SOTSURONの作成
フィクションです。
どこかで本当にこんな話がありそうな気もしますけど、私の体験談ではありません。
単なる作り話です。お気軽にお読みくださいませ。
夕方、大学四年生の私が高校からの友人であるIの家に遊びに行ったとき、Iは不機嫌そうな顔をしてパソコンに向かっていた。「何してんの?」と私が聞くと「卒論作ってんの」とつまらなそうに言った。
「卒論かよ。テーマはなに?」
「知らねえよ。てか、めんどいよ、今回は特にマジめんどい」
「てか、来ても良かったのかよ。俺、邪魔じゃね?」
「いいよ。あと10分で終わらせっから、こんなの」
なるほど、Iの卒論は仕上げの段階らしい。
Iの邪魔をしてはいけないと思い、私は黙って本棚から漫画を取り出して床に座った。彼の本棚を見ると、漫画しかない。大学生であればあってもおかしくない教科書は一冊もない。
Iは私と違う大学だが学部は同じで経済学部。マクロ経済学やらミクロ経済学の教科書くらいあっても良いと思うのだが。
漫画を開いてすぐに、Iの溜息が聞こえ、唸り声が聞こえてきた。
「あー、めんどい。何がめんどいって、文字数がハンパなく多いんだよ。あー、マジでうぜえ。なんだよ27000字以上30000字以内って、マジでバカじゃねーの」
そうしてIは椅子の向きをくるりと変えて私の方を向いた。
「おまえさー、本なんか読んでる場合じゃねーんだよ。分かるか、俺はいま、めちゃくちゃヤバいんだよ。マジこれうんこだから」
どうやらIの卒論の完成はまだ先のようだった。先ほどの10分とはなんだったのか。
口だけで軽く笑い、「頑張れ」と言ってそのまま漫画を読み進めようすると、Iが言った。
「おーいー。マジでやってらんねーんだよ。一人じゃ無理なんだよ。27000なんて書けるかっつーの。しかも色々とめんどくせえ条件ばっかつけやがったし」
「やめちゃえば良いじゃん」
「やめてえよ。今すぐやめられるもんならな」
「適当に書けって、そんなもん」
「書いてられっかよ。あー、マジやってらんねー」
そう言ってIはまたパソコンに向かい始めた。
だが、またすぐに彼はこっちを向いた。
「おーいー。ヒマなんだろ、手伝えよ。メシ奢るからよ」
「ピザ食いたくねえ?」
「お、いいなそれ。じゃあピザを食わしてやるから手伝えよ。パソコン得意なんだろ」
別に得意ではないが、少なくとも友人Iよりかは知っている。
漫画を本棚に戻し、私はIの手伝いをすることとした。
「で、何をすれば良いの?」
するとIは机の引き出しからくしゃくしゃになったプリントを取り出した。
プリントの皺を伸ばし、Iはそれを見ながら言った。
「まずは、縦書きにする」
そこからかよ、と私は思った。
「縦書きならレイアウトタブのリボンの中に文字列変更のボタンがあるだろ」
「いまの日本語か? どの辺? 上か?」
「上だよ、上」
マウスをいじくりながら彼は探し始めた。
「おい、ねーじゃん。どこにも」 画面を睨みつけたままIは不満に満ちた声で言った。
「いや、あるから。レイアウトって書かれているものクリックしろって」
「ねーよ、レイアウト。こっち来て見てみろって。ほんとにねえから」
私はIに変わって席につき、パソコンの画面を見た。
確かにない。レイアウトのボタンはなく、そもそもワードソフトが古すぎるものだった。
「あれ、おまえさあ、このパソコンいつ買ったんだよ」
「いや、去年だから。駅前にあるリサイクルショップ。安かったよ。3000切ってたし」
あー、そういうこと、と私は思った。
それと同時に落胆した。来週にもセキュリティパッチの更新が停止されるパソコンをIは使っていた。このパソコンに付随するソフトのバージョンも古く、そして私はこのバージョンのソフトは使ったことなかった。
「おまえさー、これ使いにくくねえ?」
「知らねえよ。だってこんなの使ったの初めてだし」
「大学のパソコンもこれと一緒なのか?」
「いやいやいやいや、大学でパソコンなんか使わねえから」
あー、と私は唸った。果たしてどうすれば、と心の中で呟いた。
「なあ、お前さあ、まだ卒論を1文字も書いていないだろ」
「いや、そんなの当たり前じゃん。だって書けねーんだもん、これ」
どうして10分で終わらせられると言えたのか。
ヘルプ機能でレイアウトの設定について調べ、私はしわくちゃのプリントに記載された通り、縦40×横30の縦書きで用紙を横に設定すると、Iから「さすが」と言う言葉が聞こえた。
「困ったらF1キー押して、調べたいこと書いて検索したら出てくるから」
「おっけー、あとは大丈夫だから。漫画でも読んでてヒマでも潰しててくれ」
私は適当に返事をして、本棚に仕舞ったさっきの漫画を取り出した。
Iの「おっけー」という言葉を私はほとんど信じていなかった。
どうせまた何かあるだろうな、と思っていたら、
「おーいー。なんでだよ。何で文字の形が勝手に変わるんだよ」
また何かあったらしい。
だが、私のことをIはすぐに呼ばなかった。
たぶん、ヘルプ機能から調べているのだろうと思い、漫画を読み進めることにした。
だが、Iは次第に貧乏ゆすりを始めた。
ちらりと見れば、Iの背中から苛立ちが伝わってきた。
「どうせ誰も読まねえだろ、バカじゃねーの」とIは言い、机の下を一発蹴り上げた。
そうして、急に黙り込んで卒論作成に没頭し始めた。
順調そうに見えたIの卒論は早くも暗礁に乗り上げた。
「あー、もう駄目だ。マジでこれうんこだわ。あー、死ぬね、これぜったい」
「何が死ぬんだよ、お前」
「いや、だって今日中に27000字とか無理だろ」
「はあ?」
それは無理だろう。私は呆気にとられた。
「締め切りが明日ってこと?」
「いや、今日だよ、締切。けど、教授にごねって明日にしてもらった。すごくねえ?」
「え、どうやって終わらせる気? コピペとかするつもりか?」
「いや、そんなの当たり前じゃないっすか。誰が真面目に27000字も書けるかよ」
呆れて何も言えない私にIはさらに言い続けた。
「ゼミの先輩とかに聞いたらパソコンでやったら10分で終わるらしいけどよ。無理じゃねの、これ」
「いや、だっておまえ、どうせコピペだろ。すぐに終わるだろうが」
「いやいやいやいや、そうはいきませんから。27000字もコピペするんですよ。27000字も探さなきゃならないってことですよ。やっと12000字ですよ、探せたの」
そしてIはグチグチ文句を言いながらまた作業を始めた。
「あー、もうまただよー。どーして色が変わったり大きさが変わったりすんのかねー、マジで。マジでこれ頭悪いんじゃねーの?」
そう言いながらIはマウスを乱暴に動かし始めた。
どれどれ、と思いながら横から覗いてみると、ワードソフトを開いているにも関わらず、キーボードで使われるkeyが『Enter』と『Back space』の二つだけだった。
なんというか、見ていて滑稽なのだが、しかし言葉に出来ない気持ちにもなった。
「なんとかなんねーの、これ」
Iはそう言って私の方を向いた。
「なにが?」
「見て分かるだろうが。文字の色とか大きさとか揃えたいんだよ」
そんなもの、ペーストするときにテキストのみで貼り付けを選択すれば済むことなのだが、教えたくねえなあ、という気持ちにもなった。
たとえ友人であったとしても、大学で不正なレポートや論文を作ることに私は協力したくなかった。私はまじめに勉強しているのに、という感情も確かにあるのだが、何よりむかつくのは、そんなレポートや論文を許してしまう教授にいちばん腹が立つのである。お前らがしっかりしろよ、それが仕事だろうが、てめえらの給料にはきちんと学生への指導料が含まれているんだぞ、と言ってやりたいのだが、まあ腹を立てたところで、損するのは私だけ。
でもまあ、これが提出できなくて卒業できないとなるとIの人生にとって大問題でもあるわけだし、と思い、私は対処してあげることにした。
「全選択して、文字色ボタンで黒を選ぶ。大きさもついでに、はい、できたよ」
文章の文字色が全て黒色になると、Iが不満そうに言った。
「つーかぁ、あのさー。どうして文字だけをコピってくれないのかね。こいつは」
私が部屋に来たときよりもテンションはガタ落ちしているようで、先ほどまではまだ苦笑いをするだけの余裕があったみたいだが、もはやその余裕すらないらしい。
「やれよー、お前、もう全部。ピザ食いてえんだろ」
卒論を丸投げする大学生は、大学でいったい何を学んだんだろうな、と思ったが口にはしなかった。代わりに適当にこう言った。
「あとどれくらいなんだよ」
「あー、知らねえよ。文字数なんかどこで見れるんだよ」
「左下に書かれているだろ」
「知ってるよそんなのよ。 ふざけんなよ、まだ15000しかいってねえじゃん。俺、かなりコピペしたはずだぞ。死ねよーマジで。あー、もういいよ。後は俺が適当にやっとくから、漫画でも読んでいてくれや」
そう言われたのでその通りにすることとした。
漫画を読み始めると、すぐにIは呪詛的な愚痴をいくつか吐き、作業を続けた。
「あー、また色が変わったよ。何度目だし、ふざけんなよ」
「だから、テキストで貼り付けろって」
「はあ!? なんで横書きのまま貼り付けられたんだよ」
「それ、たぶん図をコピペしたんだろ。面倒だからそれ消して他のを探せよ」
「うーわー、ここだけなんか違うし、あー、もうやってらんねー」
「なにが違うんだよ、見せてみろよ、もう」
どうやらIの冷戦はもう少し続きそうである。私はIが何かあるたびに漫画を床に置き、席を変わって数秒で解決する対処をして、もう一度テキストで貼り付ける方法を教えた。
友人Iは静かになった。私にとって漫画が読みやすい環境となった。
それでもたまに彼の口から愚痴が聞こえてくる。「コピペが...」「またコピペ...」「あー、コピペ......」
「なあ、これさあ、いちいち面倒くせえよ。テキストで貼り付けるとかしなくても一発でこんなふうになる方法ねえのかよ」
横着しすぎだろう、と私は苦笑いした。
憎まれ口を叩かれながらも彼に好まれて使われている『コピペ』という存在は、たぶんIのような学生にとって同じような機能なのだろうなと私は考えた。
論文を作成するにあたり、学生がまず初めに考えることは、いかに文字を埋めるかということ、つまり出来るだけ文字数を稼ぐことだろう。
3000字とかであればすぐに埋めることが出来る。適当なWebページからそれらしい文章を見つけてさっさとコピペする。それを二、三回ぐらい繰り返せば簡単に論文の出来上がり。文字の大きさと色の調整や改行や一行開けなど多少の手直しが必要だが、それでもクソ真面目に3000字も打ち込むよりははるかに効率良く手軽に論文を作成することが出来るため、多くの学生がコピペを多用するのは当然と言えば当然である。やってはいけないのだが。
だが、文字数が増えてくるにつれ、コピペの使い勝手が悪くなってくる。
Webページに掲載されている文章は、各Webサイトの運営者によって文字の大きさや色を決めて作っているので、Webサイトごとに文字の大きさや色などが変わってしまう。
コピペはその文字の大きさや色までを再現する。普通に考えれば便利な機能なはずなのだが、論文は字体や文字の大きさを指定されるためその機能は不必要だ。
余計なことをしてくれやがって、という思いなのだろう。指定された通りに修正する手間に対し、ワードソフトに慣れていないIのような学生は苛立ちを募らせることとなる。
そして、文字数が多くなれば多くなるほどコピペの使用回数も増えるのだから、当然ながら修正する箇所も多くなり、苛立ちはさらに募っていくこととなる。
解決策として、Webページの内容をテキストエディタ(メモ帳)にまずコピペして、その文章をコピーしてワードソフトに貼り付ければ良いだけなのだが、試しにIに言ってみた。
「なあ、メモ帳開いてそこに貼り付ける、って言って分かるか?」
「はあ? メモ帳なら机の中にあるけどどうしてパソコンと一緒になるんだよ」
やっぱりなあ、と私は笑った。
検索すれば分かることなのだが、Iはしないだろうなと思い、仕方なくメモ帳の起動方法と簡単なコピペを教えた。
「すげえなこれ! 友達にも教えてやろう!」
大学の同期、誰も知らなかったのかよ。
大学で何を学んだんだよ、と嫌味を言ってやりたくなった。
「くっそー。どこも似たような内容ばっかりじゃねえかよ。あー、もう、うんこすぎる。
もうねえよー。あと、どっからコピペすれば良いんだよ、おい」
一時間ぐらい過ぎただろうか。どうやらIはまだ終わらないらしい。
コピペするためのWebページが見つからないらしく、ついにコピペするためのwebサイトを私に探せと言ってきた。
「それは自分で探せよ」
私は冷笑した。そもそも、Iは不正をしているという自覚はないのだろうか。
「あー、マジやってらんねー。なあ、もう感想文で終わらせちまっていいっか」
「いや、それはさすがに駄目だろ」
それは止めようと私は思った。論文で個人的な感想、特にこの論文を作成したときの感想など書くことは御法度である。
が、そんなの彼には関係なかったらしい。「うるせーよ、クソ。もう書くことねえんだよ。あと5000字だろ、感想書いても許されるから」と私に言って彼はまた作業を再開した。
ここで私はふと疑問に思った。
「なあ、5000字も感想書けるのか?」
「はあ? そんなのコピペに決まってんだろ」
開いた口がふさがらない。感想すらコピペするのか。
もはやマズイだろうとも思わなかった。
もちろん彼もそんなこと露にも思わなそうな様子で作業を進めていった。
こんな手抜きが許されるはずがない。大学にまだ進学していない良識のある方はそう思われるのだろうか。
不真面目な文系大学生にとって、こんなのは常識なのだろう。Iだけでなく、他の大学生を見てきた私は、今では彼らがどう手抜きしようがどうでもいいと、そう思っている。
大学行ったけど勉強しない。授業は単位が楽にとれるものを取る。その方が、はっきり言って大学生活をよりエンジョイできるし体も非常に楽である。
ただし、授業は毒にも薬にもならないものになるが。
その最終形態が手抜き卒論だと私は思っている。
手抜きが許される要因は学生と教授の考えが悪いところでマッチしてしまったからであるからではなかろうか、と私は最近になってそう感じている。
学生の考えは「どうせ、こんな論文読むわけないでしょーが」
教授の考えは「どうせ、学生の論文だ。適当に決まってる」
両者の言っていることは微妙に違うが、根本的な考えは同じ。
もう一つ例を上げてみる。
学生の考えは「だるいー。こんなのさっさと終わらせて○○したいよー」
教授の考えは「多いなー。さっさと終わらせて○○の研究を進めたいなー」
この両者の意見も微妙に違うが、根本的な考えはほぼ同じ。
人間は興味ないものにはできるだけ関わりたくないのである。
この両者の共通点を見いだせるか否かで、学生生活の楽しみ方が変わるのだろう。興味ないことにはできるだけ関わらない。努力しない。お互いに結果が良ければそれでよし。私もそれでよいとは思っている。文句はない。私の大学のサークルの先輩はこのことを「学問の自由」と抜かしていた。
だが、学問の自由とは、学問に対しどんな態度をとっても良い自由ではないはずだ。が、多くの大学生の学問の自由とは、その程度なのかもしれない、と私は思ったりしてしまう。そして、現在の大学生が考える大学生活とは、「社会人になる前の最後の時間であり、いまここで遊ばなければもう自由はないんだからこの自由を満喫しよう」と思い込んでしまっているような気もする。
本当は、違うんだと私は思いたいんだが、大学生の私も、社会人になればもう自由はないと思い込んでしまっているので、先ほどの考えは全く説得力が無い、と思い、こうして心にしまっている。
いつから大学は社会人になる前に許された最後の自由を満喫するという、ある意味息苦しい自由を提供する場所になってしまったのだろうか。
全く根拠も論証もない自己中心的な考えだが、妙に説得力があるように感じられてしまうのは、自分がそうなんだろうなと考えてしまっているからなのだろうと思い、こんなことを外で言えばアホと思われるので、生涯、私は心にしまっておくことにしている。
授業に出たって金にならない、バイトでもしてた方がマシ、とIは大学生になったときに言っていた。Iがそう思うなら、それでいいと私は思うことにしている。自由なのだから。
「あー、やっと終わったあー」
どうやら終わったらしい。
「お疲れさん。すっかり日も暮れちまったねー」
「さて、これから参考文献でも書きましょうかね」
彼はそう言うとくしゃくしゃになったプリントを手に取って見た。
「あれ、参考文献なんか使ってたの?」
「馬鹿か、おまえ。これから探すんだよ、ネットで」
私は大笑いした。Iもそれにつられて笑いだして言った。
「頭いいだろ。論文に使うための参考文献を探すっていうのは、こういうことだ」
「タイトルだけ貰うのかよ」
「大丈夫だって。30冊も書いとけば、どーせ教授はジジイなんだから、読みやしないだろ。適当に探して書いとけばあとはオッケーだ」
得意気になって彼は参考資料となりそうな本を探し出しては、それをコピペしていった。掲載する基準となるのは、いかにも、というタイトルが付いている本であった。
「あー、もうこれで良いや」
そう言って彼は論文作成を終了させた。彼の顔に疲れが少し出ていた。それでも、論文作成に費やした時間は、二時間である。27000の論文が、わずか二時間で出来た。一秒あたりおよそ4文字の早打ちライターの誕生である。
私がパソコンの画面を覗き込むとそこには文字がたくさん並んでいた。文章には見える。なんとか、一人称を全て『私』に変えることは出来たらしい。読む気は全く起きず、流して最後までたどり着いた。
参考文献は6冊しか書かれていなかった。だが私はもうそれに突っ込むことをしなかった。そんなことより、今のうちに言っておかなければならないことがあった。
「じゃ、ピザでも取りましょうか。腹減ったし」
「おー、腹減ったなー。待ってろ、冷凍庫にピザ入ってるから」
「いやいやいやいや、そんな市販の冷凍物なんかじゃ無理でしょ。ピザっていったら宅配に決まっているでしょーに」
「あー、宅配ピザ、良いよ。おととい食ったんだ。残りがあるし、それ食おう」
「いやいやいやいや、それはないでしょうが」
「でもおまえはさっき宅配ピザが食べたいと言ったじゃねーか」
「宅配ピザって言ったら、その場の出前物でしょうが、普通は」
「いいじゃねーか。タダで食えるだろうが。文句言うなよ」
そう言うとIは「その前にトイレ」と言って部屋を出て行った。
部屋に戻って来ると、Iは大量のピザを持ってきた。四人前はありそうな量だった。
文句を言う気にもなれない。これがIの性格なのだから仕方がない。私はIとその大量のピザを食べながらTVゲームをして、そしてついに完食したのであった。
といっても、ほとんど食べたのはIなのだが。私はたぶん、四分の一程度しか食べていない気がする。
ピザを食べ終えたころにはIの卒論のことなど私はすっかり忘れていた。私は卒論のテーマも内容をついに知ることはなかった。ただまあ、参考文献から見るに、文化人類学の論文のようだった。だがIは、私と同じく経済学部のはずだったが。
それから一か月が過ぎ、夏休みも終わろうとしていた。
N駅につながる坂道を下っていたとき、Iと偶然会った。
友人のIとは卒論とピザの時以来から会っていなかったので、私は卒論の評価はどうだったのかをとりあえず聞いてみた。
「あ? あれ、あー、知らない。だって、あれ本当は先輩の物だし」
「あー、そうだったの。大変だったねー」
「マジ面倒だったし。けど、提出すれば絶対に単位取れるらしいから大丈夫でしょ」
「あー、そうだったんだー」
私には考えられないことばかり行われる大学でIは生活しているらしい。
すると、Iの卒論はこれから書くのかと思い聞いてみようと思った。
「おまえの卒論は?」
「ああ、後輩に書かせた。
てか、教授に会って頭を下げれば誰でも単位なんて取れるでしょ」
「まあ、そういうもんなんだろうね」
「いや、そうだから。てか、この前、ちょーウケることあったんだぜ」
「なに、なに?」
「ある授業でレポート提出の課題があって、その評価が成績になるんだけど。
部活で代々伝わる黄金レポートがあって、それを先輩からそのまま貰って写して、そんでその教授に出せば単位ゲット、ていう感じだったの、俺たちは。
それで、俺の知り合いで部活にもサークルにも入っていない奴がいて、そいつがその授業に出てたらしくてさー、授業では一度も会わなかったから知らなかったんだけど、そいつに学校でたまたま会ってその授業の話をされたんだよ。
単位が取れなかったんだって。俺、大爆笑。ちなみに、俺はA評価。
クソ笑えた。そいつが言うには一週間もかけて作ったのに駄目だったんだって。俺なんかほとんどなんもしてねえのに、単位が貰えてしかもA評価。
どうして取れたの、って聞かれたから、適当に頑張ったって答えたんだけど、いやー、あれは可哀そうだなー。黄金レポートの存在をたぶん知らずに生きるのは損だよなー」
「そりゃ可哀そうだろ」と言いながら私はとりあえず笑った。
そして笑いが落ち着いたころになって、私は訊いた。
「でも、おまえは気付かなかったのか、そいつが授業にいたこと」
「いや、出てないから、一回も」
「出てないのかよー」
「そう、出席かんけーねえ授業だから、出ても意味ねーし。だからわかんね」
「授業で会ってたら教えてたのか、それ」
「いや、教えたところで、ああいうタイプは自力でやるって」
「そりゃ、そうかもな」
「てか、出席とる授業の方がおかしいんだよ。なんだよ、三分の一欠席したら単位はやらねえとか言う奴ら。バカじゃねーの、ってマジで思うし。俺たちもう大学生だぜ。授業の評価なんか生徒の出来の良し悪しで良いじゃねーかよ。テストが出来たかどうかだけでいーじゃん。出席のせいで単位いくつか落としちまったしよ」
子どもの頃に皆勤賞が嫌いだった私としては、Iのこの意見に珍しく賛同した。
「そういや、もう一つおもしろい話があるぜ」
「なに、なに?」
「今年卒業した先輩の卒論でな、その教授が頭の固い教授らしくてよ、卒論にコピペが確認されたら卒業させないとか言ったらしいんだよ。
30000字だぜ。俺だったらばれないようにコピペを使おうとするんだけど、先輩はなにしたと思う?」
私は首を捻った。彼は笑いを堪えることが出来ずに話し始めた。
「全部ローマ字で書いたんだって。そんで教授に見せたんだって。教授もびっくりしたらしくて、結局、教授もそれを受けとったんだって。すげえよな、それでその先輩は卒業しちまったから、マジヤベエ」
「ヤバイな、普通、思い付かないな」
「だろ、ローマ字で打てばひらがな一文字でも二文字になるから半分ですむしな」
「でも、ローマ字で打つとしても苦労しただろうな」
「いやいや、俺の先輩をなめるなって。
最初は真面目にローマ字で書いて、途中から適当打ちだって。北斗の拳みたいに、アタタタター、ってキーボードを打ちこんだんだって。もう、うちら大爆笑。
で、最後はローマ字で、KOREDEOWARIって書いて、終わりだって」
「すげーな、それ。でも、認められたのかよ」
「認められなかったら卒業出来ないだろ。警察官の内定もらってたから、絶対卒業させなきゃいけないって、教授もそこんとこ分かってたみたいだし。
でも絶対にばれないとか先輩は言っててさあ。先輩はマジで英語の論文として認められるに違いないとか言って、大笑いしてたけどな」
「教授はどうせ読まないからか」
「いや、読めないらしい。だって、その教授は英語が出来ないらしいぜ」
私とIはその話に大笑いして、そしてそのまま別れて行った。
IはこれからIが所属するゼミの教授と飲みに行くとのこと。
その教授は卒論などなくても単位をくれるありがたい教授なのだと言っていた。
ありがたいの意味が、よくわからなくなった。
N駅へ続く坂道を下りながら、こう考えた。
今日の昼御飯は何にしようかと。
冷やし中華にでもしようかと思ったとき、スマホに着信があった。
私が所属するゼミの教授からだった。
「おう、元気か」
「いえ、悩んでます。高校の友人と先ほど出会って、悩んでます。
で、その悩みがですね、卒論を書くって意味あるんでしょうかね、と思いまして」
「卒論書かなきゃ卒業させないぞ」
「そうですけどねえ……」
「なんだ。自分の卒論テーマに嫌気でもさしたか。面白そうなテーマなのに」
「うまくいかないときはやっぱり嫌気がさしますねけど。でも楽しいんで諦めることはないです」
「そうか。まあ、大学院への内部推薦状、理事長からの判を貰えたということを伝えたくて電話したんだがな。行くかどうかはまだ決められるぞ。行かないなら今すぐにでも就活始めないとな」
「行きますよ。もう少し遊んでいたいですし」
「アホか。大学院で遊ぶ暇なんて本当にないからな」
「知ってますよ。O先輩見ててそう思いました。ちなみにこれから大学へ向かう予定です」
「大学に来るなら終日いるから。飲みにでも行くか。卒論の悩みならいくらでも聞くぞ」
「いいですね、飲みに行きましょう」
「そういえば、Yがひょっこり顔を出してきたよ。嬉しいことにきちんとしたテーマをもってきてくれた。かなり遅いけどな。でもまあ、なんとかなるだろう」
「そうなんですか。テーマはなんですか?」
「少子高齢化に伴う高齢者向けのアダルトグッズの市場動向について、だそうだ」
「いいんですか!?」
「いいじゃねえか。面白そうだし。
自分の学問分野から一つの問題を定義し、仮説を立て、仮説への検証として実験やフィールドワークでデータを集め、仮説は正しかったかを再検証して結論を出したものを卒論としてまとめる。これができるなら卒論の条件として十分だって俺は言ったしな。
Yもやる気が満ち溢れていたしな。読んだ人間がどう思うかはその人の勝手だが、さて他の教授がどう思うか。爺ちゃんばかりのうちの大学ではかなりウケはいいと思うんだがな。お前はどう思う?」
「面白そうなのでぜひ応援しますね。読みたいですね、その論文」
「だろ。なら手伝ってあげてくれ」
「こっちはこっちで精いっぱいですよ」
「俺も俺で精いっぱいだ。じゃあ後で推薦状取りに来いよ。じゃあな」
そうして電話が切れた。
そうして坂道を下りきって駅の改札を抜けた。
駅のホームのベンチに座り、電車を待ちながら考えた。
人が読みたくなるような論文を書くことは難しい。まずテーマ選びから始まるのだが、そのテーマは自分が興味あるものでなければ始まらない。そもそも、人に読まれなくても良いし、読んでくれと頼み込んでまで読んでほしいものを書いているわけではない。
ただ、俺が書きたいテーマがあったから取り組んでいるにすぎない。けれども、書き上げたものを誰かに読んでもらわねば、論文は死んでしまったと同じになる。
卒業するためだけに書かれた論文は、いったい誰が読んで楽しめるのだろうか。そもそも人に読ませるつもりもない論文を書く学生もたくさんいる。
人に読まれるという意識を持たない大学生がこの世にいる限り、Iの先輩が作成したような論文は、いやRONBUNは作成され続けることになるのだろう。
Yの作成する論文がそうならぬようにと思っていたとき、Yから着信があった。
Yの声は恐ろしいほどに弾んでいた。楽しそうだった。