持ちかけた。他の友達との付き合いもある稜太なら、何かしらアドバイスをもらえると思って。

「したいように振る舞えばいいんだよ。難しいことじゃないだろ」

 稜太は呆れたように笑って、僕の額をつついたっけ。「お前はあいつとどうなりたいんだ?」

「何、って……」

 うつむいて、考えた。今まで僕の周りにあった人間関係といえば、家族と、親友と、……あとは敵ばかりだったもの。何を目指せばいいのか、役割の名前さえ思いつかない。

 迷ってから、答えた。

「あの子が何を思って僕に声をかけたがっているのか、知りたい……かな」

 稜太は目を丸くした。

 かと思うと、「知りたいってお前!」と笑い始めた。なんだよ。何がそんなに可笑しいんだ。

「好感を持たれてるからに決まってんだろ」

「でも、二学期に入ってからまだ一週間程度しか経ってないのに、そんなこと」

「あいつはお前が学校に復帰する前から、ナオのことを話題にしたがってたぞ」

 僕は言い返す言葉をすっかり失ってしまった。稜太は目を細めて、口の端を持ち上げた。

「ま、受け入れるかどうかはナオの自由だろうけどさ。俺は好かれてるうちを楽しんだ方がいいと思うよ。……好かれなくなるのは、一瞬だからな」


 僕の好きなようにしたらいい。

 稜太にも、それから家で相談を持ちかけた母さんにも、同じことを繰り返された。

 そんなことを言われたってな……。僕はただ、学校で稜太と仲良くして、家で母さんの役に立てれば、それ以上のことなんて何も望んでいなかったのに。今の日々に十分すぎるほど満足していたっていうのに。

 けれど確かに、晴菜からの気持ちを感じる場面は決してないわけではなかった。それに晴菜には、僕らを救ってくれた恩がある。

 それなら、僕が好意に応えることが、晴菜への恩を返すことになるのか?

 ……いくら考えても、ダメだった。




     ◆




 悶々としながら日々は流れて、紅葉の時期を少し過ぎたくらいの頃だっただろうか。

 さすがの八丈島でも気温の低下を感じるようになってきて、長袖を羽織(はお)る人の姿が当たり前になってきた、その日。

「ねね、三根くん」

 昼休みに晴菜に声をかけられた。「今度、創立記念日で学校が休みになるじゃない。遊びに行こうよ」

 僕はとっさに視線を流す先を探してしまった。部活にでも行っているのか、この肝心な時に稜太の姿が見当たらなかった。

「どこに?」

 仕方なく、尋ねた。晴菜は地図を広げた。

「島の反対側の方に温泉街があるでしょ? 私、あそこの足湯とか展望台、行ってみたかったの!」

 三原山を挟んだ島の向こう、中之郷や末吉と呼ばれる地区には、三原山の地熱を熱源に持つ温泉施設がいくつも点在している。むかし、僕も母さんに連れられて行ったことがあった。他にも断崖からの絶景を見渡せる名古の展望台、石積ヶ鼻の八丈島灯台なんかが立っていて、僕らの住む地区から町営バスで向かうことができる。

 でも、その相手は、

「僕じゃなきゃ駄目なの?」

 聞いてから、とてつもなく残酷な質問をしてしまったと思ったけれど、晴菜は気を悪くした様子もなく頷いた。

「三根くんと行きたいから誘ったんだよ」

「だけど……」

「むしろ二人じゃ、駄目?」

 無遠慮な声量でしゃべるものだから、周りに会話の内容が漏れて仕方ない。

 もとより朗らかな性格の晴菜は、稜太のようにクラスの人気者でもあった。ああ、クラスメートたちが僕を見ている。無言の圧を感じる。……結局、僕は最後まで、きっぱりと断ることができなかった。

 あっという間に話の主導権を握られ、当日は朝九時に集合と決まった。

「楽しみにしてるね!」

 晴菜は嬉しそうだった。これでよかったんだ、これで──。

 自分を落ち着かせることに精一杯で、僕には楽しみだと思えなかった。




 創立記念日は平日だから、母さんはお仕事。朝早く出発する母さんを見送って、しばらく時間を潰してから、僕も待ち合わせの場所に向かった。

 八丈町営バスの停留所の前で、晴菜は待っていた。やって来た白い塗装のバスに乗り込んで、一路、島の向こう側を目指した。

──『それってデートじゃないの』

 晴菜とのことを話すと、母さんは愉快そうに笑っていたな。『たまにはいいじゃない。楽しんでおいで』

 他人事だと思って……。でも、母さんの気分を悪くしたくもなかったから、うんと首を縦には振ってきた。つい最近、ようやく債務整理が片付いて、母さんを悩ましてきた肩の荷がすべて下りたところだった。

「お母さん、元気?」

 バスの中で晴菜に尋ねられた。そうか、この人も僕の母さんのことを知ってるんだったな──。そう思って、答えた。

「元気だよ」

「そっか。……よかった」

 それっきり晴菜は黙ってしまう。

 バスの中での会話はそのくらいだった。いつもの学校でのやかましさが嘘のように、その時の晴菜は大人しかった。僕の方が不自然さを覚えるほどに。

 どうしたんだろう?

 ちょっぴり不安を感じ始めてきた頃になって、やっとバスは温泉街のある地区へと到着した。


 結果から言うと、晴菜が寡黙だったのはバスの中だけだった。足湯では水を跳ねながらはしゃいでいたし、裏見ヶ滝の散策路では虫に遭遇するたびに元気に悲鳴を上げていたし、途中で入ったお店で山菜の天ぷらを出された時は、夢中になって写真を撮って頬張っていた。

 一緒に楽しむというより、もはや晴菜の保護者にでもなったような気分で、僕はその背中を少し離れたところから眺めていることが多かった。……足湯はさすがに隣に入ったけれど、お湯をかけられたらたまらないから間隔はしっかり確保して。

 それでも、晴菜は楽しそうだった。

 もとは本州の人間だもの。こんな僕でも晴菜の時間を楽しいものにできたなら、それが一番だ。それで十分だ。

 僕はそうやって自分の行いを肯定することにしていた。





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