43 ー夢ー
「じゃあ、それで決まりー」
「げー、ほんとにやんのー?」
やることが決まったと、ホワイトボードに書かれた文字に、阿形がぐるりと丸をつける。
「やっぱり、コスプレー」
「手作りだから。春休みまでに作ろー」
「新しく作るのか…」
一体誰が着るのだろう。内心絶対やだなと思って、びらびらの服を思い出す。
「理音、また顔が寝てるよ。もう帰って寝ろ」
「あー、小河原くん待つんだ。今日、私が部活だから、一緒帰りたいっぽくて」
「出た、子犬」
友人にまで子犬扱いである。
理音の性格の方が男っぽいと揶揄されるが、自分でもそう思う。
その彼はベランダから見えるグランドで、元気に走り回っていた。
体格は大きくないし、線は細いしで、他の部員と比べてもボールにじゃれ合っているようにしか見えない。
時折体をぶつけられると、それこそボールのように転がった。
「うわ、痛そ」
「学校だと芝じゃないから、あれ怪我だらけだよね」
「前見せてもらったけど、膝小僧ボロボロだったよ」
「どんなシチュで膝なんて見るんだよ」
「普通に。べろってめくってもらって」
「何だ」
何だも何も、まだお付き合いと言う名の女友達…男友達である。
どんなシチュエーションと言われても、お互い家にも行ったことないし、家がどこにあるかも知らない仲である。
それで何が起きるのか、愚問だ。
「でもこないだ、手繋いでじゃれ合ってたじゃん」
「じゃれ合ってはいない。あれはさー、小河原くんが、私の手の平に傷あるの気づいて、どうしちゃったの!っておろおろしちゃって、こんなんずっと前の傷だから消えつつあるよーって話してる時によく見せてたら、痛いから見せないでーって。面白すぎて無理に見せてたら、手を抑えられただけ」
「小学生かよ」
「ほんとにな」
全くもって初々しいことである。
しかも自分の足の傷は見るのは平気でも、他人のを見られないとは不思議な話だ。
膝を見せれば、顔を真っ赤にして顔を背けられてしまった。
女子高生の生足などいつも見てるだろうが。まじまじと見るのはダメらしい。
そう言えば、奴も嫌がったな。
「理音、彼氏が手振ってるよ。返してやんなよ」
「んー?」
休憩か、水道に行く途中だろう。こちらを向いて小さく手を振っている。
小さくである。
遠慮がちなそれに、他の部員が可愛い可愛いを連呼してくる。
実際、可愛いのだが。
「じゃあ、うちら帰るから」
「んー、お疲れ様でーす」
急に部室がしんとなって、ため息をつくと大きく部屋に響いた。
眠れない疲れなのか、ただ疲れているのかわからない。
旅行から帰ってきてからずっとそんな調子で、勝手に日々が過ぎていった。
毎日は過ぎていくし、変哲のないものでも意義のあるものであったりする。積み重ねて遠い後、積み重なったと気づく日々だ。
旅行の間にあの日々こそが、積み重なった物だった。それはただの夢で、何もなかった日々のように思えるけれど。
理音はリュックのポケットにある、小さな瓶を取り出した。手作りの袋に入れて、大切に持ち歩いている。
陶器の瓶で、コルクのような木でできた栓で蓋がされている。淡いピンクの花柄の、柔らかな色合いで彩られている、愛らしい小瓶だ。
デバイスがなくなった替わりに手に入れたのは、この小さな瓶だった。
いくら探しても見つからなかったデバイスだけでは、あれが夢と思わせるにはひどく理解が難しく、けれど何もなければ夢だったとしか思えず、それでもこの小瓶を見つけて、自分の手足に残った傷を見た時には、信じていいのだと大粒の涙が流れた。
あの後、フォーエンと別れてまた一人、庭で言葉の勉強をしていた時、夕方のその頃に、何かが空へと映った。
空に何かが見られれば面白い。それがいつもの自分だ。
リュックを背負って、スマフォとタブレットを持って、庭の奥へと入っていった。
何かが見えた方向には何もなく、構えていたタブレットが意味をなさず、何だ気のせいかと、スマフォとタブレットを岩の上に置いた時だ。
空に流れる白いもの。それがあっという間に増えて流れて、それが流星群だと気づき映像を撮ろうとしたら、タブレットに手を伸ばしたまま、めまいを起こした。
そしてそのまま、
気づいた時、天文部のみんなが理音を囲んでいた。
名前を呼ぶ声と、安堵の声と入り混じって、そこが一体どこで、何がどうなっているのか、理解するには時間がかかった。
たった数時間、あの野原で、眠っていただけだったのだ。
まだそこは夜になって間もない星空の中で、見たかった天の川銀河が美しく煌めいていた。
友人の後ろを歩いていた理音は、突然どこかに行方をくらまし、探してさすがにおかしいと気づいた天文部員たちは、とうとう警察に連絡した方がいいと天文台へ行こうとして、草むらで転がっている理音を発見した。
その間、約三時間ほどである。
三時間。
聞いて、ああ、物凄い長編映画を見ていたわけだ、と納得いかない頭でその日を過ごした。
見たかった満点の美しい星空を、心あらずと見つめて、あの夢の中の星空の方が自分の心を躍らせてくれたのにと思いながら、何て苦しくも心地よい夢を見せてくれたものだと思っていた。
その時までは。
キャンプ中、タブレットとスマフォがないと気づいて、原っぱを探しに探して、それでもなくて、意気消沈して家に戻り、リュックを整理している時に気づいたのだ。ポケットに入れていた小さな瓶を。手の平や膝に、ひどい傷が残っているのを。
夢ではなかった。
けれど夢として終わり、今自分は、彼に会うことすらできない状況なのだと涙した。
あの後、彼はどうしているのだろうか。戦争は終わったのだろうか。
ただ、思い、考えて、それが意味のないものだと感じるほど、何もない普通の日々が続き、今はもう小瓶を見るだけにとどまっている。
彼の元に行く術がない。どこなのかもわからない。
現実にあったことなのに、時間としては三時間だけの話で、時間軸の乱れた経過は説明のできることではなかった。
あの場にいたことが、説明できることではないのだが。
だが、実際、手元には小瓶がある。
蓋を開けてあの甘い、やけに鼻腔に残る香りは、あそこで嗅いだ香りと同じで、少し舐めてみれば途端に口の中に甘さが広がった。
思った通り、やけに鉄の味に似た何かが口に残った。
フォーエンも、よくこんなものを一気飲みしたものである。
こんなものだからこそ、一気飲みしたのかもしれないが。
彼らにとってのこの木の蜜に、何の意味があるのかわからないが、捨てず壊さないように大切に保管することにした。
フォーエンといた日々が、嘘だとは思いたくない。
自分の初恋を、夢だと思って、忘れたくなかったのだ。




