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一世一代相思相愛論

作者: 灰撒しずる

 生まれ変わっても、来世でも愛している、

 きっと過去、前世でも愛していた。

 ――そんなことはない。


 少し古めの本や歌に触れると、愛を謳う者は今世のみならず、前世や来世を口にする。

 前世や来世は確かに存在する。四百年も前はともかく、今や魂の繋がり、連鎖、転生は世界の人々が知るところだ。一時期はそれで、それこそ恋歌のように運命の再会を果たす人々もいた。

 いたのだが、それらは人々が想定していたものとは些か違ったのだ。

 前世の記憶を持っているわけでもない、前世の知己同士が出会ったからといって何かが起きるわけでもない、懐かしい感じも親しい感じもしない。いや、ごく稀にはそういうこともあるのだが、稀なのだ。ほとんどは拍子抜けどころか気まずい結果に終わって、魂の再会なんて感動的に銘打たれたビジネスやショーはすぐに廃れた。淡々とした研究だけが続けられた。

 研究で分かったことには。前世、今世、来世と渡り歩く魂が持ち運ぶのは、その者の気質――性格、思考の仕方や魔素といった、限られたもののみだということだ。

 外見などの特徴は当然魂などではなく綿々と続く遺伝子情報によるもので、経験や記憶、感情などの意識も魂とは違う所に蓄積されて死と共に何処かへと失せているようだ。残念ながらと言おうか、……少なくとも現時点での研究では、それらの九割以上は失われている。

 要は、言ってしまえば。転生した者は生前とは別人だ。人々が考えていた以上に。

「シュジュ先生、お聞きしたいことがあります」

「……学籍番号を」

 腰掛けた石垣から見上げた学生の顔は、あの人には似つかない。まず人種から違うので当然だが。肌は黒かった。眉はもっと細かったがくっきりしていた。唇は厚かった。背はもっと高かったし、肉付きや四肢の長さだって当然異なる。そもそも年齢も違うのだからそのあたりの比較はやや不適当かも知れないが。

 学生からの質問は記録にとらなければならぬと訊ねて手帳を開きながら、そんなことを考えた。一年も前に確認した事柄で、新しい発見ではなかったが。

「ああいえ、えっと、講義についてではなく、個人的にというか」

 番号ではなく続けられる言葉に、私は白紙のページから顔を上げた。

「なんだね、スイヤ君」

 中庭を背にして佇む学生は、私が名前を口にしたことにほんの一瞬だけうろたえたようだった。だがすぐに思い直した。

「先生が……私を観察しているのは何故でしょうか」

 名前を知っているのも当然だと考えた。――彼は賢い。知識もそうだが思考力がある、頭の回転が速い。

 教師、この老いぼれが自身を観察しているとの結論に、当人に質問するほどの確信を得ている以上。今の質問一つで名前の件にしても用が足りると気づいたのだ。

 一学年千は下らぬ学び舎で、私は全学生の名前を覚えるなどという芸は身に着けていない。努力もしていない。自分の研究室に属しているわけでもないどころか、入学一年目で必修になっている月一の講義に出席するだけの、別段目立った言動をしたわけでもない少年の名前を知っている――というのは特別な例なのも確かだ。

 私はまず一つ頷いて、返答の心構えを見せた。

「私の専攻は最初の講義で話したと思うが、覚えているかね」

「魂の研究」

「そう。それに関係ある。少しね」

 感心な学生は、魔素についての眠くなるような基礎の講義の冒頭の話題をちゃんと耳に入れていたようだ。それとも、こうして質問をしに来るまでに下調べでもしたのか。

 ぱちぱちと丸くした目を瞬く幼い顔立ちに、私は微笑んだ。講義ではなく昔話をする心地だった。実際そうだ。彼の見立てどおり、私が彼を観察している、その理由。それは彼が生まれるよりもずっと前の昔々の出来事に遡る。

「気持ち悪がらずに最後まで聴いてもらえると嬉しいんだが。君の魂は、私が愛する人と同じものなんだ」

「え、え」

 応答は少し上擦った声だった。予想外の話の展開に、色恋に敏い年代らしく戸惑ったのが見てとれた。

 ――ところで観察されている時点で彼からしてみれば気持ちが悪いかと今更思い至ったが、それはどうしようもないので、とりあえず説明を続けようと思う。

「その人が存命だったのはもう四百年ほど前のことでね、ちょうど私たちが魂、前世や来世の研究をしている頃だ。それで――ありがちなことに、来世でも我々は愛し合うだろうか、という議題になったわけだ」

 恋などしていた当時の話と言うのは、自分の浮かれようが透けて気恥ずかしい。その上、彼にとっては些か不穏な響きとなった。

 この教師が学生に妙な懸想をしているのではという心配は、きれいに取り除いてやらねばなるまい。さもなければ次の試験に影響が出る。

 身を強張らせて狼狽えている気がする少年のあの人の面影の無い顔を見て、何か言おうと口を開くのを片手の手振りで制して、代わりに自分の口を動かし続ける。

「しかし知っていると思うが、魂が同じというのもこういう話の上ではなんてことはなくてね。あの人と君は別にまったく似ていないし、共通点といっても目が二つ鼻が一つに口一つというくらいだ。ああ、魔素だけはまったく同一だが。そこは見分ける材料のひとつだしね。あの人もそれはそれは優秀な術師だった。君も大成するだろう」

 彼を安心させようと言葉を増やすと、話が脇道に逸れた。息を一つ吐いて、軌道を修正する。

「……実はもう一人、君の前世、つまりあの人の来世というやつを確認しているんだが。当然その前世の女性もあの人には似つかなくてね。私は観察の結果が当時の議論の結論と変わらないことを確かめたんだ。……私は、君やその前世もあの人とは別人で、あの人と違って好きにはならないな、ということを確認して、安心していたんだ。それが観察の理由だ」

「安心」

 結論から言うと、魂だけでは人を愛せない。既に一般的にも認識されてはいるその事実を今回のことに絡めて改めて述べると、スイヤ君は繰り返して言葉を探した。

「残念がるのではなくて……ですか?」

 幾分、遠回しな言葉選びだと思った。悲しい、寂しいなどではなく。大人向けにした言葉という感じがした。

 あの人が彼の前世である以上、あの人は既に死んでいる。愛する人の死というのは大層悲しいもので、会えるならばもう一度会いたい。いや、その後もずっと一緒に居たい。

 彼も今それを考えたのだろう。もし愛する人が死して、しかし来世で会えるのなら。長命種の私のような者が短命種の死を見送った後にまた再会できるのならば。

 あの人の来世を、例えば彼を愛することができたならば、それはもしかすれば幸せなことかも知れないが。

「ああ。我々は転生がこういうものだと分かる以前から、来世との恋愛というものに否定的だったので。だって思わないかい、スイヤ君」

 ――「私が生まれ変わったら、また好きになってくれるかい、シュジュ?」

 昔、張本人からそう問われたときは穏やかではいられなかった。あの人の問いかけに私は憤然として答えた。

「魂が同じだけの、別人を好きになってしまったら、浮気ではないかな」

 今日は分かりやすい注釈を添える。当時は、「それは浮気だろう」とまず声を上げた。私がそんな浮気者に見えているのか、心外だ、と。

 私が愛しているのはたった一人、唯一、貴方だけなのに。

「私はまだあの人を愛し続けている。私が私である以上は。だから同じ魂の人に惹かれてしまわないことに、正直ほっとしているんだ。浮気などせずに済むとね。何遍私の前で生まれ変わったって、あの人に戻るわけでないのならあの人のように愛せはしないと、体験で確認している」

 他人の、それも年若い学生相手に、愛の言葉を聞かせるのは正直大層恥ずかしい。いや、当事者が相手でも恥ずかしいものだったには違いないが。だが巻き込んでしまった上、説明しきらぬのは勝手が過ぎるだろう。

 真面目に話を聞いていた学生はじっと私の顔を見つめ返して暫く間を置き、やがて深く頷いた。

「確かに俺も別に先生のこと、好きではないです。そういうのは何も感じなかった。魂って不思議ですね、逆に。……あーもちろん講義は聞いてましたけど、ほんとに関係ないんですね。体験するとよく分かるっていうか」

 私が嘘を言っていないという前提を呑んだ彼もまた、観察と体験で結論して、言うなれば感心したらしい。

 そう。魂は重要だが、なんてことはない。血のように体を満たす一要素という、無感動なものなのだ。それでよかったと、私は思う。

「人を好きになるのは出会ってからだからね、会って何もなければ、魂が違おうが同じだろうがさして変わりはないようだ」

 それを悲しいとは思わない。心はとても安らかだ。

「納得しました。一生に一人しか好きになっちゃいけないなんて決まってない……とは特にこの場合思いますけど、人それぞれですし」

 その心を波打たせるように、スイヤ君は屁理屈か子供の反抗めいた調子で言った。

 君も、前に同じようなことを言った。

 君は恋多き人だったから。私の前に何人もと恋愛をしていた。それは少々不満だが、彼が言うとおりそういう生き方もあるし――それもあの人の魅力であったから、何も言えなかった。

「観察は終わりにするよ。無関係の君にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないからね。すまなかった」

「……いえ……多分俺も、目の前に居たら同じことをすると思いますので」

「気にしていないならありがたいが。ではまた、次の講義で」

 答えずに告げた私に対し学生は寛容だった。遠くで鳴る終業の鐘、帰宅を促す音に連れられた若者たちのほうを目で示すと、すんなりと一礼した。

「はい、失礼します」

 外套を翻し去っていくその所作もあの人に似ている気がしてはっとした。けれど。

 それは確かに魂の一致が見せる相似だが、まったく繋がりのない他者に見出すこともある程度の共通点にすぎないのだ。私の中のあの人の記憶が見せる幻。そこにあの人が居るのではなく、私があの人を投影して世界を見ているのだ。あの人の今の居場所は他者ではなく、私。

 たとえ魂が過去を引き継ぐものだったとして、きっとこれは変わらないことだ。


 ――「シュジュ。もし生まれ変わったら、」

 ――「生まれ変わった先で貴方にまた会いたい」

 ――「でも来世の私に貴方をくれてやる気はないし、貴方にも愛するのは私だけでいてほしい」

 ――「だから、貴方も生まれ変わったら、……お互いにきっかり他人になったら。恋はそのときにしよう。改めて」

 この愛は、この恋は、今を生きる私だけのもの。前の私は知りえぬし、後の私にも明け渡しはしない。そして、いつかの君ではなく、生まれ変わった君でもなく、たった一人、私と出会った君を愛するよ。

 私が死して消えるそのときまで。


一世一代相思相愛


生まれ変わっても、来世でも愛している、

きっと過去、前世でも愛していた。

――そう言うよりも、現世限りの君を愛していると言うほうが、愛が深いと思うんだ。

だってそうだろう。来世の君は君ではなく、前世の君も君ではないんだ。

話し、共に笑った君ではないんだ。

来世の君を愛する保障はないよ。前世の君を愛して

いた記録もないよ。

でもね、現世の君を愛しているのは紛れもない事実なんだ。

一人きりだよ。来世より前世より、今の君だけを愛している。

来世の君がどんなに美しく、

前世の君がどんなに優しく、

現世の君より、私を愛してくれるとしても、だ。

私が愛しているのは現世の、今目の前にいる君、ただ一人だ。

来世の君よりも、前世の君よりも、現世の君を、誰よりも、愛している。

今君が死に瀕していても。――いるからこそ。

生まれ変わってしまったら、君は私の一番にならない。



生まれ変わっても、来世でも愛している、

きっと過去、前世でも愛していた。

――そう思いたくなるほどに、今の私は、貴方のことを好きだ。

前世の覚えはないし、来世の予感もないけれど、

今は確かに貴方のことを愛している。

私は死にそうでも愛しているけれど、私が死んでも

愛していてとは、言わない。

死んでしまったらいっそ、まっさらになって、新しく恋をしたい。

新しい私になって、新しい貴方に逢いたい。

望むなら、叶うならば、

貴方の来世と私の来世が、現世の私たちと同じように好きあえばいい。

私の前世と貴方の前世が、現世の私たちと同じように考えていたらいい。

――浮気なんてしないよ。今の私は今の貴方だけ好きでいる。

一人きり、貴方だけを愛している。

貴方の一番のまま、私は死ぬよ。

貴方を一番にしたまま、私は死ぬ。


「これ以上一途な愛があるのならば、教えてはくれないか!」


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