エピソード
まず、迷子になったらスマフォで地図を確認。その場所がわからなければ、電話をすればいい。
メールでも何でも、親や友人、警察でも、連絡する場所なんて圏外でない限りどうとでもできるものだ。
念のため、充電切れを気にしてバッテリーの予備充電と、ソーラーパネル型の充電器も持っている。何も心配することはない。
大体、近くの天文台からすぐ側の広場だった。遭難することも迷子になることもないだろう。
星を観察している時に、タブレットの充電が切れないかだけ心配すればいい。天体観測に必要なアプリは、既にスマフォにもタブレットにも入っているのだから。
予定外の事柄は起きるものだ。それでもそんなものは対処できると思っていた。
けれど、それすら叶わない場所へ来てしまったのだ。
たった一泊の天体観測だった。
ただそれだけだったのに。
早朝、東雲理音は自ら溢れる浮き足立ち感を隠しもせず、駅からのバスに乗り込んだ。
始発のバスだけあって、人は数人しか乗っていない。背負っていたリュックを下ろして後部の座席に座り込み、スマフォを使って友人にメッセージを送る。
『今、バス乗ったよ』
間もあけずに返信が来る。
『私これから駅行く。今日、楽しみだね』
そう、楽しみにしていた。
今日は、初めての泊まりでの部活動。天文部で行われる、一泊二日の天体観測なのだ。
いつもは学校の屋上か、近くの天文台を借りての観測が主流だが、今日は空の暗さが濃い場所での活動になると言うことで、心がはやった。
何と言っても、地元から可視で確認できる星など北斗七星か、オリオン座程度のものだろう。
天の川など見えるわけがなく、目で見る天の川銀河は初めての経験になる。
これがテンション上がらずにいられるものか。
天気だけが心配だったが現地は晴れ、風もなく霧も出ないとのこと。夜が楽しみでならない
今日見る予定の星は、まずは秋の大四辺形。ペガスス座とアンドロメダ座を結ぶ大四角形だ。
ペルセウス座などのギリシア神話に出てくるメジャーな星座たちを物語を思い出しながら眺め、ついでに自分の星座の魚座なんぞも確認する。
メインの天の川銀河は、きっと想像以上のものであろう。
とにかく、楽しみで楽しみで、夜眠れないほど楽しみにしていたイベントなのだ。
なので、始発のバスに乗るために起きるのも苦ではなかった。
バスの中でがっつり寝てやろうと思っていたので、何の問題もない。
バスは五時間ほど乗る予定で、そこから別のバスに乗り換え現地へと赴く。
部活動での遠出だが、顧問が来ることはなかった。
自主的な合宿みたいなもので、費用ももちろん自費だ。
部の中で一度は遠出して星を見ようの意見が出たため、全員一致で行動に移すことにしたわけで、部活動と言う名の旅行になる。部員が女しかいないので文句を言われることもない。
そのため、現地までは自分たちで勝手に行くことになっているのだ。
丁度、地元駅からバスが目的地の近くの市まで一本で行くので、理音はそれに乗ることにした。
他の子達は電車に乗ったり、親に車で送ってもらったりと色々だ。
泊まる場所は、これから行く場所の天文台側にあるキャンプ場だった。
シャワーもベッドもある素晴らしいキャンプ場だが、シャワーを浴びることもベッドを使うこともないだろう。
一応、現地で地面に座ることを考えてシートも持ってきた。
向こうで着るパンツや上着も持ってきている。念のため、下着も持参した。
山の気候は難しく、もし雨でも降ったらと先輩からの助言の元だ。なので、リュックの中には着替え一式が入っていた。
最初からパンツ姿で行ければ、そんな荷物にもならかったのだが。
理音は、赤のチェックが描かれたスカートと濃い紺色のブレザーを着ている。
つまり、制服だ。
部活動と言う名の旅行ではあるが、天文台の施設も使用させていただけると言うことで、まずそこでは制服を着用するようにと顧問に義務付けられた。
なぜなら、学校の部活動として予約をしているからだ。
それで何で顧問が来ないんだよと文句も言いたくなるが、顧問は運動部を牽引しており、今日は近くの学校と練習試合があるらしく、そちらへ行った。
と言っても、いつも天文部に顔を出したりしないので、試合がなくとも来ないだろうが。
それはさておき、なのでリュックの中は、着替えに寒さ対策の上着。充電器二個とタブレット。お菓子と水に文房具その他色々と、それはしっかりとした荷物となって今席の隣に置いてある。
食事はバーベキュー場で用意してもらえるので、それは必要なかった。これで食料も持っていかなければならなかったとしたら、大層な大荷物であっただろう。
それでもいい荷物を持っているのだが。
そんな荷物も、今日の夜のためであれば何てことはない。
その夜のために、理音はバスの中で寝ることにした。
このバスには終着まで乗るので、寝過ごす心配はない。
背もたれに頭をつけると、がっつり寝ることにした。
少しすれば高速道路に入り、信号で止まることもなくなる。何度か停留所に止まるだろうが、高速道路に入れば止まることはないのだから、人の出入りも少なかろう。
そういうわけで寝ることにした。
昨夜眠れなかったのを思えば、簡単に寝入ることができた。
今日の予定は、天文台で説明をいただき星を見せてもらう。その後外に出て、夜までに望遠鏡の用意をする。
キャンプ場で着替えればいいだろう。秋とはいえ山のいただきは少し寒い。夜ならなおさら。
ただ、空が闇に包まれる頃になると、もう空への視線を止めることができなくなっていた。
「この暗さですでに見えるんだけど」
「いや、もうちょっと待たないと。さすがにまだ早いよ。今七時だよ」
「七時で十分金星でかい」
「いや、金星夕方でも見れるし」
興奮状態の天文部員たちは空に目線が釘つけだった。リュックを背負ったままの理音も、首が疲れそうなほど上を向いた。
「天気いいね。よかった。崩れそうにない」
先輩が言うように空には雲がない。風もないため、雲が流れてくる様子はなかった。今日は月もないので邪魔をする光はない。もっと闇が濃くなれば、多くの星が見られるだろう。
キャンプ場へ向かう道を歩いていただけだった。天文台からそこへ行くにはとても近いのだが、星を見るための広場の方が先に到着できる。キャンプ場はそこからもう少し先だった。
そうなると広場で足を止めるのは当然のことで、部員たちはようように空を見上げることとなったのだ。
「空、近いな」
普段見ている空より地面に近いのは当然なのだが、それでも近さを感じた。開いた場所で、何も遮るものなく天があるからだろうか。
可視できる星が広がっていく。
まばゆく輝いて目に入るのは過去の光だ。それをロマンと考えるのか悲哀と考えるのか。
ここから見える星のあまたがすでに死んでいる星だと思うと、理音は不思議な思いを感じた。
「過去の光って、変な感じ」
ぼんやりと見ているだけで飽きない。先に進んでいた先輩たちがさっさと来いと急かすが、どうにも上ばかり向いて歩みは進まなかった。
「あ、流れ星」
一瞬の瞬き。すっと空を通って消えていく。
それが一つ、二つ。
「理音ー、早くー」
呼ばれて数歩進んで、また空を仰ぐ。
星は流れた。まるで流星群のように。
「今日、流星群なんてないのに、星すごいな。流れすぎ」
願いを三回。
流れ星が流れている間に、願いを三回唱えたら、願いが叶う。
子供の頃そう教えられて、流れ星を見て何度もお願いした。その願いは忘れてしまったのだが、その願いを唱えた数日後、祖父が突然亡くなった。
そのせいで、流れ星は不吉の予兆だと思っている。今でも思っている。
地元の空で、星はほとんど、まず見られないからの話なのだが。
これだけ星が見えて流星群が流れたりしたら、どれだけ不吉なのかと言う話だ。
だから唱えてみた。
「今日は良い日。良い日。良い日」
星はいくつも流れた。流星群は今日はないはずなのに。
「ないよな。流星群なんて」
そう友人に問うつもりだった。いつまでも仰いでいたのをやめて、前を歩いているだろう皆を見るために。
けれどそこには何もなく、草の海原の地平線が続き、その上を闇と星とで彩るだけで、他の全てが見えなかった。
「あれ。みんな、どこ行っちゃった」
暗闇で、けれど星が瞬いて、闇が深くなればなるほど、空が近づいてくるように思えた。
道の先は空で、それすらも近くなってくる。
錯覚か、星がやけに明るく見えて、けれど闇は深くなるばかりで、どこかめまいがしそうになった。実際した。
星の光が眩しく感じる。それがつらくて目をつぶった。
地面が揺らぐ感覚に陥って、まぶたの中でも星が瞬いた。
その光ですらまばゆく感じた時、今度は闇に吸い込まれた。
前も後ろも何も見えない。
ブラックアウトだ。
つまり、気を失う前だ。そう思った。
学校の朝礼で長い間校長が話しすぎて、体の弱そうな子が貧血を起こして倒れる、あれだ。
経験などないけれど、そうではないかと思った。
その時は。
今日は良い日だ。
そのはずだった。
天気もいい。雲もない。風もない。遮る月の光もない。
ただそれだけで、完璧な日のはずだった。




