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物繰りの魔女  作者: あずきりこ
序章 シナリオからの逃亡
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6




「とりあえずご飯にしようか。お腹すいてるでしょ?」


 思う存分に頭をなで繰り回したあと、男の人はこういった。実に満足げな表情である。私の頭を撫でるのがそんなに楽しかったですか、さいですか。私の髪の毛はざんばらに切られているから撫でていてもそんなに楽しくないのだと思うのだけど。腑に落ちない気持ちを抱えつつもお腹が空いていたのは事実だったので一つ頷く。熱が下がって体が元気になったからか私の空腹が全力主張しているのである。

 動ける? と言われたので、動ける、と答えてベッドから降りた。この部屋ではなく別の部屋でご飯を食べるらしい。……一歩踏み出した時、生まれてこの方外で動き回っている日々しか送ってこなかったから、どうにも体の鈍りがひどいように感じた。伯爵家で数日寝込んでいるし、逃亡してきてからも寝込んでいたのだから当然の話ではあるが。

 服はワイシャツのようなデザインの貫頭衣だった。寝ている間に着替えさせてもらったようだ。……自分が今まで着てきたどの洋服よりも質が良さそうでちょっとしょんぼり。これは私の生活環境が劣悪だったからなのか、この男の人の生活が裕福だからなのか。

 ……そういえば私、この人の名前聞いてない。一歩先頭を歩く男の人の背中に声をかける。


「あの、あなたの名前なんていうんですか」


 男の人は半身だけ振り返って首を傾げる。すごく不思議そうな顔だ。


「……んー、そうだな。マグニとでも呼んでくれ」


 マグニさん、マグニさん、と口の中で音を確かめていたらとても微笑ましそうに見つめられた。


「君は?」

「リリティア、です」

「リリティアね。愛称はリリィかな?」


 頷くとマグニさんは、そのちょっと鋭い目を細めて柔らかく笑った。かあさま以外に「リリィ」と呼ばれたのは初めてで、胸の奥がくすぐったい。

 マグニさんが案内してくれたのは大きなリビングだった。キッチンとテーブルの置いてある食事スペース、ソファー二つとローテーブルのあるエリアがつながっている。ソファーとローテーブルの向こう側に暖炉が見えたから、あそこは団らんスペースなのだろう。ローテーブルの上にチェス盤や書物が積んであるから、あのスペースは頻繁に使われているらしい。


「じゃあそこに座っててね」


 私が座らされたのはキッチンに近い食事スペースの方の椅子だった。椅子に座った場所からはキッチンでごそごそするマグニさんの背中が見える。何が出て来るのだろうか。かあさまよりも少し大きな背中を見つめながらそわそわしていたら、急にマグニさんが振り返ってびっくりした。あれ、もうできたの?


「リリィ、ミルクかジュース、どっちがいい?」

「え、えと。……飲み物、ですか。……ど、どちら、でも」


 どちらと言われても私は生まれてこのかたまともな飲み物をあまり飲んだことがないから選びようがない。飲んだことがあるのは井戸水か三番だしぐらいの紅茶な程度で、あとは嫌がらせで飲まされた青汁――旨味もくそもない強烈な苦みとえぐみしかない限りなく緑色に近い黒の液体――ぐらいのものだ。最後のは正直飲み物と呼んでよいか疑わしい程わたしの食生活環境は劣悪だった、と思う。データさんの情報ではおそらくは最下層の環境だ。急に申し訳なくなって俯きがちに答えてしまったが、マグニさんに気を害した様子はなく、「じゃあミルクにしようか」と言ってミルクをだしてくれた。中身はホットミルクで、縁が可愛らしいウサギ耳の形に象られた白いマグカップに入っていた。


(可愛い……)


 マグカップの側面にはウサギの顔が書かれていて、それもまた可愛い。つるつるした手触りと丸っこいフォルム、ちょんと縁から飛び出た耳。うん、どう見ても可愛い。


「そのマグカップ、気に入ったのかい?」


 ……マグニさんがこんな可愛らしいものを持っている、ということを考えると、複雑な気分になるけれども。


「かわいい、ですね」

「だろう? かわいらしいだろう、一目ぼれで買ってしまったんだ。ほら、この器もセットだったんだよ」


 マグニさんが私の前に出したのは黄色いスープの入った器だ。縁の象りはウサギのよりも短くて丸く、側面には垂れた目と大き目の鼻。明るい茶色で彩色された器―――うん、クマだこれ。

 もう一度マグニさんを見る。

 マグニさんは、男の人だ。黒い髪にアイスブルーの瞳、顔の造形はとても整っていると思う。私の男の人の美醜はの基準はあの忌まわしき伯爵だから世間の基準はわからないけれど、マグニさんはとてもきれいな顔をしている。きれい、といっても作りものみたいな感じじゃなくて、冬の日みたいな、すーっとするような自然のきれい。見惚れるよりも先に、ぞくりと背筋が凍るような感じ。

 ……そんな人が、この可愛らしい食器を買った。しかも、セットで。


「前に旅をしたときに街で見つけてね。ディスプレイに飾ってあったんだけどどうしても欲しくて、店員に言ったら『お子さん用ですか?』って言われたよ。そんなに老けてるようにみえたかね?」


 いや、老けてないです。おうつくしいです。

 クマさんの器に装ってあったのはポタージュだった。口当たりがやわらかくてあったかくて胃に染みる優しさ―――とてもおいしかった。ただ、ウサギさんとクマさん以外にまだ動物食器シリーズがあることをマグニさんに聞かされた衝撃でそれどころではなかった。あとからデータさんにウサギやクマの実際の姿を見せてもらって、あの食器群が大変可愛らしくそれこそ子供向け用にデフォルメされていた事実を認識してもっと衝撃を受けた。

 ……よくよく見まわしてみれば、そこかしこに飾ってある小物群、……みんなかわいい。


   *


「さて、それでは勉強を始めるよ」

「おねがいします」


 ご飯を食べ終わってから始まったのは、この世界についての勉強。まだ病み上がりだから初歩から教えると前置きしたマグニさんは、私にどれくらいこの世界の常識を知っているか聞いてきた。いくつか質問が飛んできて、それに「はい」と「いいえ」で答えていただけだったのだが、それだけでマグニさんは私の知識の程がわかったようだった。哀れそうな視線が飛んできたのは、きっと気のせいだと思いたい。いや、はい、確かに私「何も知らない」って言ったはずなんだけど、マグニさんの想像以上だったようだ。

 マグニさんはいくつかの本を持ってきて、それを開きながら説明を始めた。


「まずはこの世界の事から始めようか。私たちが暮らすこの世界の名前は『アラム』。アラムにはたくさんの人種が住んでいるよ。リリィはヒューマンだね。他にも、ビーストやエルフとかいるけど、いずれ会えると思う。みんな協力してこの世界で暮らしているからね。彼らは色んな名前で呼ばれているけど、これら人種をまとめて『人』と呼んでいるんだ。はい、ここまでで質問は?」

「はい、その人種の違いは何ですか」

「一つは姿かたち、もう一つは持っている能力や性質だね。ビーストは身体能力が高く獣の耳や尻尾などを持っていて、エルフはヒューマンより耳がとがっていて華奢、そして年を取りにくいという特徴がある。人種にはほかにもシーマンというのがいるんだけど、彼らは海に住んでいるから足の代わりに尾鰭が生えているよ。これら人種の違いは、それぞれの人種が住んでいる場所に適応するため進化してきた結果なんだ」

「じゃあ、ヒューマンは、何が特徴?」

「適応力だね。他の種族と比べてこれといった特徴はないけど、持っている能力に振れ幅があるんだ。ビーストは身体能力が発達している代わりに魔力素養が乏しく、エルフはその逆。ヒューマンはその中間……と言われているけれど、ヒューマンは個人差でビーストやエルフに勝るほどの身体能力と魔力素養を発揮することがある。各地を転々としてきたヒューマンだからこそ身につけられた能力だね」

「身体能力と、魔力素養……」

「それは後で説明するよ。人の話はここまで。次は世界のお話を終わらせようか」


 マグニさんは手に持っていた本のページを私に見せる。見開きのページに書かれていたのは、地面が三つに重なった絵だった。上は雲に、真ん中は緑に、下は黒い雲に包まれている。マグニさんはそのうちの真ん中に指を置いた。


「私たちが暮らすアラムはここ。で、アラムの上を『エリュムヨン』、下を『ヘルガン』と呼んでいるよ。この三つの世界を行き来することは基本的に不可能で、それぞれに全く違う種族が住んでいる。アラムには人、エリュムヨンには天人、ヘルガンには魔人がね」

「天人と、魔人」

「そう。彼らは人とはまた違った種族だ。人の中のヒューマンやビーストとの違いよりも隔絶した違いがある。だからか考えることも大きく違っていて……うん、……まあ、詳しい話はまた別な時にね」


 そう言ったマグニさんは苦笑いをして、話を進めた。


「この二つの種族にも私たち人と同じように種類があって、天人には天使や仙人、現人神、魔人にはヴァンパイアや人狼、夢魔などがいるよ。彼らと交流することはごく稀だからあまり文献に乗っていることはないかな。ただ、こういう世界がアラムのほかにあることは知られている」

「つまり、常識」

「そ、子供の寝物語に多いんだけど、ね」


 マグニさんは寂しそうに笑って私の頭を撫でた。きっと、あまり親に可愛がられていない子だと思われているのだろう。

 そんなことはない、私はかあさまに愛されてきた、そう言ったらマグニさんはきっと考えを改めてくれる。こんな私に力を貸してくれる人だ、私の言葉に耳を傾けてくれるだろう。……でもまだ、私はかあさまの話をほかの人にできるほど心の整理がついていない。かあさまのことを話そうとすると心がきしきしと痛んで泣き出してしまいそうになるのだ。

 だからまだ、私は自分のことを話せない。自分のことを話すにはかあさまの話もしなくてはならないからだ。

 マグニさんすいません、もう少し待ってください。撫でてくれる暖かい掌の先に心の奥でひそかに謝った。


「さて、それじゃあ今度は魔力の話をしよう」


 マグニさんは一息おいて説明を再開した。ゆっくり、子供である私にペースを合わせて説明してくれるからとてもわかりやすい。それに最初は力をつけるための勉強だと意気込んでいたこの時間だが、世界のことを知るにつれて楽しくなってきていた。


「魔力とはアラム、エリュムヨン、ヘルガン、すべての世界にあるすべての物に宿るものだよ。世界を形作っているものと言っても過言ではないかな。リリィ、今朝魔力光の話をしたのを覚えているかい? あんな感じで、世界に存在するすべてのものに魔力はあるんだよ」

「……」

「そんな嫌な顔しないの。頑張れば魔力光の見え方を制御できるようになるんだから。それに、魔力光を見ることが出来る人はほとんどいないんだよ?」


 え、そうなの? あんな眩しい世界を見ることが出来る人はほとんどいない?

 首を傾げていたらくすりと笑われた。そんなに変な捻り方をしていただろうか。確かに視界が水平から縦になっていたけども。……あ、これ変なの? データさん。


「魔力光、というより魔力というものは通常目に見えない物質なんだ。それを見るには、君の場合には人の目――見るための媒体の性質が限りなく魔力に近い必要がある。つまり、媒体の中により多くの魔力が宿っているほど魔力光を見る力が強いということだ。まあ簡単に言うと、リリィの体にたくさんの魔力が宿っているから魔力光を強く感じ取ることが出来た、ということだね」

「じゃあ、マグニさんは?」

「見えるよ。そうじゃなきゃ、君に色々と教えられないだろう?」


 もしかしてこの人、結構すごい人なんじゃないだろうか。


「リリィ、魔力光を見たときたくさんの色があると言っていたけど、それはどんな色だった?」

「ん、と、……橙と青っぽい色が、多かったです。あと、白。赤はちょっとだけ」

「それは魔力の属性の色だよ。魔力の属性には火、水、風、土の四大魔素、上位に光と闇の二元魔素、別系統として時空魔素と付与魔素がある。魔素というのは魔力を構成する元だね。魔素で魔力を構成し、魔力が私たちこの世界のものに宿る、と考えればいいね」


 なるほど、よくわか……あれ、妙な既視感が。聞いたことがあるようなないような、知っているような知らないような。何も知らない私が知っているはずないのに、なぜか別なところでは「知っている」と認識している。

 この感覚はおそらくデータさんに由来するものだろう。私とデータさんの関係は不透明なようでそうじゃないからよく私の知らないものが透過してくる。私の言葉づかいや言葉選びしかりだ。データさんはこの世界のことを知らないから、きっと今マグニさんが話してくれた魔力の話と似たことをデータさんは知っているのだろう。

 とりあえずこの感覚についてはあとでデータさんに聞くとして、今はマグニさんの話に集中しよう。


「もともと魔素というものには何も属性はないんだけど、魔素は宿ったものの特性に染まっていく性質がある。例えば火に無属性の魔素が宿ったとすると、魔素は火の属性を持つようになり最終的に火の魔力になるんだ。ちなみに魔素、または魔力の属性は一度宿ったら、切ったり焼いたりつぶしたりしてもその性質を変えることはない。だからあのとき、リリィの目にはいろんな色が見えたんだよ。家具は色んな素材から加工して作られているからね」

「じゃあ、このウサギさんマグカップは……」


 私は手にしていたカップを持ち上げてマグニさんに掲げる。


「このウサギさんマグカップは本体が『土』の橙、周囲を『火』の赤が覆っているね。これは土を窯で焼いて作ったからだろう。それからウサギさんの塗装に『水』の青と『付与』の金が混じってるのはウサギさんマグカップに耐衝撃の付与魔力を宿したうわぐすりが塗られているからだね」

「ほおおお」


 そんなに、そんなにこのウサギさんマグカップに魔力が宿っているのか。私の両掌で支えられるほど小さくて可愛らしいこのコップにそれだけ多くの種類の魔力が宿っているなんてちょっと感動だ。

 つまり私が朝見たあの眩しい世界はこの世界に宿る魔力の姿。床に、天井に、ベッドに、枕に、私の触れるすべてに魔力が満ちている。


「感動しているようだね?」

「はいっ」


 思わず勢いよく返事をしたらマグニさんはその相貌を綻ばせた。それを見て、私は雪解け水を思い出した。




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