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「さて次は身体能力と魔力の関係についてかな。リリィ、どこの話でしたか覚えてる?」
「人の話。ビーストと、エルフのところ、です」
「よくできました」
マグニさんは懐から何かを出して私の掌に載せる。ピンク色の水玉模様が可愛らしい包装で包まれた、まん丸い小さなもの。……またマグニさんとのギャップが激しいものが出てきた。
「それは飴玉だよ。口の中で転がして溶かして食べるお菓子さ。今の質問に答えられたご褒美。あとで食べなさいね」
飴玉。お菓子。……食べたことがないからきょとんとするしかなかったが、ご褒美というくらいだからおいしいものであるらしい。楽しみにとっておこう。
「まず魔力というものは保有量が最初からある程度決まっている。つまり生まれたときに持っている魔力量でその先使える魔力の量の上限があるわけだ。訓練次第で魔力保有量を増やすことはできるがやはりアドバンテージとセンスというものがあり、このことを魔力素養という。要は魔力の扱い方の才能のことだ。魔力の技術と扱える魔力量、その両方を備えもって初めて魔力素養が高いと言えるね」
「マグニさんは」
「うん、結構得意なほうだよ」
にっこりと笑ったその顔は完璧な仮面のようにも見えた。ギャップがあって優しい人だけど、やっぱりよくわからないという印象が残る顔だ。いろいろ物知りだけれど、何者なんだろうマグニさんって。もしかしてこの知識は、世界の話と同じく世間一般の人の常識なんだろうか?
「ビーストは身体能力が高く、エルフは魔力素養に優れているという話はしたね。それは体の性質と体に宿る魔力量が関係しているんだ。体に宿る魔力量と魔力保有量は全く別物のことを指しているんだよ」
「???」
「そうだね、もう少しわかりやすく説明しようか」
そう言ってマグニさんはキッチンの方からコップとお皿を大小二つずつ持ってきてテーブルに並べる。……コップは青色の花柄、お皿は森の動物たちのお茶会が描かれている。ぶれないなあこの人。
「このコップを人の体に宿る魔力量の器、お皿の方を魔力保有量の器としよう」
マグニさんは大きなコップを小さなお皿に、小さなコップを大きなお皿に乗せ、テーブルに置いてあったポッドを手に取りコップにミルクを注いでいく。大きなコップの三分の一、小さなコップの四分の三ぐらいミルクを入れたところでマグニさんの手が止まる。
「このミルクを純粋な魔力として、これからさらにこの二つのコップに同じ量のミルクを注いでいったら、さてどうなるかな?」
「……小さいほうのコップから、ミルクが溢れる」
「うん、そうだ。当然の話だね」
同じ量のミルクを入れて、大きい方は溢れずに小さい方は溢れてお皿に零れ落ちる。お皿に、ミルクが零れ落ちて溜る。大きい方には溜らない。……コップが魔力量の器、お皿が魔力保有量の器、そこに注がれるミルクは魔力……。
「大きいコップと小さいお皿がビーストで、小さいコップと大きいお皿はエルフ……?」
「よくできました」
マグニさんに今度は二個飴玉を貰った。一個は赤色の水玉、もう一個は緑色の水玉だ。褒められるだけじゃなく飴玉という形で帰ってくることがなんだか嬉しくて、後で飴玉を食べるのがもったいなくなってきた。ご褒美という形でもらった飴玉だけど、貯めておいて後で眺めるのもいいかもしれない。今日今日貰った分だけでも三個三色、掌で並べるだけで綺麗に思う。もっと色んな色を揃えてみたくなった。
「魔力は物や生命に宿り、対象に様々な影響を与える。さっき話した魔力光を見る力もそれだね。生命に宿った場合は、個人差や方向性の違いはあるけど対象の体を活性化させより屈強なものにするんだ。例えば腕力が上がって岩を砕いたり、木よりも高く飛び上がったり……そういった傾向が顕著なのがビーストだね。彼らの身体は魔力をその体に留め活用することに優れている一方で、その魔力を放出したり操ることを苦手としている。魔力を体に留める器が大きくてそう易々と溢れることがないからね、魔力保有の器に魔力が溜らないんじゃ操るものも操れないのは道理さ。で、ビーストとほぼ逆の性質を持つのがエルフ。エルフの方は華奢な身体を持っているから生まれ持った魔力をその体に留めるための器が小さく、身体能力を上げることはできないけど、その体から溢れた魔力―――魔力保有量が豊富でそれ相応の器も持っているから、その魔力を駆使することを得意としている。人種によって身体能力と魔力素養に大きな違いが出ているってわけだよ」
「それで、ヒューマンの場合は、その違いがヒューマンの中でそれぞれ、出る、と」
「そういうこと」
身体能力は魔力が体を活性化させた結果、魔力保有量はその体から零れた魔力の量のこと。マグニさんはそう言い括って手に持っていた本を閉じた。
「この魔力を扱う技術を魔術と云ったりするんだけど……まあ、この辺は実戦が絡んでくるからまた明日にしようか」
*
体と魔力の関係についての話の後は文字や数字についての勉強を行い、気が付いたらもう夕暮れを迎えていた。橙色の光が掛けた眼鏡の縁に反射してきらきら光っている。目が覚めたときに見た魔力光よりずっと目に優しい、柔らかい光だった。
「おや、もうこんな時間か。じゃあ今日はここまで」
マグニさんは勉強に使っていたいくつかの本をテーブルの脇に積んでキッチンに立って行った。スープのときも思ったが、料理はマグニさんが作っているらしい。やっぱりギャップの激しい人だ。これで可愛らしいエプロンでもつけようものなら完璧なギャップ人間が出来る。幸いにもエプロンはつけていないが、外見と中身が著しく乖離したもはや詐欺に等しい造形と中身を持った人だと思う。
だがギャップの激しいマグニさんは私の命の恩人、黙って料理している背中を見つめているだけではいけない。スープのときには頭が回らずもてなされるがままだったけど今はそうではない。私はマグニさんの後を追って、彼の隣に立ち顔を見上げた。
うっ、首が。背高いなこの人!
「リリィ? どうかしたかい? 喉でも乾いた?」
「なにか手伝わせてください」
「いや、そうは言ってもなあ。リリィはまだ病み上がりだし」
「手伝わせてください。じっとしてられません」
「病み上がりはじっとしていることもお仕事のうちなんだけどなあ」
「手伝わせてください」
「……リリィー」
「手伝わせてください」
「……」
譲るものかと頑としてマグニさんを見上げ続けていたら、マグニさんは溜息をついていくつか野菜を渡してくれた。
「じゃあお野菜洗ってくれる? シンクの使い方はわかるかな」
私は力強く頷く。屋敷にいたときは嫌がらせで野菜を延々と洗わせ続けられることなどざらだったのだ。いくら病み上がりとはいえ、十にも満たない数の野菜を洗うなんてなんてことない。それに、マグニさんが恩人であるから手伝うというのもあるのだが、じっと持て成されている状況がどうも落ち着かなかった。
渡された野菜――ニンジン、ジャガイモ、よくわからない根菜――を丁寧に洗いマグニさんに渡し、次の指示を待つ。じっとマグニさんを見上げていると、マグニさんはまた溜息をついて次の仕事をくれた。お皿を置く、という簡単なことだったのは、マグニさんが私を気遣ってくれているからなのだろうか。
できたご飯は茶色い液体だった。泥水のように見えなくもないが、見た目はシチューの色違い、といった感じだが、匂いが違う。シチューはミルクの優しい香りと野菜の甘い風味が漂うものだが、これは鼻に心地よい刺激を与え空いた腹に香りだけでクリティカルヒットを打ち続ける香ばしいものだ。見た目は得たいがしれないのにどうしてこうも食欲を誘うのか。口の奥によだれが溜っていく。
「おや、リリィはカレーが初めてかい?」
「か、かれー?」
「色々な香辛料の入った料理だよ。南の方の本場はもっとさらさらしててスープみたいなんだけど、私はこってりしてるくらいが好きでね。始めは見た目にちょっとびっくりするけど、本当においしいんだ。少し辛いけどね」
辛い。それはどういう味覚なのだろう。今までは無味かそうでないかぐらいの味しかしらないからよくわからない。かあさまが前に、料理に味を付ける材料は総じて物価が高いのだとこぼしていた。そういうかあさまは食べたことがあるような調子だったのでうらやましく思ったのを覚えている。
未知のものというのは興味と恐怖が隣り合わせで、私はちょっとびくびくしながら「かれー」とやらを口に運ぶ。
「……!!!」
「お、気に入ったかい?」
「!!! ……っ、!」
「ああそんなに慌てなくてもおかわりはあるよ。たんとお食べ」
おいしい。おいしい。おいしい!
舌に残るピリリとした感覚はやっぱり初めての味覚で驚いたのだけれど、この辛さというものがこんなにも食欲を刺激するものだとは思わなくて二度驚いた。「かれー」の旨味というか、溶けだした野菜の旨味と風味が、よくよく探っていくとわかるいくつかの辛みと混ざり合って口の中においしさを醸し出しながら溶け込んでいく。熱々の「かれー」ののど越しは舌の上で転がすよりも刺激が強いがさらに次へ次へとスプーンを口に運ばせる欲を掻き立てて、絶え間なくのど越しで行きかう刺激がだんだん心地よくなる。要するにやめられないとまらない。私の洗ったジャガイモやニンジンは角が丸くとられて、スプーンにちょっと力を入れるだけでほろりと崩れてしまう。それは口の中でも同様でほろほろに崩れた具が「かれー」のスープと混ざり合い「かれー」の辛みを和らげ、野菜の旨味にほどほどの辛みが後添えするようなマッチング。つまりなにこれやわらかいあまいうまいとまらない。
こんな味覚も初めてで、もっと言えばこんなに味覚が強い料理も初めてで、とどのつまりこんなにおいしいものは初めて食べた。
ああ、世界にはこんなにおいしいものがたくさんあるんだ。
私は見も知らぬ世界に点在するであろう未知の料理に思いを馳せながら、夢中でカレーを貪る。
「おいしそうに食べるねえ」
「!! ……! っ、!!!」
「あー褒めてくれてるんだろうけど食べながら口を開くのは行儀が悪いからやめようね」