2. ー目覚めー
自分は、一体、何時間寝こけていたのだろう。
今日の予定の大四辺形も、天の川銀河も、見ることが叶わなかったのだ。
あれだけ楽しみにしていたのに。
落胆した。
それより失望した。
なぜ、気を失ったりしたのだろうか。
絶望を胸に抱いて、後ろの織姫彦星はそのための癒しなのかも、などと自分勝手なことを妄想して、理音は呪文を無視して外に出た。
扉はないので、そのまま出入り口をくぐった。
しかし、今度はロウソクで明かりを灯す部屋に入った。そこには彦星たちが数人いる。
いや、先ほどの彦星の格好よりも、もっと貧相な服を着ていた。
従者のような出で立ちだ。
徹底してるな。
やはり劇でもあるらしい。
イベントショーとはどんなものをやるのか、見てみたい気もしたが、それよりも落胆の方が濃かった。
二泊するには、キャンプ場の予約が必要であるし、泊まることはできない。夜まで待ったら、今度は帰れなくなってしまう。それは困るのだ。
もうため息しか出ない。
がっかりを胸にして、外に出ようとした。
黒の扉の前には、従者が二人陣取っている。
扉を開けてくれるのかどうか、けれど従者二人は扉の前からどくでもなく、お互い顔を見合わせて、またも困惑した顔を見せるだけだ。
いや、邪魔なんだけれど。
男二人を無視して扉に手をかけると、狼狽した声を聞いた。狼狽しているように思えた。
呪文を唱えてくるのだが、それでもおろおろと焦っている風に聞こえたのだ。
二人は理音に触ろうとはしない、ただ両手をさまよわせて、理音を止めるのか止めないのかと織姫彦星を確認したり、理音を確認したりする。
一体何なのだろうか。もう理解不能だ。
理音は遠慮なく扉を勢いよく開けた。ロウソクで照らされていた部屋は、入ってきた風にふっと流されて、影を揺らす。
しかし、そこはまだ外ではない。
理音は大股で廊下に進んだ。窓があるが随分レトロな雰囲気だ。格子がいくつかの四角の模様を型取り、異国風の情緒を感じさせる。
何と言っても、道行く人が皆従者の格好だ。数人すれ違っただけだが、皆同じように驚きの顔を見せてくれる。
一般市民が入る場所ではないらしい。
何せ理音は、制服にリュックを背負ったままだ。皆が皆織姫彦星とその従者の格好をしていれば、目立つのはもちろん理音なわけで、それが当然だった。
廊下をずかずかと我が物顔で歩むと、渡り廊下に出た。
外だ。
外はやはり明るい。
腕時計をチラ見した。そしてがっかりした。時計の針は十時過ぎを指している。
十時とは、一体何時間眠りこけていたのだろうか。
そして部の皆は一体どこにいるのだろうか。キャンプ場だろうか。
仕方なくスマフォをリュックから取り出した。慣れた手つきでメッセージを送る。
しかし、送信ができない。
再送しても送る気がないとはじかれた。よくよく見れば何と圏外である。
「ええ~!」
まさかのここで圏外だ。Wi-Fiもないらしい。
「勘弁してよー」
職員にキャンプ場がどこにあるか、教えてもらうしかない。
そう思って、更に奥へ進もうとした。けれど遮られた。と言うか、人が集まってきたのだ。
従者たちが、行く先を阻むように集まってくる。前も後ろもだ。
その数が意外に多くて、少し気味が悪い。
従者たちはやけに緊張した面持ちで、理音を取り囲み始めたのだ。後ろからは織姫彦星も近寄ってくる。
だからとっさに庭へ走った。まだそちらに人はいない。
走っていておかしいと思ったのは、そこがあまりに広大で、けれど庭園と呼ばれるような池や橋などがあったことだ。
灯篭のような石造りのものも、休憩所のような四阿もある。
それが日本庭園と同じであるかはわからないが、とにかく美しく整備された庭だというのは気づいた。
走っても走ってもその景色は続いて、けれど二度と同じ景色ではない。
遠くには白壁が見えたが、出口が見えない。どこか通り抜けられる場所はないか見回したが、広すぎてどこに何があるのか全くわからなかった。
走り込んだ先は木や岩が多く、視界を遮るのだ。
まさかの庭で迷子となってしまった。
ネットも使えないので、天文台の地図すら開けない。
それにしてもと思う。この天文台はこんなに広かっただろうか。
いや、広いのは知っているけれど、それはパラボラアンテナを動かす場所としての広さであって、このような情緒を感じさせる庭であるとは知らなかった。山の上であるから、土地は広大なのだろうが。
大体、なぜ自分は逃げているのだろう。まるで逃亡者か犯罪者か。
念のために言うが、自分は気を失って、ただ眠っていただけだ。何かしたわけではない。いびきとかかいたかもしれないが、悪いことはしていない。
何が悪いと言えば、彼らコスプレ集団が、妙な面持ちで人を囲もうとするからいけないのだ。あまりに異様な雰囲気で、つい逃げ出してしまった。その上での迷子である。
「もー、勘弁してよー」
走ったせいで、少し暑くなってきた。
リュックを下ろしてブレザーを脱ぐと、それをリュックの中に突っ込む。それからお菓子を取り出して、口にも突っ込んだ。
よくよく考えれば、夕飯を口にしていない。朝食なんてなおさら。
なので、木陰で休むことにした。買っておいたペットボトルもある。それがよく胃の中に染み込んだ。
思ったよりもお腹が空いていたのだ。夜から食べていないのだから、当然なのだが。
それで少し落ち着いて、もう一度スマフォを確認してみる。
やはり圏外だ。
これだけ綺麗な庭で圏外とは、観光客も困るだろう。田舎とかの問題なのだろうか。天文台で職員はどうしているのだろう。ネットが繋がれば問題ないのだろうか。はなはだ疑問だ。
そうして、道なりに歩いてみることにした。
しばらく行くと、白壁が目に入った。遠目から見た白壁が続いているのだろう。
それに沿って歩くと、くぐれる場所を見つけてそちらに折れた。それでも道は続いている。
もうこれは諦めて、道を進むしかなかった。さっきの場所に戻れと言われても、道を覚えていないから無理なのだ。
その先に進むと、更に迷子になった気がした。
白壁は、入り組んだ迷路のように続いている。
どれがメインルートなのかわからない。何せ細い道がいくつもの分岐を得ている上に、いつまでも続くからだ。
そして人に会わない。会わないからには、道を聞くことができない。だからもう仕方なく壁をよじ登ってみることにした。
この際人目は気にしない。どうせ人に会わない。
白壁には時折格子のある窓があり、そこに足をかけてうんと唸りながら上がる。
制服のスカートだが、中に短パンをはいているので、スカートがめくれようがそれは気にしない。
そうして、何とか壁の上に這い上がると、あっと声を上げた。
壁がが続く先には何もなかったのだ。
いや、あったけれども、理音が思っていたものは何もなかった。
それは、理音驚かすには、十分な景色だった。
「どうなってんの…」




