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 ボクは芙巫女をおんぶしている。

 体温を確保するべく、僕との接触面積を増やすため、胸だけ男性形態。真っ平らだ。

 せめてもの楽しみは完全に失われた。絶望だ。


「仕方がないでしょう。間があるとないでは、体感温度に5℃程度の差が生じて、わたしの思考能力に2割くらいの差が出るのよ。…なんならあとで、膨らませたおっぱい揉ませてあげましょうか?」


 背中で寄せて上げるような動きを感じたが、残念ながら、今はなんの柔らかみも感じなかった。


「恥じらいというスパイスのかけたおっぱいは、生クリームのないケーキと一緒だ。」

「せっかくタダなのに…」

「タダだからといってなんでも喜ぶほどさもしい人間じゃあないよ。」

 ボクは、芙巫女のジャージに包まれた細い太ももをがっちりと掴む。

 ちなみに、芙巫女は防寒のため、制服の下にジャージの上下を二重に(ボクのと芙巫女のと)着用していた。

 いわく、古くから伝わる、女子中高生の防寒方法らしい。ボクとしては、理解しづらい格好だ。

 確かにスカートは寒いだろうけど、タイツを履くとか、もう少しかわいらしい防寒をすればよいのにと思う。


 芙巫女は顎をボクの左肩に乗せて、顔をすり寄せて、手に持っていた厚手のストールをボクの首と芙巫女の首とをまとめてぐるぐる巻きにした。


「わたしの神経系は、ヒト種と同じで頭に集まっているのよ。頭はなるべく冷やしたくないのよね。」


 芙巫女の吐息が頬をくすぐる。芙巫女の長い睫毛が、頬に影を落としていることに気づいた。

 黙っていれば人形のような顔に思わずドキドキする。

 作り物とはいえ、顔がいいってズルい。中身は痴女で幼女なのに。


「では、しゅっぱーつ!」

「はいはい。」


 冷蔵室の扉を開けると、体中に冷たい風が吹き付けてきた。

 部屋の中は窓も無いので、真っ暗だ。

 扉から入る光を頼りに壁際にあるスイッチを入れる。

 すると、青白い蛍光灯であたりが照らされた。扉を閉める。

 部屋の中央には大きな実験用の黒い机がある。

 その机の上には、ジッパー式の無機質な黒い大きな袋があった。高さ160センチ、幅60センチといったところ。

 ボクには、そこから、触れてはならない気配が発されているように感じた。

 肩越しに芙巫女を見ると、真っ青な顔で歯をガタガタ言わせていた。

 美少女として、ちょっと人様には見せられない顔だ。


「一度出ようか?」


 風を切るように思いっきり首を振る。

 ジャージで完全防寒した足が、黒い袋指し示したあと、ボクの体にギュッと巻きつく。

 ボクはため息をついて、黒い袋に近づき、ジッパーに手をかけた。

 芙巫女を振り向くと、首を縦にふる。


 見たいか、と言われると、見たくはない。

 だが、せめてちゃんと、お別れくらいは言ってもいいのかもしれない。

 謎を解く、という気持ちはないが、芙巫女の言う通り、死者と向き合うのは大事なことかもしれない。


 ボクは瞳を閉じて、一息にジッパーを下ろした。ぱさり、と袋が観音開きに開かれる。


 そこで、月子は幸せそうに眠っていた。


 生きていた時のような、かわいらしい頬の赤みはない。

 しかし、とても穏やかな微笑みが、そこにはあった。

 まるですぐにでも瞳を開きそうだ。


 月子に見惚れていると、ぶすり、とボクの脳みそが背後から貫かれた。

 痛みはないが、異物が体内に挿入されている違和感。

 違和感の元を絶とうと、首を振ろうとしたところ、頭の中に声が響いた。


『触手を通じて、あなたの脳と直接話せるようにしたわ。』


 驚いて芙巫女を見ると、相変わらず物凄い顔で、歯音を立てていたが、片目をうっすらと瞑ろうとしていた。不恰好なウィンクだ。


『音声を使った会話は、今の私には不可能なので、しばらくこれで話させて。サヤの体に害はないわ』

「わかった。それで、ボクはどうすればいい。」

『ツキコの首元に近づいてちょうだい。』


 言われた通り、月子の頭側に行き、首元を覗き込む首にはうっすらとロープの痕が残っていた。


「死因は、絞殺だ。」

『いいえ、わからないわ。採水器に縛り付けられた痕かもしれない。…違うわね。手首と足首についているロープ痕と、首のロープ痕が微妙に違うわ。』


 芙巫女の言う通り、首のロープ痕の方が、ロープの幅が太いように見える。

 ロープの痕以外は特に体に痕はなかった。


『ねえところでサヤ…寒いから早く出ましょう?』

「もういいのかい?」

『ええ。あとは、乗船者の話を聞くだけで、犯人がナゼ、ツキコを殺す必要があったかがわかるわ。もはや新しい情報のない場所に長居する必要はない。』


 ボクの脇腹を足で叩いて、外へと促す芙巫女。

 ボクは黒い袋を元どおりに治した後、扉のノブと手を伸ばす。ノブを捻る。…がちゃり、と音がした。


 アレ?


「開かない…?」


 七海丸は就航して10年以上経つ。建てつけが悪かったかなぁ、と思い何度かノブを捻るが、無情な金属音が鳴るだけだった。

 指先の感覚を強化する。扉のギミックの状況を確認する。鍵がかかっている!?


「芙巫女、鍵かけた?」

『そんなわけないじゃない。それに、ここの鍵は外に付いてるわ。どうやって内側からかけたっていうの。え…閉じ込められ…た?」


 芙巫女の言葉に、ひやり、としたものが背筋を通る。閉じ込められた。なぜ?


『今回はナゼよりも、どうやってここを出るかよ。命に別条はないかもしれないけれど、こんな寒いところにずっといるわけにはいかないわ。』

「…そういうわけにはいかないみたいだよ。」


 ボクは壁面についているデジタル温度計を指し示す。

 数値は0を示しており、コンマ単位で下降を続けていた。それが意味するのは…


「室温が下がっていってる。」


 吐息が白く変色していた。冷蔵室に入った時には無色透明であったはずだ。

 温度計で客観的に室温が下がっていっていることに気づいて、体感温度がとてつもなく低下した気がした。

 背負っている芙巫女の体が震え出す。

 ただでさえ色白な彼女の顔が、青みを帯びて透けるような白さになっている。


『出口はこの扉だけ?』

「排気孔とかあるかな…」


 排気孔を天井に見つけるが、あいにく人が一人通れるサイズではなかった。

 外界と繋がるためには、鍵をかけられた扉を開くしかない。


「芙巫女。ごめんね。ちょっと下ろすよ。」


 芙巫女を床に下ろす。悲鳴があがったが、今はそれに構っている暇はない。

 温度計は氷点下を示している。指先が赤くかじかみ出した。

 ボクは内腿からアンプル瓶を取り出し、柄を折る。中に含まれる紅色の液体…血液を煽る。

 喉が、胃が…血液が通ったあとが熱く沸る。


「【強化ウクレプニェ】。」


 血液を腕から指先にかけて改めて集中。

 一時的に脳に使う血液量を減らして、思考能力が減退する。

 視界が歪むが、今は無視。ドアノブを掴み、無理やりねじる。…あっ。


「ねじ切れた。」

『この単細胞ばか!』

「ボクは多細胞だよ!」


 ドアノブだけが取り外れた。鍵のギミックは扉に残されたままだから、扉は開かない。

 むしろ、より開かなくなった。仕方がない。扉を引きちぎる!

 ボクは扉のヘリに指をかけた。


『待ちなさい!それで更に歪んで開かなくなったらどうするの。』

「でももう力技しかないだろう。」

『わたしがやるわ。』

「でも芙巫女は今、動けないんだ…ろ…」


 床に降ろした芙巫女を見下ろすと、彼女の体が透明なゲル状に溶けていた。


「うわあああああああああああああああっっっ!!!!!」

『びっくりさせたかしら。ごめんなさい。』


 ボクはびっくりし過ぎて尻もちをついた。

 伸びる細い管がボクに繋がっていることで、辛うじてそのゲル状の物体が芙巫女であることがわかる。

 そんなボクを余所に、それより、と頭の中に声が響く。


『わたしを全力で温めなさい。そうすれば触手が使える。開錠なんて1秒でやってやるわ。』


 彼女は頼もしい声でボクに近づいてきた。


「その不定形でも移動できるんだね。」


 現状を棚に置いたような考えが頭をよぎる。これを現実逃避と、人は言う。


『悠長に話す時間はないわ。わたし、とても眠いの。お願い、早く…」

「1秒でも温まればいいんだね。わかった。」


 ボクは自分の左腕に噛み付いた。犬歯を思いっきり突き立てて、顎を引く。

 よし。腕に切れ目が出来た。

 ボクはその腕を、引きちぎる。

 噴水のように、水鉄砲のように溢れ出す、暖かな血、血、血。

 心臓に押し出されるそのボクの体液を、芙巫女に思いっきりぶちまけた。


「これでど…う…かな…?」


 不定形な芙巫女がドアにへばりついたのを尻目に、ボクは意識を手放した。

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