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3 ー月の彼方ー

 壁は続いている。


 やはり迷路のようになっていて、遠目に更に高い壁が見られた。

 あそこまでこの壁の上をつたって行けば、辿りつくだろう。

 けれど、その先は今いる壁よりかなり高い。よじ登って越えられる高さではなかった。


 その先は何もない。

 と言うか、その壁のせいで先が見えない。山の上にも関わらず、木々の群れが目にできなかった。

 山らしく、ずっと森のような木々が目に取れると思ったのに。


 たとえば先がキャンプ場だとして、星を見るための広場だとして、だとしてもその後ろは森となり木々が生えているはずだ。

 だから見えると思ったのに、それが見えない。

 そうして辺りを見回すと、どっと冷や汗が出る気がした。


 後ろにあるのは、先ほどさまよっていた庭だろう。木々が見える。山の木々ではなく、庭に植えられた木々だ。

 そうして、その中にいくつかの塔らしきものが目にできた。

 日本で目にする、五重の塔らしき塔だ。

 正確には五重ではなかったが、それは問題ではない。

 問題なのは、それがいくつも見えることだ。しかも、そのもっと奥に建物が見えた。


 遠目に見えた、塀に囲まれた建物。

 朱色の屋根と壁は荘厳で、どこかの城のようだった。

 城の形状としては日本の城のようにも見えるが、縦に長くなく横に長い。台形に伸びた建物がいくつか連なっているのだ。


 理音は、一度唾を飲み込んだ。

 唖然とするしかない。

 自分は天文台にいたはずなのに、そこはどこか異国のようであって、けれど決定的に違うものがあった。


「空が…」

 本来なら、夜に星を見る予定だった空だ。秋に見える星も、大抵覚えている。方向さえわかれば、どこに何の星があるのか楽に説明ができるだろう。


 けれど違うのだ。

 考えるまでもない、全く違うものが空にある。


 月は昼でも見えるもの。それが浮かんでいようと、気にも止めない。空気が澄んでいれば見えるのだから。

 けれど、明らかにそれは二つあった。

 しかも、片方はやけに大きい。地上から見える月にしては、大きさがあまりにもおかしいのだ。

 月が二つある時点でおかしいのだが、それ以上にその大きさに驚愕する。

 驚きに見つめて、もう一度建物を見て、再び空を見上げた。


「意味わかんない…」


 それしか言いようがない。

 一瞬冷静になって、写真でも撮ってやろうかと思ったぐらい、あまりに非現実でありえないことなのだ。

 非現実だ。

 どんな現象だ。月が二個あるのである。

 そんなものがあったら、引力も変わるだろうに。

 潮の満ち引きどうなっているんだ。

 ここは木星か。

 衛星がいつから二個に増えたと言うのだ。

 それともあれか、地球近傍小惑星が、一時的に地球の引力に影響されて、衛星になるやつか。

 誰か、二個の衛星による地球に与えられる影響をシミュレーションしてくれ。など天文学部的なことを考えて、頭を抱えそうになった。なったけれどできなかった。


 呪文が聞こえたのである。


 迷路の中で、何かがこちらに向かってくるのが見えた。

 細長い棒が踊るように上下されながら近づいてくる。それにちらちら頭が見えた。髪の毛ではなかったが、頭だと思った。最初に見た、彦星の小さい帽子が見えたのだから。


 理音はすぐに向きを変えて建物を背にすると、高い壁の方へ走った。

 壁は迷路と同じくうねり、時折折れたが、途切れることはない。

 そこを走っていると目立つのか気づかれて、下を走っていた者たちも壁の上によじ登ってきた。

 従者の格好の男たちだ。

 細長い棒を持っている男たちは、地面を走る。

 それが槍を持っている男たちだと気づいて、理音は恐怖を感じると、足を大きく動かした。

 大股にして滑り落ちないように、けれど素早く走った。

 背中のリュックの中で、何かがごっさごっさ言ったが、気にはしていられない。

 捕まったらどうなるのか、それが怖くてとにかく走った。


 従者たちは呪文を唱える。誰かが笛を吹くと、今度は前から従者が現れた。

 挟まれたのだ。

 もう逃げ場がない。

 抵抗はできなかった。しても逃げられないと思ったからだ。

 従者たちは、かなりの人数で理音を探していた。武器を持っている者も多い。ここで抵抗しても逃げられないだろうし、悪くすれば武器で攻撃を受けるかもしれない。

 従者たちの面持ちがそうさせた。

 恐怖心を抱いているようにも、嫌悪感を浮かべているようにも見えるのだ。

 けれど、皆、臆しているのは確かだった。

 理音を囲んでも、誰かが腕を掴んで引っ張ったりするわけでもなく、じりじりと間合いを詰めて、逃亡しないように周りを囲むだけだったのだ。


 促されるように連れていかれたのは、元の場所だった。

 つまり、ふりだしに戻ったのだ。


 そこにいたのはやはり織姫彦星で、円錐部屋に入れば、従者たちは通り抜けできる出入り口をその体で塞いだ。

 逃げ出さないように見張るのだ。

 大木の下にいた織姫は近づいてきた。

 男だが理音のつけたあだ名は織姫だ。名前を知らないのだから仕方がない。


 織姫は従者たちと違い、物怖じしてはいない。遠慮なく理音に近づくと、ぐいと顎をとった。

 無遠慮である。

 顎をとって顔を上げられたせいで、首がこきりと鳴った。

 何をするのか文句の一つも言いたかったが、先に口を開いたのは織姫だ。

 しかし、何か言われても呪文は呪文。音だけの羅列で理解はできない。


「離してよ!」

 まだ呪文途中の織姫の手を押しやって、それを外した。

 すると、顎に小さく痛みが走った。織姫の爪がかすったようだ。

 織姫爪長え。男のくせに。いや、織姫だからいいのか。

 織姫はまだ呪文を唱える。

 だから、何言ってんのかわかんないんだよ。


「もう、呪文わかんないのよ!つかどこここ!日本語話せ!ここは日本!」

 言って違うと思った。ここは日本ではない。地球ですらない。月が二個あるとかありえないのだから。

 けれど、自分は昨夜まで山奥の天文台に来ていて、これから星見というところだったのだ。

 見たい星がたくさんあった。それを楽しみに早朝バスに乗ってえんやこらと旅をしてきたのに、こんな二個月のある場所に来る予定はなかった。


 月が二個あるとかどんな場所だと言うのだ。

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