十一話 『本の数だけ記述は変わる』 -0
【『本の数だけ記述は変わる』 -0 】
黒い色は、好きで嫌い。ロットちゃんは好き、あの人は大嫌い。会いたくなかった。あの男には。どうして助けようと思ったんだろう。何のつもりで私はあんなことをしたんだろう。私に酷いことをした人を、私が許したら……守ったら。私が綺麗になれる気がした? 違う。もしあの人を見捨てて、その死を喜ぶ私に私が気付いたら。私はそれが怖かった。それを知りたくなかったから、私はあの人を庇ってしまった。勿論、お礼なんてない。パーティが危機に陥っただけ。
(なにしてるんだろ、私)
何をするでもなく……部屋の片隅をじっと見ている。その内に日は登り、日は沈む。「食べる気がしない」という私にロットちゃんが私に買ってきてくれた、味も素っ気も無い栄養薬水だけを消費する。
(レー君の、お見舞い……行かなきゃ)
ロットちゃんに、誘われた。でも行けなかった。私の力が足りなくて、彼にも消えない傷や後遺症が残っていたら、そう思うと……とてもじゃなくて。
「ただいま。これお土産」
「おかえりなさい、ロットちゃん……ありがと」
「食べないの? この私がポケットマネーで買ってきてやったのよ? 」
「……うん、あとで食べるね、ありがとう」
「マリー……もう一週間もまともに食べてないでしょ? あの栄養薬水だけじゃ身体に良くないわ。死にはしないけど……ちゃんとした物食べなきゃ頭に血が回らないわよ? 」
「うん……わかってる」
「この手は使いたくなかったんだけどね……今すぐ食べないなら、私にも考えがあるわ」
そう言って、ロットちゃんが何かを口にする。数秒後にちょっとだけ伸びる背丈と、キツくなったり布が余ったりする彼女の装備。ミザリー戦で使った飲み薬だ。
「マリー? 私に一口ずつ、口移しで食べさせられたい? 」
片手で私の顎を掴んで、ロットちゃんが顔を近づける。もう片手にはお土産のパンが詰まった袋がある。
「じ、自分で、食べます」
「よし、偉い! 」
顔を赤らめ狼狽えた、私の頭を軽く撫で……ロットちゃんはお土産を私に押しつけた。一口、二口……味のわからない食事を始める。それでも平気な振りをしないと。ロットちゃんに心配をされてしまう。
(ロットちゃんが傷付いたのは、私の所為。レー君が倒れたのも……私の所為)
マリスに言われるまでもない。私は足手纏いなんだ。ここに居ちゃいけない。どこに居てもいけない。初めから……私なんか生まれてこなければ良かったんだ。私はそういう人間なんだ。
(二年前も……ロットちゃんだった)
私の傍に、居てくれた。あれから私の大事なものは増えたけど、掛け替えが無いものはそのまま変わらず、大切で。今もこうして……私の傍にいてくれる。
《だから、取り戻したかった? お前が安心するために》
(ち、違う! )
《お前の騎士は、お前の所為でこんなに傷付いた。お前が誰かも知らない癖に》
頭の中に響く、マリスの言葉。それが私の妄想、幻聴なんだと解っていても……私はそれを振り払えない。その声は、二年前と同じ言葉を私に何度も繰り返すから……
《お前は何を返してやれた? 一番近くの人間を、守れないお前だ。お前に全てが救えるはずがないだろう? お前は……》
(私は……)
“勇者失格だ”……重なり聞こえるその言葉。私の存在その物を、根幹から否定し滅ぼす呪いの言葉。食事をする手も止まり、泣きそうになる私の耳に……低めの声のカウントダウンが始まった。ロットちゃん、だろうか?
「5……4……3……」
慌てて涙を拭い、食事を再開しようと試みる……だけど私の手からパンが消えている。
「あ、あれ!? 」
「2……1」
一度は警告された。一瞬でもそれを忘れた私を懲らしめるため? ロットちゃんは遠慮が無かった。容赦も無かった。だから私に無理矢理一口、食べさせた。
「無駄なこと、ぐだぐだ考えないの。解ったらちゃんと味わって食べること! あんた普段から言ってるでしょ? 無益な殺生どうのこうの。あんたがあんたを殺しちゃはっきり言って矛盾だわ。自分の言葉を信じてるなら、責任持って守りなさいよ」
怒っている風を装って。だけど本当は照れている。それならこんなこと、しなきゃ良いのに。いつものような余裕がない。
「ロットちゃんは……みんなに、こういうこと……出来るの? 」
「ぶはっ! な、何言うのよあんた! 」
私の言葉に吹き出した彼女は、今手にしたばかりの本が汚れてしまったと悲しそう。
「目の前で死んで貰って困る相手以外に、こんなことする訳ないでしょ? 」
「それじゃあ……私のこと嫌いじゃないの? 」
「面倒臭い女みたいなこと言うわねぇ……そういう所、嫌われないように気をつけなさいよ、私以外から」
「ロットちゃん……大好きっ! 」
「はいはい」
抱き付いた私から顔を背けて、適当にあしらう彼女。だけど覗き込んだ横顔はやっぱり照れている。そんな彼女に奇妙な安心感を感じながら、私はモソモソと……固形物の食事を咽へと通した。
(不思議……)
こんなに近くに男の人がいるのに、ロットちゃんだと平気だ。元々が女の子だからなのかな。ここでは一番長い付き合い。こうして薬で外見が変わっても、いつもの彼女との類似点を幾つも見つけられる。本を読む時にちょっと背中が曲がる癖、眠くなると始まる頬杖……でも興味がないわけではなくて、本へと触れる指は早く早くと次のページを急かすよう焦り、たまにね……上手くページを捲れないこともある。
「何? 」
「……あ、あのね」
私の視線が気になったのか、ロットちゃんが声をかけてくる。
(ロットちゃんが……男の人だったら、良かったのに)
そう思った。それを口から零しそうになって、私は慌てて自分の口を手で塞ぐ。
(な、何考えてるの私! )
挙動不審になる私を訝しみながら、ロットちゃんは私にカードを一枚差し出した。
「あ、そうだ。これ、あんたの免許だって。私らこの間のことで特級免許に更新されたみたいよ」
「え!? な、何で!? 」
驚いて、私が落としたパンをロットちゃんが魔法で浮遊させ、床への落下は防がれた。彼女は私を黙らせるよう浮遊する一口を、そのまま私の口へと放り込む。
「口封じって事でしょ、あの一件の。でもまぁこれで、卒業の方も何とかなりそうね。レインにはコントが渡しに行ってくれたわ」
「お見舞い、行かなかったの? 」
「あー……どっから話すかな。色々あったのよ。あ、ちょっと待ってて」
部屋の扉を凄い勢いでノックする音が気に障ったのか、ロットちゃんはこめかみをヒクヒクさせながらとっても良い笑顔で扉へ向かっていった。扉を開ける直前に、個々が女子寮だと言うことを思い出し、変身解除の薬を口に含みながら。
「うっさいわね何よあんた! 寮の中まで新聞のセールスに来るたぁ舐めた真似してくれるじゃない! 私は絶対取らないわよ! 鐚一文払うもんですか!! ……って、な、何よあんた。あんな偉そうなこと言ってむぐっ! 」
何事だろう、揉めている。毛布を頭から被りながら、私は恐る恐る戸口へ近付く。
「……ナイトさん? 」
「久しぶりだな、ハーツ」
嫌だ、こっち見ないで! 一週間ぶりに会う彼は、何故か煌めいていた。焦ったような顔つきがまた妙な色気を感じる。私は毛布に隠れてその場に蹲る。
「あー……最近刺激の無い毎日だったからか、男見てなかったからか……マリーのときめき指数がやばいのよ。今のあの子、あの影使い以外なら誰とでもフラグ立ちかねないわ。それ見越してちょっと手は打ったんだけど……無駄打ちだったかしら」
「そ、そんな症状があったのか? 」
「難儀なもんよねぇ……離れすぎても近付きすぎても駄目なんだから。仕方ない……マリーこれを見なさい」
溜息と共に、ロットちゃんが私の毛布に何やら本を差し入れる。間もなくして私の毛布が血に染まるのを見た……彼女が勝利を宣言する声を聞く。
「貴様は何を見せたのだ? 」
「腐川先生の新作。オーク×女装少年。騎士×少年が前提の|NTR(寝取られ)物よ? 今日発売の」
「なるほど全く意味が分からんが……この一週間、楽しそうだったんだな貴様だけは」
「何よ! 私はマリーを元気付けるためっ……腐川先生と一緒に、至高の一冊を作り上げたのよ!? 大体あんた何しに来たのよ。あんな格好付けて俺が俺が! って言ってた癖に」
「事情があるんだ! これを見ろ!! 」
「何これ……? レインの写真? 日付が随分違うけど、これ魔法の念写ミス? 」
「レー君が、どうかしたんですかっ!? 」
「マリー、鼻血拭いて止血しながらからこっち来なさい」
毛布から顔だけ出した私を見、ロットちゃんが冷静なコメント。慌てて回復魔法をかけながら、私は二人に躙り寄る。
「こ、これはっ! レー君!! しかも見たこと無いブランドですが衣装がクラシカル可愛い!! どこかの貴族令嬢みたいで最高に清楚じゃないですか可愛いっ!! 」
「……良く見ろ、ハーツ。この子は女だ、胸がある」
「馬鹿コント! 」
ロットちゃんが慌ててナイトさんを魔法で壁に吹っ飛ばすも、肝心の一言は私の耳まで届いてしまった。
「そ、そうですよね……胸のない私みたいな女は女じゃないですよね私は男ですよね解ります。あれそれかこの子が逆に胸のある男の子なんですよね? そうなんですよね? 」
壁際でまた毛布にくるまり蛹と化した私の姿に、ロットちゃんがナイトさんを責め立てる。
「あんたもう責任取ってあの子娶りなさいよ心に傷を負ってるわ。あの子の精神処女を何傷物にしてくれてんのよ! ちなみに結婚の際はこの薬をマリーに飲ませてくれると私は凄く嬉しいんだけどどう? あの子絶対美少年になるって! 」
「ち、ちょっと待て! 俺より以前に傷付けた奴いないか!? 絶対いるはずだぞ!? そして貴様はマリーまで男にしようとするな! どうあっても俺を男と絡ませたいか!? 」
「見損なったわ、やるだけやって責任取らないとか! ええそうよ! 私はあんたに絡むのが、オークでもおっさんでも美少年でも構わない」
「話をややこしくするな馬鹿者! ええい、俺の話を聞け二人とも! レインに何かあったら大変だろう!? 」
ロットちゃんから握らせられた男体化薬を押し返しながら、ナイトさんがそう怒鳴る。
「どういうことよ? 」
「どうしてそれを早く言ってくれないんですかナイトさん? 」
「止めてくれ。数の暴力で俺を責めるのは止めてくれ……俺は最初から話を伝えようとしていたではないか」
レー君の名前を聞いて、冷静になった私とロットちゃんを前に、ナイトさんはがっくり床へ項垂れている。ロットちゃんに舌打ちながらに席を勧められ、ナイトさんはようやく語る気を取り戻してくれた。
「これは、ニムロッドの病室で見つけた本だ。ニムロッドの忘れ物かと思い持ち帰ったのだが、おかしな事に気がついた」
「エルフ語ですね……読めます? 」
「うーん、私は魔法書向けの単語しか覚えてないから微妙だわ」
私達が見せられた本を前に唸っている間も、ナイトさんの話は続く。
「あの写真はこれに挟まっていたのだ。これがニムロッドの物ならこれはあいつの母親か姉か何かだろう」
「え? それはないでしょ。あの子一人っ子よ確か」
「じゃあ、これレー君のお母様、ですか? 」
「っていうか、忘れたって何? 普通に返せるはずでしょ? 」
「退院の許可を取りに行くと言ったまま、彼は帰ってこなかった。部屋には武器も無かった」
最初から、戻ってこないつもりだったのだとナイトさんは言い切って、再び本を私達の前へ置く。
「これは……レインの物ではない。それからもう一つ、気がかりなことがある」
「何よ、これ。念写写真? 結構な枚数ね」
「これは、この所続く少女誘拐事件、その被害者一覧。犯人は魔物ではないかと言うことで『Twin Belote』が追っている事件でもある」
「これ全部、この本に挟まってたの……? 」
「それでは……これは、『Twin Belote』がレー君の部屋に忘れていった? 」
単に事件の資料を忘れただけなら良いが、と……ナイとさんは口籠もる。それ以外の何かを彼はこの手がかりから感じている風……
「お前を見ていて俺は気付いた。マリスは……『Twin Belote』は、俺をこの事件の犯人にするつもりだ」