93 ー行く場所ー
逃げ惑う人々や兵士たちを尻目に、ただ走る。兵士の中には槌を持っている者もいた。鎮火するために火に近い建物を槌で壊すのだろう。
水を運ぶ暇もないほど、火の勢いは早い。
こちらに来てから、雨が降った記憶はあまりなかった。乾燥で火の回りも早いのかもしれない。
理音はがむしゃらに走った。
目に見える高くそびえる壁に向かって、足を動かすだけだった。
「リオン?あんた、何してるんだ、こんなところで!」
突如、耳に届いた声は男のもの。心なしか軽い口調に聞き覚えがあった。どこから届いたか、通り過ぎた鎧を纏った男たちに振り向いて、辺りを見回すと、知っている姿が馬の背に乗っていた。
焦った様子で馬の手綱を引き、部下たちか騎乗していない男たちに先へ進むように命令する。従った男たちを見送って、理音に声をかけた男は、馬の方向を変えて理音に近づいた。
その姿に安堵すると、理音は近づいてきた声の主に走り寄った。
「ウンリュウさん!」
馬に乗った彼は鎧を着て刀を手にしている。すでに何度か戦ったか、体に血糊が付いていた。
「安全な場所にいると聞いていたのに、なぜこんなところにいるんだ」
「王宮へ行こうと思って、」
「王宮!?あそこは今危険だ。今はできるだけ風上へ行け」
王宮は危険だ。今きっと戦っている。
「わかりました。ありがとうございます」
言って踵を返した。向かう方向はもちろん王宮だ。ウンリュウが焦って追ってくる。
「こら!風上へ行けと言っているのに、なぜそっちへ向かう!」
「王宮が危険みたいなので!」
「だから、行くなと言っているのに!」
ウンリュウは手を伸ばすと、理音の体を浮かせて無理やり馬に乗せた。錆びた臭いが鼻につく。
理音はウンリュウの背からその顔を仰いだ。顎や首筋にもどす黒い赤色が絵の具のように張り付いている。
ナミヤの屋敷で結束していた彼らだ。ハク大輔の命令で動いているのだろう。
彼自身に怪我はなさそうだった。ウンリュウは馬の腹を軽く蹴って、理音に落ちないようにと言ってくる。
「ここはまだ戦いになる。王宮はどうなっているかわからない」
「どこ行ってもわかりませんよ!アンテイ門なら抜けられるかもしれないんでしょう!?」
「勘弁してくれ。ただでさえあんたが行方不明になって、大目玉を食らったのに」
「大目玉?」
ウンリュウが理音の監視をしていたことは知っているが、ウンリュウから逃げたのは一度だけだったはずだ。その時は屋敷に戻っても何も言われなかった。
あの時のことを言っているのだろうか。
「リン大尉の屋敷を出た後、あんたをナミヤの屋敷に誘導する予定だったんだよ。初めは文を他の人間に渡さないようにと命じられていたのに、急に守れと言われた。リン大尉の屋敷では危険があるため、ナミヤの屋敷で保護するようにと」
アスナたちの盗みを見てしまった理音を、大尉は屋敷から追い出した。盗みについて嘘をついたと思われた理音を追い出したのではなく、保護するために追い出したと言う。
「何でですか?出てけって言われたから出てったのに。だったら、本当のこと言ってくれれば、そっち行ったのに」
危険があるならば、そう言ってくれた方が安全だ。隠す必要がわからない。
「そこまでは知らん。ただ、守るように言われたのは、もっと前だ」
もっと前。何かしただろうか。思い出せない。
ウンリュウは馬をアンテイ門の方へ走らせた。文句を言う割には連れていってくれるらしい。
「一緒にいた男は一体何者だ。あの男が何者なのか、俺たちもわかっていない」
ナラカのことだろうか。それを聞かれると、理音も答えられないのだが。
「知らないですけど、事情通です。色々教えてもらって、ただ皇帝の味方でも内大臣の味方でもありません。今回は内情を探っているだけみたいで」
「そんなのについてく馬鹿がいるか!」
怒られるのはごもっともだが、如何せんこちらに知っている人間がいない。
「ウンリュウさんたちがどこの人間だかあんまりわかんなかったし、ハク大輔が皇帝の味方かもわかんなかったんですよ。なので、ヘキ卿があやしいって聞いて、そっちに行ってみたんです」
「念のため聞くが、どこぞの部下か?何で守れと言われたのか、全く聞いていないんだが」
「それは、私も聞きたいですけど、何でそうなったんですかね。私は誰の部下とかないですよ。ちょっと首突っ込んじゃっただけで」
「だが、ハク大輔は、あんたのことを知っていたぞ」
ナミヤの屋敷にいた男、多分、ハク大輔。彼がなぜ、自分を知っているのだろう。
「あ、あれかな。ヘキ卿と同じで」
「何?」
宴で顔を覚えられていた。その可能性はある。
それならば、フォーエンの隣にいた者として認識されていたかもしれない。
それを考えると、もしかしたら前からフォーエンは、自分が王都にいたことを知っていたのだろうか。それで保護するようにと命令したのだとしたら。
「なーんだ」
「何がだ?」
途中から、実は自分はフォーエンの手の中だったのかもしれない。
王宮は危険で、呼び出されたりはしなかったが、大尉の屋敷で守られていた。しかも、ウンリュウの守護付きで。
ならば、フォーエンはどこかで自分を見たのだろうか。
声もかけずに、理音が王都を歩き回っている姿を。
大尉の屋敷を追い出され、その後ヘキ卿の屋敷に行ったのは、彼にとっても想定外であっただろう。
そう言えばヘキ卿の屋敷に行く前、ナラカの案内で宿を探す際に、つけられたら面倒だと人の家に入り込んであちこち走り回ったのだ。
その時、ウンリュウの追跡をまいたのかもしれない。ナラカならばウンリュウの尾行に気づいて、それをまいたかもしれない。
ウンリュウも、それは困ったことだろう。
「ウンリュウさん、すっごく、怒られました?何で逃したのかって」
「それは、確かに。重要な人間だったと言われ」
「そーゆーわけじゃないんですけどね。変な風に伝わってるのかな」
ただの囮に何を言うか、だが。
「じゃあ私、結構顔バレしてるのかも」
宴で顔を覚えられるほど、皆近い場所に座っているわけではないのに。それでも理音の顔を覚えている者がいるのだ。
そう言えば、ナミヤにも会ったことはないか問われた。
「ナミヤさんって、ハク大輔と一緒に、皇帝の宴とか出られるんですか?」
「そりゃ、ナミヤや俺もお供はするが」
では、やはり覚えている人間がいるのである。
ナミヤは理音の顔を覚えていた。男の格好でも、どこかで見たと気づいたのだ。
「じゃあ、最初に気づいたのは、ナミヤさんかな。そしたら、結構初めっから知られてたのか」
それでは、フォーエンは自分が王都でお使いをしていたのを、早い内から知っていたわけだ。
もしかしたら、理音がまだこの世界がフォーエンの時代だと思っていない頃から。
「王宮へ入るぞ」
ウンリュウの声に行き先を覗くと、門の前で兵士たちが戦った跡が見えた。人だかりの中に倒れている人々がいる。門の前で一悶着があったのだろう。
門は壊れているか、黒く燃えた跡がある。まだ火がくすぶっているか、煙が見えた。辺りも煙っているようだ。
ここも放火されたのか。門には矢が刺さっており、それが黒く燃えカスとなっている。火矢で射られたのだろうか。
「攻められた?」
「わからん。捕まってろ。このまま突っ切る」
「ハク大輔部下、ウンリュウである!道を開けよ!」
兵士たちが声に習って道を開ける。むしろすんなり入れて、不思議に思うほどだ。
ネームバリューなのか、あの程度の警備なのか。
いや、ハク大輔はヘキ卿と変わらない身分だろう。高位の人間の部下であるから、ウンリュウも顔を知られているのかもしれない。
街中でうろついても気づかれないかもしれないが、王宮の関係者からすれば知名度は高いのだ。
馬を走らせたまま入った壁の中は、騒然としていた。
兵士たちがバタバタと走っていく。
裏側の門から入ったため、広大な公園のような土地が続いているが、そこで兵士たちが行ったり来たりと忙しない。
ウンリュウはそのまま馬で坂を駆け上がり、木々の茂る場所を越えてどんどん進んでいく。
坂の上はほとんど何もない。木々や草花が咲き乱れているが、広々としたそこはただの広場のようだった。
王宮の広さはわかっていても、いざ中に入ると想像を絶する。
自分がいた場所や、そこから広場に行く道で、広さは実感していたつもりだが、別の場所から入ればまたイメージが違った。
こちらは裏側になるのだろうが、何もないくせに広大な土地を使っている。端から端まで車で移動しなければならない、距離のある地方の大きな大学のようだった。
馬で走っても走っても建物が遠い。
気が急いでいるせいで、宮中にたどり着くまでの道がひどく長く感じた。
進む先は煙が上っている。遠く建物も燃えているようだ。
「外で見たより煙が増えてる」
「燃え移っているのかもしれないな。どこに行きたいって!?︎」
「皇帝のとこ!」
「皇帝!?皇帝陛下がいる場所なんて俺はわからんぞ!?」
「平気。いつも宴とかやる場所まで行ける?あの辺だったらわかるから、自分で探す」
「探すって。簡単に探せるような状況じゃないぞ」
「でも、会いたいから」
会って、生きているのを確かめたい。




