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ツキコの部屋に行きましょうと言って、芙巫女は甲板を後にした。
「ツキコに会いに行きましょう。」
「…行かなきゃダメかい?」
「行きたくないの?…やっぱり愛しているんじゃない。」
「それは飛躍しすぎ。自慢することでもないけれど、ボクは人の死をたくさん見てきたから、人の死には慣れているよ。それでも、これ以上慣れないで済むには越したことはないんだ。」
「そう。なら貴方は、これ以上、死に慣れないようにするためにも、ツキコに会いに行くべきだわ。貴方がどんな感情をツキコへ持っているかはわからないけれど、ツキコともう一度、向き合うべきだもの。」
「発言は任意同行なようで、強制連行じゃあないか。」
ボクのウェストには触手ががっしりと巻きついていた。歩かなくても、芙巫女はボクを引きずっていく。
「わたしは何が何でも人間観察のために、この事件の謎を明らかにするわ。でもそのためには、貴方が必要なのよ。わたしは人の情動を知識では多分に知っていても、現実に人を見るのはこの航海が初めてなの。だから、わたしの思考と他人の情動や思考に大きな差異がないかを確認しながら、物事に当たらないと、正確に状況を把握できる自信がないわ。」
「そもそも、事件の謎を明らかにしたからと言って、色恋沙汰が起こるとは思わないけどね。」
「でも可能性が少しでも上がるなら、やるべきだわ。それに、わたしが、ヤルと決めたのよ。決めたことを今更覆すなんて、時間の無駄遣いだわ。」
決意が堅そうな芙巫女を見て、ボクは仕方がなく自分の足で歩き出す。
「ヒト種の理解できないところは、時間に対する考え方よ。ヒト種はたかだか30000日程度しか生きられないというのに、一度選択したことを、コロコロと変えて時間の浪費をするのよ。時間を掛ければもっと上手くなる?時が来るのを待っているだけだ?そんなことしていたら、あっという間に生殖不能年齢だわ!」
「芙巫女にとっては『時は金なり』でなく『金で時を買え』ってとこだね。」
時間でお金を貰っているサラリーマンは泣きそうだ。
「生活を維持するための金銭の対価として、時間を支払っている、というのならば理解ができるわ。とても割に合わない交換だと思うけどね。」
「エスパー!?」
「サヤの表情を見ればわかるわ。だって、わかりやすいもの。」
文章が読み取れるような複雑な表情をしていたのか。ボクは。
「サヤの表情の読みやすさは、わたしにとっては居心地良くて素敵だわ。」
「バケモノに褒められても嬉しくないよ…っと」
生産性のない話をしているうちに、月子に充てがわれた部屋にたどり着いた。
ここの入り口にもご丁寧に、KEEPOUTのロープが張られている。
芙巫女は平然とロープを潜ったが、ボクの足はなかなか動かない。
この先に月子の死体があると思うと、ボクの目の前に見えない壁があるようだった。
「何を突っ立っているの?」
バケモノ様に部屋へ引っ張り込まれる。ボクは思わず目を閉じて顔を背けた。
そこでは、肉の腐った臭いが…あれ、しない?
目を開けると、散乱した部屋の中で、芙巫女が床を見聞していた。
「月子がいない?」
「みたいね。…随分と荒らされているわ。」
部屋に死体はないものの、衣類や書物、実験用のサンプル瓶で床が見えなくなっていた。
備え付けの椅子も、ソファーもひっくり返っている。
天井に大小様々な配管が剥き出しの部屋であるのが相まって、部屋の中心で爆弾でも爆発したのではないか、という有様だ。
「危ないわね。」
芙巫女は部屋の片隅にある延長ケーブルをコンセントから引き抜いた。
5メートル程度の延長ケーブルの先には月子の私物だろうか、15インチパソコンと思わしきモノが繋がっていた。
思わしきモノ、というのも、辛うじて液晶画面があることがわかるが、基盤ごと叩き折られて、もはや、何らかの電子機器にしか見えない無惨な姿になったモノだからだ。
その横にプリンターと思われる四角い物体も転がっている。
「パソコンが壊されているのが不思議だね。」
確かに、部屋は何かを探したかのように荒らされているが、パソコン以外の物は破壊されていない。
逆を言えば、パソコンを破壊しなくてはならない理由があったということになる。
「単純に考えれば、犯人としては見られたくないものが、ハードディスクに隠されていたってところかな」
「わからないわよ。恋愛ポエム作成中に誰かが部屋に来て、データを消そうとしたら勢い余ってパソコンを壊しちゃったのかもしれないわ。」
「どんなドジっ子だよ!」
「ついこの間、わたしもポエム隠そうとしてパソコン壊しちゃったのよ。」
「まさかの実話!」
「触手がキーボードごとハードディスクを貫いちゃって…」
「指で打て、指で。」
「繊細な作業は触手の方がやりやすいのよ。指だとハードディスクどころか、勢い余ってパソコンが散り散りに弾け飛ぶわ。」
芙巫女の手には触れないようにしようと決意した。
「シモさんは、あくまで現場保存の観点から、この部屋に入らないようにと言ったんだろうね。」
月子を安置しているから、という意味ではなく。
「と、なるとツキコはどこにいるかしら…警察が来るまで、つまり数日間、ヒト一人を保存できるような低温な場所…」
「冷蔵室だ。」
研究船には必ずと言っていいほど、冷蔵室、冷凍室が完備されている。
というのも、船上で実験をする場合、船に試薬を持ち込む必要があり、試薬によっては冷蔵、冷凍保管を要するものがあるのだ。
また、海水や海洋生物をサンプルとして持ち帰る場合、腐らないように保管する場所としても必要だ。
この七海丸も例に漏れず冷蔵室、冷凍室が存在する。しかも、冷蔵室に至っては、低温下で実験ができるように、10畳近いスペースが確保されていた。
月子一人ぐらいなら、余裕で保管できる。
芙巫女は覚束ない顔をしていた。
「…できれば行きたくないわね…」
「ずいぶんと嫌そうだね。」
「わたし、寒いところに行くと活性が下がるのよ。具体的に言うと、4℃を下回ると代謝が8割低下して、触手はほぼ使えなくなるわ。冷蔵室ならまだよいけど、冷凍室は絶対にダメね。ヒト種の変態が溶けて元の姿に戻るどころか、シード形態になってしまう。」
「シード形態?」
「冬眠形態、とでも言えばいいかしら。植物の種と同じで、外環境が自分の体を維持するのに不適になったときに、外環境の状態に耐えられるようにする形態よ。意識もなくなるわ。」
「芙巫女はバケモノの割に、弱点が多いよね。」
「バケモノバケモノ言っているけれど、わたしは、ほんのちょっとだけ他の生物種のモノマネが得意で、ヒト種よりほんのちょっとだけ力の強い生き物よ。バケモノと一括りにされて、強いものだと思われると困るわ。」
確かに、ボクだってバケモノの類いだが、弱点はある。
「悪かったよ。それで、冷蔵室には行くの?」
「行くわ。ただ、一つだけ、サヤにお願いがあるの…」
美少女の皮を被ったバケモノが、上目遣いでボクを見てくる。
楽しい予感は、まるでしない!