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90 ー願いー

 並ぶ朱塗りの柱。自分の背丈の何倍もある天井。描かれた草花の模様は鮮やかに描かれ、そこを彩る。


 懐かしい、王都の城。かつて数度こちらに足を踏み入れた。おめかししなければ入られない、ある意味特別な場所だった。

 見慣れた通りは見られない。こちらに来る時はいつも大勢の人々の前に立つためで、自由に縁側や廊下を歩く事はなかった。見る場所は殆ど同じで、祭りに使われるような広場やそこに行くための通路のみ。広大な土地を要するこの城の幾つの場所を見たことがあるのか、きっとほんの一部にしかすぎないだろう。


 馬車から降りたヘキ卿は重い足取りで先へ進む。理音はその後ろを静かに歩んだ。辺りを見回さずとも、ヘキ卿を見る者たちの視線を感じた。

 隣にいる者と囁き、疑り深く注視する者、静かに黙って行く先を見る者、あからさまに嫌悪を見せる者、様々だ。けれど、多くが奇異の目で見ているようだった。長く参内を行なっていなかったからだろう。ヘキ卿の顔やそのサボリ具合はよく知られている。


 ヘキ卿は歩んだままで何度も小さなため息をついた。まだ諦めがつかないらしい。

「そろそろ腹をくくってくださいよ」

 理音の言葉に、ヘキ卿は顔を蒼白にして首だけで振り向く。半開きの口は何か言いたげで、けれどそのまま首を左右に振った。

 完全に諦めきれていない顔である。

「今ここで逃げたらもっと面倒ですよ」

 ヘキ卿はとうとう大仰にため息をついた。腹の底から全ての息を吐き出すような、深いため息だ。

「諦めて怒られてください」

「お、お怒り、かな!?」

 震える声が本気の怯えである。怒られるような真似をしたと分かっているらしい。思い当たることをしている自覚があるわけだ。

「理不尽に怒る人じゃないですよ。悪いことしてないなら怒られません。でも、…怒ってくれるだけずっとましです。話すらさせてくれなくなったら、修復できないですよ?」

 立場が変わって、自分のように容易に会いに行けなくなったら、もう何も聞くこともできない。話せる内に話しておけばよかったなど、後から思っても遅いのだ。

「逃げないで、ちゃんと向き合って話をしてください。ごろごろはその後すればいい。私もこれが終わればごろごろします。終われば私もきっと気持ちよく帰れる」

この謀反が終われば、安心して帰られるだろう。フォーエンの味方がいると分かった今、一人でいるわけではないと分かった今、安心して、自分の世界に戻れるだろう。


「君は陛下の華ではないの。あの方の元にいなければ」

「はな?何ですか、それ?」

 それを問うた時に、重厚で巨大な扉の前に出た。龍のような長い胴を持った生き物が彫られている。まるで敵に勢いよく飛び出さんと威嚇しているかのようだ。その前に衛兵が先を塞出で入る。

 見れば分かる。ここから先にフォーエンがいるのだろう。衛兵は訝しげにヘキ卿を見やって要件を問うた。

「皇帝陛下に御目通りを」

 ヘキ卿の声は微かに上擦って震えて聞こえた。

 フォーエンと約束なんてしていない。御目通りと言って、楽に会えるものなのだろうか。

 ここで通れなければ、次はどうすればいいだろう。自分の名を語っても、やはり無理だろうか。できればここは楽に通りたい。


 しばらく待たされて、その場に立ち尽くした。扉の前でヘキ卿は佇んだまま。握りしめている両手は、時折震えた。

 理音も不安が込み上げてくる。急な訪問のため、手間取っているのだろうか。そもそもフォーエンはいるのだろうか。そもそもまず、誰がこの扉を開くことを許すのだろう。

 フォーエンならばいい。別の人間であればどうだろう。

 フォーエンに会うのに予約でも必要なのだろうか。

 王宮の皇帝陛下にお会いすると言う、物事の順序がわからない。

 待たされる時間に焦ってくる。ヘキ卿は緊張してるだろうか。拳を握ったままだ。



 そうして長く待たされて、ようやく扉が開いた。衛兵の促しに、ヘキ卿は前へ進んで行く。


「リオン?」

「私はここにいます。行ってらっしゃい」

 足を止めていた理音に、ヘキ卿は来るようにと促した。けれど、理音は足を止めたままだ。


 自分はフォーエンには会わない。

 会いたいけれど、会えば心が揺れるのがわかっていた。 

 会いたくて仕方なかったけれど、会っても帰ることを選んでいる自分に、会う必要はない。

 ヘキ卿は困ったようにしたが、そのまま進んでいった。


 扉が閉まり彼の後ろ姿が見えなくなったけれど、これで何とかなるだろう。自分はただ、その背を見送り、先を祈るだけだ。

 フォーエンは必ず何しに来たか問うだろう。呼び出されたわけでないとわかったヘキ卿は、後戻りができない。

 ヘキ卿ははめられたと気づく。それからフォーエンに言い訳をするだろうか。騙されてここまで来たのだと。

 呼ばれたと聞いたと言えば、ヘキ卿の間違いだったと、フォーエンに追い出されたりするだろうか。


 そうなる前に伝えてほしい。謀反が行われる予定だと。彼自身の声で、用意が為されているので対処をしたいと。

 そうであれば、恩赦があってほしいのだ。

 抗うことを勧めたフォーエンであれば、助けの手を出してくれると。


「お願い…」

 仲間になれる人を、見捨てたりしないで。



 どれ位の時間が経ったか。壁に沿って立ち尽くして待っていると、扉がゆっくりと開いて、ヘキ卿が歩んできた。

 顔色があまり良くない。何か叱りを受けたのか、悪い知らせを受けたのか。

 どんよりとした空気を感じて、そうではないのだと判断した。


「お許し、もらえました?」

「リオン、君にはやられたよ」

 返事がそれである。

 嘘をついたことを、後々まで恨むような目つきだ。


「皇帝陛下は、私にお役目を命じてくださったよ。君の言う、屋敷でごろごろができなくなった」

 ため息混じりの声である。うなだれた肩に、何かが乗っているようだった。

「で、で?大丈夫って?頑張れば、大丈夫って?」

「それは後で話すよ。それよりね、君には別の場所へ移動してもらう」

「私、何かすることありますか?」

「残念だけれど、その逆だ」


 逆。



 連れられた場所は、王宮から少し離れた、料亭のような場所だった。

 お腹にくる美味しそうな匂いと合わせて、綺麗なお姉さんが部屋に案内してくれる。

 入り込んだ一室は、落ち着いた調度品が置かれており、質の良いお部屋という感じだった。


「皇帝陛下は、君に暫く安全な場所に留まるように命ぜられた。王宮では危険があるので、やむなくと言うことだよ。これから謀反が起きれば、王宮も騒がしくなるからね。私の屋敷はこれから荒れるし、他に安全な場所がない。できれば王都を出ていた方がいいのだけれど、君を連れる余裕がないんだ」

 フォーエンは理音が近くにいることを知った。その上での処置だ。

 自分にできることはない。当然だろう。実際できることなどない。精々文を渡しに行けるくらいだ。


「わかりました。ここにいます」

 どの道これが終わっても、彼に会うことはないだろう。

 頷いておいて何だが、次の働き場を探す方がいいだろうか。謀反がいつ終わるかもわからない。


「ヘキ卿は?処遇はどうなったんですか?」

「私には、討伐の指揮をとれと仰せだったよ」

「討伐の指揮…。戦いに行けって…?」

「奥を捕まえるようにと」

 それは最大の潔白を表す。


「既に食料の市場操作をした証拠は掴まれているそうだ。それに協力した官吏も、その男が奥や内大臣と繋がっていることも、陛下はおわかりになっている。後は証拠を捉えるだけのこと。屋敷内の武器と食料は証拠の一つだが、それだけではまだ足りず、全てを炙り出すため、謀反が行われる場所を探っているそうだ。それも近々行われるだろうと」

「…そうですよね。それが一番わかりやすく捕まえられるから」

 一瞬、言葉を返せなかった。

 フォーエンはヘキ卿に、奥さんを捕まえろと言っているのだ。

「その、指揮をとるんですか」

「そうなるね」


 そこまでは考えていなかった。

 証拠を出せば、それだけで許されるのだと思っていたが、そう簡単な話ではないのだ。

 ヘキ卿の妻を捕らえれば、それで反旗を翻したのではないと証明できる。むしろそれしかないだろう、ヘキ卿がフォーエンの敵ではないと知らしめるには。


「リオン、私の屋敷に武器があることを陛下は想定はしてらしたが、証拠がつかめていなかったそうだ。食料の保管場所も同じく、唯一それだけが不明で、わかっていても事実をつかめなかった。けれど、私が翻ったためにその裏が取れた。リン大尉からも同じように報告があったそうだ。私から君に命令があって、それを大尉に知らせたと。私がやったことではないと陛下はお気づきだ。いつから隠密になったと呆れていらしたよ」

 ユウリンは大尉に知らせたのだ。それをフォーエンに伝えている。

 大尉は敵ではなかった。

 もしかしたらナラカの想像通り、ハク大輔たちはフォーエンの私兵となっているのかもしれない。


「いつ、指揮をとられるんですか?すぐですか?」

「このまま仲間たちと合流するよ。君はここにいて、迎えが来るまで待つといい」

「なら、これ、持っててください」

 理音は背負っていた荷物から、小さな袋を取り出した。

 ウーゴの木の蜜が入った小瓶である。


「これ、ウーゴの木の蜜が入ってます。フォーエンが私に持ってろって言ったやつで。ウーゴって神木なんでしょ?だから 持っててください。お守りに」

「それは、いけないよ。陛下から頂いたものは、君が持っていないと」

「だから、後で返してください。ちゃんとヘキ卿の手で、私に返してくださいね」


 無理に押し付けて、そのまま去るヘキ卿の後ろ姿を見送って、やはり自分がしたことはただの自己満足だったのだと、思い知った。

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