172 ー方法ー
そろそろ昼の時間なので理音はお暇だ。ここで昼を一緒にはできない。レイシュンの客としてここにいることになっているので、昼を二人と一緒にとることは身分上できないのだ。
理音にそんな身分などないが、レイシュンの客と言うのは大きい。
「ああ、そうだ。リンネさん。あの問題の植物ですが、今度燃やしてもらいますね」
「え、燃やして、平気なんですか?」
「木を切って根を掘って、乾燥させてから燃やします。ただし煙を吸わないために、広い場所で行なわなければなりませんが」
燃やした煙を吸っても死に至る。リンネは結局あの木が毒であることを知っていた。あの木を剪定することも、触れることも許されていなかったのだ。
命令はエンシから。昔からいる衛兵から聞いたそうだ。
エンシは毒として植えていた。リンネは特別な木だと思い、製法によって薬になるのだと信じていたが、それはないことを伝えればひどく肩を下ろした。
エンシの目的はわからない。けれど他の者があの木の毒で死なないように、注意はしていたようだ。
「あの木の毒は、簡単に人を殺せるものです。残しておいていいことはありません。レイシュンさんに許可は得ているので、近々燃やしてもらいましょう」
レイシュンがそれを本当に行うかはわからないが。
燃やすべきだと言えば、レイシュンは目を眇めて理音を見遣った。口元は笑っているのに、冷眼を向けられた気がした。
何を考えているか、一度間をとって、犯人を見つけたらね。とにこやかに返してきたのだ。その返答を聞いて、自分の考えに間違いはないことを確信した。
毒の使い方は教えない。あの木は毒だとは伝えてある。それをどうやって使うかなど、今は理音に聞かないだろう。聞くならウルバスを殺した犯人を捕まえた時だ。
どうやって殺したの?
その問いは当然起こる。犯人を捕えても、毒の使用方法を聞かないわけにはいかない。
それをジャカが言わない限り、理音も言うことはない。問われても理音は言う気はないが。燃やしてから教えると言うつもりである。その時にレイシュンがどう出るかはわからない。
レイシュンには殺したい相手がいるのは間違いない。あの毒の使い方を知っても、警戒される相手を殺すのは難しいのだが、それを伝えると方法を教えてしまうことになるので、何も語れない。
「あの木の毒を使ってウルバスさんを殺したことはわかっていますから、あとはレイシュンさんが何とかしてくれますよ。じゃあ、私はお昼に戻りますね」
「はい、午後の授業お願いします」
そう言ってリンネは頭を下げた。
午後の授業とは植物の肥料作りとその時期を教える授業だ。知っていることは全て教えようと、リンネに相談したら快く頷いてくれた。植物の育て方は知識のある人間がいないと何かと難しいのである。
理音は兵士を伴って建物を出た。
わざとらしかったかなあ。と思いつつ。後ろを振り向かないようにして城への道を戻る。
ウルバスを殺した犯人はジャカで間違いないだろう。その確信を持った。
毒がわかったと言った辺りで、ジャカが一瞬指先を動かした。握った手は汗ばんだのではないだろうか。
ウルバスを殺したジャカは恨み辛みでいっぱいだったのだ。ウルバスを許せない気持ちはわかる。しかし憎むあまり殺しては、ジャカに罪が及ぶ。
姉が死んでもウルバスはきつい罰を与えられたわけではない。父親の権力をかさにして、勤務先の移動を告げられただけだ。左遷と言っても大きな移動ではない。むしろ栄転だろう。この城で働き続けられていたのだから。
貴族の罰は緩かった。それが何より許せなかったのかもしれない。自らは遊郭に売られてまで妹を助けようとしていたのに。
ウルバスを殺した犯人が主犯であると思っていたが、事件は別物だ。ウルバスに噂を広げさせた者が誰なのかは分からなくなった。とは言え、ジャカをウルバス殺しの犯人だと捕えても、後味が悪いのは間違いない。捕えられたら平民などすぐに殺されてしまいそうだ。
「何とかならないかな…」
呟きは、空に吐いた白い息と共に消えた。
ごった返す城壁の中、広場に人々が集まっていた。簡易的に作られた屋台が立ち並び、地面に積まれた箱や板に商品が積まれている。
この冬最後に、商人たちが広場に集まり商品を売るそうだ。
この日を境に商人はこの町に入らなくなる。これ以降だと雪が降った場合自分の国に帰られなくなるからだ。
今季最後の売り上げのため、並ぶ商品も多く、わざわざ城の中で売らせている。城で働く人間へ優先的に買わせて、商人に利益を多く出させて税金を取るためだ。商人が来なくなれば経済も動きにくくなる。春までこの州は冬眠状態になるので、冬籠のためにも多くの商品を買わなければならない。
買い物は身分順のようで、商品の多い午前は貴族の使いが多く来ていたようだ。夕方になると身分の低い門番や城の側使えたちなどが屋台をうろつく。夕暮れになるとひどく冷えてくるが、この買い物が冬の間なくなると思えば、そんなことは言ってられないのだろう。とにかく大量に購入したいと、大きな荷物を持った者がよたよた歩いている様を見かける。
明日になれば町民たちも入り込むようだが、その時にはほとんど商品がないらしい。商人もできるだけ荷物を売りたいので、高級な物を多く運んでくるようだ。
この最後の買い物は貴族などの城向けのものなのだ。
荷物を城壁外の家に持ち帰る者のため、城門は開け放してある。もちろんこの広場は門と門の間にある広場なので、城内に入り込めないように衛兵が見張っている。自由に外に出られるだけで、城に入るには門で確認がされた。
「すごい人ですね」
「ええ。これから冬の間は物流が滞るので、買い求める者が多くおりますね」
ギョウエンはレイシュンから命令されて、直接理音につくことにしたらしい。この間の皇帝陛下発言が尾を引いているだろう。レイシュンは何を考えただろうか。
それを直接理音に聞くことはしなかった。今まで皇帝陛下のこの字も出さなかったのに、突然出してきたので、理音が本当にどこから来たのか調べ直しているのかもしれない。
それまでは時間稼ぎができる。はずだ。
「あれ、毛皮部族がいる」
「毛皮部族…」
理音の言葉に、ギョウエンがぷっと吹き出した。バラク族を見るといつも両肩にもふもふの毛皮があるので、ついそう言ってしまっただけなのだが。
「バラク族は比較的近くに住んでいますから、こう言った買い物にも来ることがあります」
山に住むバラク族の元にも商人は来るらしいが、城に集まる規模はそれとは違うので、この時ばかりは買い物に来るらしい。
男性だけでなく女性もいた。寒くなっているせいか、チョッキの毛皮ではなく、長袖の毛皮を着ている。すごいお金持ちに見える。合皮ではないから、天然物だ。普通ならお高いどころの話じゃない。そしてとっても暖かそう。
「これだけ人が多い割に、毛皮部族、おお、いきゃっ」
地面に転がっていた木の欠片に足を取られてバランスを崩すと、がしっと腰に腕が巻きついた。
すっ転ぶ前にギョウエンが片手で体勢を整えてくれる。
「ありがとうございます。腕の力すごいですね」
自分の体重を片手で起き上がらせるとは、身長があるだけ腕の力も強いのだろうか。
「あなたが軽すぎるのかと」
「え?そうですか?痩せましたかね!?」
怪我で食っちゃ寝をしなくなって、最近庭を歩いているお陰か、お腹が減って食べても太った気はしない。
筋力が落ちたせいで腕や太ももがぷにゃってきた気がしていたが、体重は減っただろうか。
勢い良く反応したので、ギョウエンが面食らって後ずさる。そんな逃げなくていいのに。
「いえ、痩せたかは存じませんが、とても軽いです」
やはりギョウエンに腕力があるだけのようだ。残念さでため息をつく。
「ずっと寝台の上にいたらぷりぷり太っちゃうところでした。歩けるようになってよかったです」
「ぷりぷり…」
「ぷりぷりですよ。働いているとたくさん歩くから、太ったりしないですけど。美味しい物ばっかり食べて座ってるだけだったら、簡単にぷりぷり」
メッセンジャーを卒業し、ヘキ卿の元で働けなかったら、後宮にずっといなければならない。ぼーっと四阿で一人いるのはごめんだ。あれこそ暇で眠くて、食べるだけ食べて太る。
「大人しくしてるの性に合わないんですよ。動いている方がいい。星を見るのは長くじっとしていても気にならないんですけれど」
「お爺様が星見とか」
誤解だが、否定しない。頷いて、祖父と共に星を見に行ったことを思い出す。
「うちの祖父は博識なんです。専門家なので頭もいいし、理解できるまで根気よく付き合ってくれる。おかげで星にも石にも、薬草などにも詳しくなりました」
偏った知識は盛り沢山だ。地学や宇宙科学、天文学の歴史やその他雑学の知識まで、祖父から貪るように学んだ。
山登りもするので足腰は鍛えられている。怪我さえなければ元気いっぱいなのだ。
「それでハク大輔の侍女、ですか」
あ、それまた聞いちゃう?ハク大輔のところで働いたことなどないけれど、もう何言ってもいいような気がしてきた。何を調べられても自分の存在は出てこない。男を調べない限り。
「ハク大輔は結構頭柔らかいですよ。私みたいなのと話してても怒らないですし。むしろお付きの方々の方がやきもきされているって言うか、驚いています。ほんと気を付けようと思う」
「…でしょうね」
ギョウエンはそうであろうと頷いてくる。それ、失礼だよね。
ツワにももう少し所作や言葉遣いについて学びましょうと笑顔で言われている。あの笑顔が怖い。怖くて頷くことしかできなかった。余程いけていないのだと理解する。
リン大尉のところにいた時の方が所作を気にしていたと思う。雇われている身は辛いのである。
「私はこの国の人間ではないので、身分差がよくわからないんですよ。私の国は身分制度がなかったので」
「身分制度がない…?そんな国があるのですか?」
むしろ、ないの?と聞きそうになる。民衆が王国を覆すのは今のところなさそうだ。
ギョウエンは驚愕しつつも嫌悪を表さなかった。貴族の前でそんな話怒られそうだと思っていたのだが。ギョウエンも異国の人間なため、身分制度に疑問があるのかもしれない。
もしかしたら自分の国が嫌いだったのかな。とちらりと思う。例えば、最下層の身分だったとか。
「私の国は民衆の中から選ばれた人が政治を行なっているので」
他の国じゃ王族処刑にしてんだぞ。とは言えない。それはさすがに言えない。世襲ってどうなの?とか言ったら自分が処刑される気がする。
「そんな国があるとは、信じられません。どの国も王がおり、それを取り巻く貴族と、その下層に平民がおります。国によっては奴隷もありますから」
「奴隷、ですか…」
近代でもあった話だ。身分制度があれば当然にあるだろう。戦争で負けた国の国民を虐げることなどありそうだ。
「この国はないんですね」
「ございません。この国は寛容なのです。貴族は貴族、平民は平民の仕事と分かれてはいますが、そこに差別はありません。平民であってもツテでもあれば親と違う職業につけます」
その言い方だと、他の国では親の仕事を絶対継がなければならないようだ。そんな国もあるだろうが、ギョウエンの言葉が強まったように感じたので、自分のことを言っているのかもしれない。
「古い習慣は中々変えるのは難しいんでしょうね。それでも身分を笠に力の弱い者を虐げる体制はいつか壊れますよ」
盛者必衰、栄枯盛衰。猛き者もついには滅びるのだ。フォーエンには頑張ってもらうけどね。
「そうでしょうか…」
その治世がどれだけ長いかわからないが。言おうとしてやめた。ギョウエンは力なく佇んだからだ。
ギョウエンの国は相当身分制度が激しいのだろう。故郷を思い出したか、青灰色の瞳から光が失ったように見えた。凄惨な生活を送ってきたのだと、そう言われた気がした。そこから逃げて、レイシュンの元で働くことになったのだろうか。
「力を持ちすぎると破綻するんでしょうね。そのままでよかったのが、力を欲しがる人はもっと強い力を欲しがる。そうして欲しがりすぎて自滅するんです。圧政は自らを苦しめるだけですから」
いつかは我慢も限界になる。民を軽んじる王は民に虐げられるだろう。それは歴史が証明しているのだから。
ギョウエンはその言葉に安心したか、小さな息を吐くと、そうですね。と柔らかに言った。
他の国のこと。この国のこと。自分は知るべきなのだろうか。
ギョウエンを見ながら、そんなことを考える。
この世界にいる限り、自分はこの世界のことを知りたくなるだろう。
フォーエンのために。