64 ー現実的にー
「気をつけて帰るんだよ。少し遅くなってしまったし。引き止めて悪かったね」
「いえ、では失礼します」
ナミヤの見送りを受けて、理音は足早に帰路へついた。
彼らは一体、短髪の男の何を気にしているのだろう。と考えながら。
彼らが捻り潰したくなるほど、短髪の男は何をうろうろしているのか。
短髪の男の目的は何なのだろう。そして、彼らが男を気にする理由は何なのだろう。
それから、
フォーエンが生きていることが何よりも嬉しい。
もしも王宮に入られたら、会う機会はあるだろうか。
浮き足立つ気持ちが顔にあふれそうになる。
勝手に口角が上がって、じんわりと目尻に涙が浮かんだ。
何も言えず別れることになった。あまりに突然すぎて、夢だったのはないかと思うほどだった。ウーゴの蜜の入った小瓶のおかげで、それが夢ではないと気づいたけれども。
自分が急に消えたことで、フォーエンはまた誘拐されたと思っただろうか。
自分は囮である。それに釣られる、敵の消息を探したいわけであるから。
「あれ?」
ふと思う。自分は囮だ。ただそれだけ。
「会いたいのは、私だけか」
会いたくてたまらなかったのは、自分だけである。
それを考えて勝手に沈んだ。また忘れていた。自分だけが彼を好きであることを。
一度は気のせいだと消そうとした想いは、帰って会えなくなることで強まってしまった。
それでこちらに来てまた会えないと愕然として、けれど生きているとわかって。
完全に想いが増えたわけである。
「増やしてどうすんだ。どうせ帰るのに」
それならば会って、どうするのかと言う。
囮を続けるのか。あと一ヶ月もここにいない予定なのに。
それに、自分が姿を決してから、どれくらい時間が経っているかはわからないが、自分がいなくなっていた間に、新しい囮役がいるかもしれない。
囮をするのはいい。だがフォーエンにどう会えばいいのだろう。彼にどうやってコンタクトを取ればいいのだろう。コウユウ辺りをさがせばいいだろうか。
大尉にコウユウさんていますか?とか聞いて会えるのかである。
警備を無視し、走って入られるほど王宮は狭くない。これはエシカルより数倍数十倍無理があるのだ。
「会えないのか」
皇帝に会う。それが楽に行えるわけがないだろう。
がばがばセキュリティでも、さすがに無理だとわかる。
王宮は広すぎだ。
そして会って、できるのは礼を言うぐらいか。確かに礼は言いたいのだが。
「あれ、会えないなら、会わない方がいいのか」
会って想いを伝えるわけでもない。礼を言うだけだ。だとしたら、あとは何ができるのだろうか。
会いたいが、会ってもすぐ帰る。つもりだ。そうでなくては困るのだから。
けれど会いたい。そう思うことはダメだろうか。会ったら、それで満足できるだろうか。
小河原と付き合っていく上で、けじめがつけられるだろうか。
「フォーエンに会ったら、要くん嫌だろうな…」
こちらは夢の世界だ。どちらにしても帰るのだから。
帰れば小河原がいる。
「生きててくれたから、いいのか」
どちらにしても、彼には簡単に会えないのだから。
生きていたことを喜べたのから、会いたくても我慢すればいいのだろうか。
「リオン、また今日も大尉のお使い?」
「はい、呼ばれたので行ってきます」
キノリの言う通り、また。である。
理音はユウリンから呼ばれて、いつもの場所に向かっていた。
しかしまあ、お使いが多い。ユムユナも愚痴るほどである。
それもそのはず。こちらに来てシュンエイの側にいるより、お使いで外に出ている方が多いのだ。シュンエイのために連れられて来たのに、それがユウリンに使われているのだから、愚痴りたくもなるだろう。
しかも、ほとんど一日中外に出ているものだから、結局理音の仕事は別の人間がやることになってしまっている。文句を言いたいだろうが、相手がユウリンではユムユナも黙っているしかない。
ユウリンは大尉の腹心とも言える側近である。旦那様の仕事と言われれば、文句なんて言えない。なので、ユムユナはちょくちょく理音に嫌味を言ってきていた。
言われても困るのだが、ユムユナも黙っていられないのだろう。
そして、先ほどお使いを頼まれた旨をユムユナに伝えに行ったら、やはり嫌味を言われた。
一体いつになったらお前の仕事ができるのかしら。である。
自分に言われても困るわけだが、そこはもう黙っているしかない。しかしいつまでもしつこくネチネチ言ってくるので、ユウリン様がお待ちですので、と逃げてきた。
帰ってきてからのユムユナが怖い。
「運ぶ荷物とか、めっちゃ残ってそ」
理音は大きくため息をついた。
「大きなため息だな」
かけられた声に、理音はすぐ様脇に避けて跪いた。
大尉だ。
顔を下げたまま、かけられた声には答えず、大尉が通り過ぎるのを待つ。
大尉が話していいと言うまでは応えてはならないのが習わしだった。
後ろにはユウリンがついていた。
用事をここで言い渡されるだろうか。いや、あれは秘密の仕事だ。ここで問わない方がいいだろう。
そう思って黙って彼らを見送ろうとした。けれど、大尉は理音の前で足を止めた。
「顔を上げよ」
上げよと言われたら上げるしかない。上げれば、大尉はまじまじと理音を見つめた。
「お前がリオンか」
「はい」
お前がって、お前が文を渡しに行く者か、の意味だと思われる。でなければ側近の従者の名前なぞ、覚えているわけがない。
案の定、大尉はよく働いているようだな。と声をかけてきた。この場合何て答えりゃいいんだ。と内心ほぞを噛んだ。
ユムユナのお説教を聞き流さないでおけば、会うことはなかったのに。と無駄な後悔をする。
黙っていると、大尉は訝しげに顔を見た。黙っていたのがまずかっただろうか。
「構わない、立て」
えーもー何なのー。である。
とりあえず立つが、偉い人相手に、どう対処していいかわからない。
フォーエンに対して結構ひどい真似をしていたが、自分が働いている場所でのご主人様相手は難しい。そして、こちらの習わしはそこまで理解していない。どこからが失礼なのか、いまいちわからない。
大尉はじっと理音の顔を見つめたままである。何だろ、もう。
「そなた、女子だったな」
「え。あ、はい」
ユウリンの前で言うのか。
つまりユウリンは、理音が女だと知っているのだろう。
後ろで特に気にした風もなく、ユウリンは大尉が何を考えているのかと、次の言葉を待っている。
「…いや、ユウリン、先ほどの話の通り進めよ」
「承知致しました」
いや、って何だろ。いや、って。
人の顔を見て何か考えたらしい大尉は、それだけ言うとさっさと行ってしまった。残ったユウリンが、嫌な笑顔をこちらに向ける。
「さあリオン、今日の仕事だよ」
いつも通りとユウリンは笑顔でそれを告げた。
さっきの、いや、が気になるところだが、ユウリンは特に説明もなく文を手渡して来た。
前に行った、男の子がいる小さなお店に文を持って行く。頼まれた仕事はそれである。
結局、いつも行くところは決まっていた。




