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6 ー異変ー

 空には何もない。


 先ほどと同じ星空があるだけで、何らおかしなものは見えなかった。

 しかし、ざわめきはそれでは済まないと、建物内にいた者たちも顔を出した。だがやはり恐怖して、建物の中に隠れた。


 恐る恐る外を見る者。恐怖に顔を隠す者。腰を抜かしたのか、他の者に引っ張られる者など、とにかく皆が皆恐怖に襲われて震え上がり、怯えて建物に身を隠すのだ。

「何もないのに」

 彼女たちだけに見えるものでもあるのかと思うぐらい、空には何もない。美しい星空はそのままで、ただ瞬くだけ。

「よくわかんないな」


 理音には、彼女たちの恐怖を感じるだけで、理解ができなかった。

 一応念のため、空を注視しながら建物の方へと近づく。

 あそこまでわかりやすく皆が恐怖に怯える様を見れば、何だかわからなくとも恐怖を感じるものだ。

 けれど、橋を渡り池から離れようとして、それに気づいた。


「月蝕?」


 大月に陰りが見えたのだ。それが徐々に侵食して、大月を飲み込んでいく。

「へえ、あらあらあら」


 天文部としてこれは見逃せない。

 さっさとタブレットを手にすると、空を被写体にした。

 まず、写真を撮ってムービーを撮る。月蝕はタブレットでも撮れるのだから、これをおさめないわけがなかった。

 蝕の進みは早く、少し経てば大月の三分の一を闇へと隠していく。

「このままいけば、皆既月蝕いっちゃうかも?あれ、でも小月が隠れないから、暗くはならない?」


 衛星が二個ある場合、一体どんな状況になるのか、興味津々だ。一度ムービーを止めて、既に半分隠れた大月の写真を撮る。

 大月が隠れるのは、中々素晴らしい天体ショーだ。影の動きがよく見えて、わかりやすく隠れていく。

 じりじりゆっくり、けれど確実に大月は隠れた。一時間も経たない内に、実にほとんどの大月が隠れたのだ。かなり早い。軌道では皆既月蝕になるだろう。

 その瞬間になると悲鳴が響いた。

 建物の中は大騒ぎだ。扉や窓から顔を覗かせるものの、皆既月蝕にまでなると恐怖は最高潮に達したらしい。扉も窓も閉めてしまう部屋があった。

「こんなに素敵なのに、見ないなんて、勿体無いなー」


 理音は、後ろも気にせず写真を撮り続けた。

 そのうち小月にも蝕が及んでくる。もしかしたら、月二個の皆既月蝕が見られるかもしれない。

 興奮する気持ちを抑えられないと、もう一枚写真を撮ろうとした時、いきなり腰を引く力を感じると、あっという間に肩に担がれた。

「え!?ちょ。何!」

 担いだのは従者の格好をした男だ。あ、男いたんだ。とか思いつつも、肩に担がれたまま男が走るので、タブレットを落とすまいと必死に握った。

 暴れたら、転ぶ程度では済まないであろう。

 男は尻尾を巻くように走ると、建物にたどり着いた途端、滑るように転がった。もちろん、担がれていた理音はそのままタブレット両手にして、顎から地面に転げた。タブレットを壊さないように、上にあげたのがその結果だ。

 痛みに叫ぶのは当然だろう。けれど、誰も転んだのを助けてくれないとは。

 理音を担いで走った男には、手を差し伸べているのに。


 しこたま打った顎を撫でながら立ち上がると、窓の外は既に小月が三日月のようになっている。急いで窓の外によると、タブレットを掲げた。

 いきなり光ったタブレットに、部屋にいた女性がひっと悲鳴を上げたが、まあ申し訳ないがそこは無視させていただく。

 ロウソクを使って明かりにしているのならば、もちろん電気なんてものは入っていないわけであって、タブレットが光ったらそれは大事だろう。

 理音が何を持っているのかすらわかならいだろうから、それも恐怖の一つにされるだろうか。

 まあ、それもどうでもいい。


 小月は、見事な皆既月蝕となった。月の光が地面に届かなくなると、星だけが煌めく夜空となる。

 両皆既月蝕、とでも言えばいいだろうか。

 完璧だ。

 その分悲鳴が更にこだまするのだが、その中で理音だけが恍惚と空を仰いだ。


「はあー、素敵ー。皆既月蝕。え、ちょっと見れてよかった」

 呟きつつも、部屋の中にいるせいで明かりがあるのに気づく。それが微妙すぎて、やはり外に出ることにした。

 連れてきてもらって申し訳ないが、明るいところで皆既月蝕を見ても仕方がない。

 怯える女性たちを尻目に容赦なく扉を開くと、悲鳴が高音でこだました。

「ごめん。でも、やっぱ外で見たいからさー」

 しっかり扉は閉めるから、ちょっと待って。

 言いながら外へ足を踏み込むと、ぐん、と腕を引かれて後ろに転びそうになった。


 腕を引いたのは織姫だ。彼は怪訝な顔しかしていない。

 怯えているようには見えないが、織姫も月蝕が怖いのだろうか。

 理音はにっこりと笑顔で返す。

「大丈夫だよ。ただの月蝕だから」

 何を言っているのかわからないだろうが、織姫は手の力を抜いた。

 振り払うほど、彼の力は入っていない。

 するりとその手を抜けると、丁寧に扉を閉めて空を眺めた。


「あれ、もう戻っちゃう?」

 大月の下弦が、微かに明るくなっていく。扉を開いて光がもれるように、ともし火が広がるのだ。

 月二個の、見たことのない天体ショー。終わる頃には一人拍手をしていた。

 何といいものを見たのだろう。

 それとは全く反対の感情を持っている他の者たちは、まだ恐怖の中にいるようだった。

 外に出てくる者が全くいない。

 理音はむしろ、しばらく余韻に浸りたいくらいだった。

 側の四阿でベンチに座ると、お宝映像を見直して、しっかり撮れているか確認する。

 ムービーには自分の声が入ってしまっていたが、まあこれくらいいいだろう。

 これを友達や先輩に自慢したいところだ。

 自慢できればだが。


 建物の方では、にわかに人が動き始めていた。

 織姫が見える。渡り廊下を進んでいくその後ろを、女性たちがついてくようだ。

 ぱたぱたと動く女性たちはいるが、ふらふらと歩く女性に肩を貸す者もいる。まだ動けない者たちがいるのかもしれない。

「大変だな、月蝕一つで」

 よほど珍しい現象なのだろうか。何十年に一度とか、回数が少ないのかもしれない。


 空を眺め続けていれば女性が呼びにきて、促されるままに部屋へ戻った。

 食事もいただけて、そのまま寝所で眠ることにした。

 食事があるのはありがたいと思いつつ、風呂はないのかとがっかりした。

 図々しいと、自分でも思う。


 眠ったら何かが変わるだろうか。そうであればいいのに。

 そんなことを考えても、無駄だろうと心の中で感じていた。

 興奮して眠れないだろうと思っていたが、すんなり寝こけたので、自分て自分で思うよりも、かなりの無神経さを持ち合わせているんじゃないかと思った。


 爆睡。

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