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96 ー戻るー

 朱色の円柱と続く白壁。草模様の格子が装飾のようにはめられている円形の窓が、間隔をあけて並んでいる。

 こちらでよく見る形式の廊下を、理音を担いだままフォーエンは歩んだ。


 どこからか漂う花の香りは炊かれた香の匂いで、円柱の足元にある小さな穴に隠された香炉で炊かれていた。

 いつもは仄かに香るのに、今日は一段と強い香りに感じるのは気のせいではないだろう。

 槍を持った兵が守る扉をくぐり廊下を通ると、その香りで鉄の錆びた匂いが薄れた。

 次の門に差し掛かる時、フォーエンは足を止めた。前にいた兵士がその重厚な扉をゆっくりと開ける。

 大仰な音は、その扉の重みを知らせた。

 柱と同じく、朱色に塗られた鉄の門。その先は回廊となり、幾つかに分岐している。

 いつも通る道以外、どこに辿り着くかは知らない。けれど同じ道を通れば、知っている館へと入ることができる。

 フォーエンはゆっくりと理音を肩から下ろすと、するりと指先で頰を撫でた。

 頰が赤く染まったかもしれないが、つねられたせいで既に赤いので、フォーエンは何も気づかないはずだ。


 会いたかった人が目の前にいる。突然現れて敵を一瞬で倒したなんて、どこのヒーローだろうか。

 しかし、この国の皇帝様である。その皇帝様が手を伸ばさずとも触れられるところにいて、むしろ皇帝様から頰に触れるのだ。

 それが当たり前だった。なのに、ずっと会うことすら叶わなかった。

 だからだろうか、何も考えずに体が動いていた。

 巻きついた腰は鎧越しで、いつもよりずっと太身の腰回りだった。柔らかみのない金属に顔を埋めたかったが、飛びつくように抱きしめたので、額をぶつけた。

 間抜けな顔で跳ね返ると、フォーエンは一瞬真顔になったが、その後完全に笑いを堪えていた。

 悪かったな、雰囲気を大事にできないキャラで。


 フォーエンは笑いを噛み殺しながら、跳ね返った理音の背にそっと腕を回した。跳ね返らない程度にゆるりと抱きしめて、理音の頭に頰を寄せた。

 微かに鼻腔につく、錆びた匂い。

 フォーエンが皇帝であるために、行わねばならない戦い。

 その身を投じて、行う戦いだ。

 背中に回った手の温度が、彼が生きている証拠だった。その温もりに、泣きそうになる。


 生きて、会えた。もう二度と会えないと思っていたのに。

 こちらに二度来ることになっても、会えるような場所に到着しなかった。

 言葉がわかっても、時代すら違うと思っていた。

 誰かのツテがなければ、この城に入ることすら許されない。そこにいると知っていても、会うことはあり得ない身分差だ。

 本来なら姿を見ることすらできない、遠い存在。


 けれど、会えた。

 それが、何よりも嬉しかった。


 どれくらい抱きしめられていただろうか。

 段々と冷静さを取り戻して、理音はそろりと顔を上げた。

 仰いだ先、接近しすぎたフォーエンのまつ毛の数すら数えられそうな近さで、美しさに恐れおののきそうになる。

 戦いに身を投じる勇気と腕を持ちながら、女神のように美しい。まるで人を惑わす妖女のようで、しかし実際は、鬼神のごとく信念を持ち断罪する力を持つ者である。

 会えていなかった分感じる、引力のように惹きつけられる、その存在。


「怪我はないな」

 フォーエンは微かに目を細めて問うた。確信に満ちた声だったが、念のため聞いたのだろう。理音は無言で頷く。

 自分の体温が高くなる気がする。気のせいではないだろう。触れられた場所と頰が熱を持った。

 もう一度確かめるように、フォーエンは顔の輪郭を撫で、顎に触れたまま、そこで停止した。

 言葉を発さず、何を言うこともない。ただフォーエンは目を細めるだけ。言葉もないので、その視線から逃れたくなる。

 紺色の、夜の闇のように美しい、吸い込まれそうになる深い色。

 吸い寄せられて、捕らえられたら、離れることなんてできない。

 まるでブラックホールだ。なんて、天文部っぽいことが頭によぎって、それを押しのける形で視線を避けた。


「フォーエンは!?怪我ない!?」

 おそらくフォーエンに怪我はない。所々鎧や着物に滲んだどす黒い血の跡に傷はなかった。返り血が付いているだけだろう。だから怪我がないことはわかっていたが、言葉がないので照れ隠しに問いかけた。

 しかし、フォーエンは何かが気に食わなかったらしく、口をへの字にしてきた。

 何だその顔。

「怪我などない」

 不機嫌に言い放って、そうして、眉を寄せた。

 何を怒っているのだ。怪我がなくて当然だと言いたいのだろうか。

 言葉がわかるのに、フォーエンはやはり言葉を発しない。元々話すのが嫌いなのだろうか。


 眉を寄せたままで、フォーエンは理音の後ろを指差す。差された方向は知っている道だ。 

 この回廊の先、まあ幾つかの分岐があるわけだが、先には理音がしばらく住んでいた屋敷がある。

 それがわかるだろうと、ちらりと理音を横目で見た。


「一人で行くの?」

 ここで足を止めたと言うことは、一人で戻れと言うことだ。理音を一人、屋敷に戻らせて、フォーエンは今来た道を戻る。

「私が戻るまで、静かにしていろ。勝手に抜け出すなよ?」

 そう言って、顔を寄せると、当たり前のように理音の首筋に触れた。それが離れてフォーエンの濃紺の瞳と目があった時、やっと口付けだと気づいた。

「な、何。何っ!?」

「何がだ?」

 何がだではない。バックステップで飛び跳ねたが、フォーエンはいつの間にか人の腰を支えていて、そこから抜け出すことはできなかった。当たり前のように腰に手を添えて首筋に口付ける男である。

 微かな温度が首筋に残って、理音の頰を染めた。何度も言うが、頰をつねられたせいで、頰を染めたことは気づかれていないはずだ。そうであってほしい。

 たまにこういうことをする男である。それを忘れていた。


「お前がいた宮に、ツワが控えている。いいな、私が戻るまで、そこから抜け出すな」

 麗しい顔で凄まれても、怖さより見てはいけないものを見た気しかしない。だから、むやみやたら人を落とす顔を見せないでほしい。

 さっと目を逸らすと、頭を片手で鷲掴みされた。

「い・い・な?」

「わか、わかった!わかったから!」

 フォーエンは絶対だぞと、念を押す。ついでに人を信じていない目を向けてくる。

 じゃあ、さっさと戻ってこいよと言いたいが、言ったら顔面を掴まれそうなのでやめておいた。相変わらず疑ぐり深い男だ。


 どんな話し方をするのか知らないのに、やはり想像通りの男だと思うと、内心緩むものがある。ついそれが顔に出て、フォーエンは青筋を立てて片手に力を込めた。

「います!います!」

 ほとんど脅しである。理音の返事に、フォーエンは目を眇めて疑り深い横目を向けて踵を返した。

 返そうとして、まだ信用ならないと、もう一度こちらに振り向く。

「余計な真似をせず、大人しくしていろ」

 しつこい男である。目を眇めて言ってくる辺り、信じている顔ではない。どんだけだ。

 そうして、何か思い立ったと、一瞬表情が変わった。それをいやらしい顔で隠す。否、明らかに何かを思い付き、実行しようとする顔をして近づいた。

「な、何。何!?」

 絶対頰をつねられる。そんな意地悪い顔をしている。フォーエンは理音の襟首をいきなり掴むと、大きく口を開けた。


「いだーーーーっ!!」

 がぶり、と首元にフォーエンがかぶりついた。

 甘噛みではない。りんごでもかじるように、がっつりと噛み付いてくれたのだ。

 しばらく噛み付いたのち、フォーエンは満足気に鼻を鳴らす。

 しかも、痛みに悶える理音を見ると、細目を見せて緩やかな笑みを浮かべたのだ。

 真性サドである。

 人の首にかぶりついておきながら、無駄にキラキラ光る攻撃をしてくる。意味がわからない。

 眩しさに目が眩むとはこのことである。フォーエンは人の心知らずと、今度は理音の頭を引き寄せて、あろうことか額に口付けた。

「忘れるなよ。宮で私を待っていろ」

 そうして、フォーエンはやっと理音に背を向け、来た道を戻ったのだ。


 え、何なの。ツンでデレなの?

 呆然とする理音に振り向きもしない。

 人の首に噛み付いて嬉しそうな表情をさせて、更に額に口付けとは。全くもって意図がわからない。嫌がらせをしてきたのだろうか。そうとしか思えない。

 首元が痛いのに、なのに口付けられた額が熱い。痛んだ首よりも額を抑えて、理音は遠く離れたフォーエンの背を追った。

 頰はずっと赤くなっているはずだ。つねられたよりずっと。

 久しぶりに会えた彼は、相変わらず人の心をかき乱していく。


 戻ってきて、結局気づくだけだ。

 好きで好きで、仕方ないことを。


 ただ、気づかされた。

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