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物繰りの魔女  作者: あずきりこ
序章 シナリオからの逃亡
3/23

3

話の区切りは展開の区切りでつけていくため、所々一話が短くなる可能性があります。ご留意ください。




 寝込んでから3日が経過した。熱は幸いなことにまだ下がらない。

 ちょっと前に逃げる算段を考えていたら伯爵が医者を連れてきた。ぽってりと肥え太った禿げの親父だった。触診が妙にねちっこかったのが気持ち悪い。そして診断が終わった後、「早く熱が下がるといいね」と言ってにっこり笑った伯爵も気持ち悪かった。あと怖かった。

 ああ、この男は私の熱が下がってから心を殺しに来るんだ。そう思った。……あんな異様にぎらぎらした目を向けられたら、簡単に予想つくわ! 前に屋敷の庭に入り込んだ痩せた犬と同じ目をしてたわ!

 つまり私は飢えた獣の前にぶら下げられた御馳走状態である。おそらく数日後にはその狂暴な牙が御馳走に突き立てられるのだろう。

 もはや一刻の猶予もない。はやく逃げ出さなければと、気持ちだけが焦ってくる。無駄に寝返りを打ったところで何かが変わるわけでもないのに、体がうずうずして仕方がない。


(どうしよう、どうしよう)


 私は死にたくなかった。母からもらったこの命を繋げていきたい。後悔しないよう―――心を持って。


 ばんっ


 私がもだもだしていると突然部屋の扉が開いた。伯爵や医者はノックをしてはいってくるし、無表情で私の世話をする使用人たちはもっと静かに入ってくる。


(誰だ?)


 私は視線を上げて入室者を探すと、もう目の前にいたことに気が付いた。


「……」


 鮮やかな赤い髪が特徴的な少女だった。私よりも少し年上だろうか、纏う薄桃色のドレスは可愛らしいもので、目の前の少女に良く似合っていた。ただ少女は、そのエメラルドの猫目をきっと吊り上げて私を睨みつけていたが。

 なぜ睨みつけられているのだろうか。最近は恨みごとを買うことが多くていけない。使用人などからは、今まで蔑んでいたものが伯爵の保護下に置かれたことが気に入らないらしく、私の部屋に入ってくる人すべてが私に対して悪意を向けてくる。別に堪えちゃいないけれど。

 この少女は見たところ貴族らしい。もしかしなくても伯爵がらみだろう。


「―――気に入らないわ」


 開口それか。


「まったく、おじさまはどうしてこんな薄汚い下民などをかいがいしく世話しているのかしら。貴女もわかって? 貴女はおじさまの御目に写ることすら無礼であるのよ? 下民はわたくしどもの視界にその汚れたお顔が入らないように敬意をもって頭を垂れるのが当然であるというのに、これだから教養のない下民は嫌いなのよ」


 おおう。なんというマシンガントーク。

 この赤いお嬢様は私が呆然としているのに目もくれず、延々と私に対する文句を刺々しい悪意で包んで語り続けた。正直話半分にしか聞いていなかったが、どうやらこのお嬢様は伯爵の姪っ子であるらしい。曰く、尊敬する伯爵に会いに来たら伯爵は私を気にしてばかりで気に入らない、ということだった。


(伯爵に構ってもらえなくて寂しいのか)


 そういう深層心理みたいなところは子供らしくて可愛らしいのに、「下民が下民が」と吐き出す言葉すべてが蔑みにあふれているのが何とも言えない。彼女の様子から、姪っ子様はおじさまである伯爵を慕っているようだが、正直理解が出来ない。あんな怖い人のどこがいいのか。

 そんなことを考えながら赤いお嬢様を見つめていると、お嬢様の目がすっと細められた。


「あら、貴女なにもわかっていないのかしら。……なら、そう、そうね」


 お嬢様の口元が弧を描く。


「ねえ貴女。お母様を亡くされたそうね? 使用人たちが話していたわ。随分と薄汚い泥棒猫だったと評判だったけど」


 ……あの使用人たちは死体に鞭を打つらしい。もうこの世にいない人のことを悪く言えるなんて、正直その心持が知れない。母が今もなお貶されていることに、悔しさと怒りの炎がちりりと胸を焦がす。


「だけど母を亡くしたんだもの、悲しいわよね。寂しいわよね。唯一の味方がいなくなって、心細いでしょう。けれどね、知っているかしら? この世界には死者と会うことが出来る場所があるのよ。わたくし、その場所を知っているの」


 お嬢様は悪だくみをしている顔をしていた。完全に悪役の顔である。目の奥に無邪気な悪戯心が灯っているのを見た。

 だがわかりやすすぎるぞ姪っ子様。あんた私を騙そうとしているのでしょうそうでしょう。データさんが目覚める前ならまだしも、多少精神年齢が進行した今の私に、そんな子供だましみたいな戯言囁かれても1ミクロンだって心が動かない。私にはこの世界の常識がないが、お嬢様の顔を見れば彼女の言うことが嘘だとすぐに分かった。

 にもかかわらずお嬢様は饒舌に喋る喋る。少々滑稽だった。


「それはそれは綺麗な場所らしいわ。色とりどりのお花畑、たくさんの食べ物に服、豪華な家。そこに貴女のお母様はいるわ」


 なんだそれ。あの、お嬢様? その嘘、たぶん普通の子供に言っても信じられないくらい荒唐無稽なんじゃないかな?


「それでね、貴女、屋敷の離れにある倉庫をご存じかしら? 食糧庫と呼ばれているところよ。そこにね、貴女がすっぽり入りそうな空っぽの木箱があるわ。そこで眠って朝起きてみると、あら不思議! いつの間にか知らない場所にいるそうよ」


 お嬢様。貴女人さらいの斡旋でもしてらっしゃるんですか。


「そしてそこから少し歩くと貴女のお母様がいる場所に辿りつくそうよ」


 それもしかして死ねって言ってませんか。


「でもね、貴女がお母様のいる場所に辿りつく為の木箱、いつもあるわけじゃないのよ。消えたり現れたりを繰り返すの。けど貴女幸運ね、その現れる時が今夜なのですから! だから、ね? 貴女今夜必ず食糧庫の空っぽの木箱の中に入りなさいな。あ、蓋はしっかり閉じるのよ。絶対に開けてはだめよ? 暗くて怖いでしょうけど、大丈夫。すぐにお母様のところに行けるわ。……すぐにね」


 うふふふ、とお嬢様は楽しそうに笑って、部屋を出ていった。喋るだけ喋って帰っていった、嵐のような女の子だった。

 今の話はつまり、食糧庫の木箱に入って外のどっかに捨てられて野垂れ死んでしまえ、ということなのだろう。彼女の権力がどこまで及んでいるかはわからないが、彼女のいいぶりからして人身売買とかそういう類の者に木箱が運ばれる可能性は低い。というかあの年ぐらいの少女が人身売買の片棒を担いでいたらこの世界終っている。流石にそこまで世の中腐ってないだろう、と思いたい。それに、その業界に足を突っ込んでいる者がこの伯爵家の敷居をまたぐことが出来るだろうか。……もしできるのであれば貴族社会は真黒、ひいてはこの伯爵家も真黒、ということになるのだが。


(―――いまいち信用できないけど、賭けるしかない)


 あのお嬢様は私がここからいなくなることを望んでいるのだろう。やけに「今夜」行動することを勧めていたから、彼女は今夜何かしらの手引きをして木箱をこの屋敷から運び出す。どこに運ばれるかはわからないが、私が行動を起こすなら今しかない。……もしかしたらお嬢様が嘘をついている可能性もあるけれど、彼女が私に与えた情報は、私の持つ数少ない脱出手段の糸口だ。限られたこの時間の中で、みすみすチャンスを逃すわけにはいかない。

 この伯爵家から脱出する。伯爵が追ってくるかもしれないが、全力で逃げよう。

 私にできることは少ない。一人で生きていけるはずもない。だが、この屋敷で、あの男の掌で踊らされるよりはましだ。


   *


 夜になって、私はベットを抜け出した。まだ熱が下がっていなくて寒いし足元がふらふらするが、文句を言っている暇も立ち止まっている暇もない。部屋のクローゼットにあったカーディガンを拝借し、部屋のドアをそろりと開けた。

 廊下には誰もいなかった。廊下の窓は北向きについていたので月明かりすら零れていなかった。廊下は滲むような暗闇に包まれていた。

 不思議と怖くはなかった。ただ人に見つかったらやばい、という緊張感が私の体を高揚させる。熱のせいもあって心臓の唸りが耳に響いてうるさかった。

 左は行き止まりで右のほうに廊下が続いている。私が今まで寝込んでいた部屋は突き当りだったようだ。窓の外を見ると横並びの窓が縦に3列。私がいる階の向かいの窓は、真ん中―――私が今いるのは2階のようだ。

 階段を探して1階に下り、常に解放されている使用人用の裏口から外に出る。このあたりはいつも母と一緒に働いていた場所だから、たどり着くのは簡単だった。廊下に人影がほとんど見当たらなかったのはあのお嬢様がなにかからなのか、偶然なのか。ただ、向かいの窓の3階の一室に明かりが灯っていたのにはヒヤッとした。おそらくは、伯爵の部屋だ。

 外に出て伯爵の部屋から見えない範囲を歩いて食糧庫に入った。熱がある状態で歩き回り、ここ連日寝たきりでまったく運動していなかったから、体が重くて仕方がない。息は苦しいし、目の前が霞んでくる。

 けれどここでぶっ倒れて誰かに見つかっては本末転倒。気力を振り絞り、空っぽの木箱を探す。が、どれも大なり小なり食糧が入っていたり、私が入れるサイズじゃなかったりと、中々見つからない。


(しぬ。しねる)


 やばい。手足の感覚がもうなくなってきた。つか眠い。

 手当たり次第で木箱を開けていき、そして食糧庫の入り口近く、端の方にあった木箱を開け、とうとう私が入れるサイズの空っぽの木箱を見つけた―――と思ったのだが。


(……ねこ)


 木箱には猫が入っていた。薄汚れているが、白猫のようだ。私が木箱を開けたというのに丸まって熟睡している。

 もう私に空っぽの木箱を捜索する力は残っていなかった。猫を起こさないようにそっと中に入り、ふたを閉める。猫は、私がふれても目を覚まさなかった。もしや死んでいるのかと思ったが、猫は暖かい。ふかふかの毛が気持ち良い。

 変態っぽい医者や気狂いしそうな伯爵に触れられたときは寒気がして、生きた心地がしなかったが、猫はただ本当に暖かくて、涙が出そうだった。




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