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ゆっくりと深呼吸をする。肩の力を入れすぎず、されど集中力を途切れさせないようにして。
周囲にある魔力や、それぞれの魔力の隙間隙間に漂う魔素、そして己の中にある魔力を意識する。
使うのは火の魔力。温かく強大だが扱いが難しくつかみにくいそれを己の掌に手繰り寄せるようにして集め、一対の大きな掌で包み込むように、ぎゅっぎゅっと丸め込む。
そうしてできた魔力を―――三つ、周囲の魔力に惑わされないように確立させ、空に放つ。
ぽん ぽん ぽん
青白い炎が三つ、私の掌の上に浮きがった。
「―――お見事」
ぱちぱち、と私の隣でマグニさんが拍手した。魔力の制御をおこないつつ見上げると、満足そうに笑うマグニさんの顔がある。
一方で、私はきゅっと眉を下げた。
「でも、青……」
「うん。そうだね、リリィの出した炎は青だ」
「マグニさんのは、赤とかだった……」
今私はマグニさんの家の前にある開けた土地で、魔術の実践をしている。つい最近始まった実戦で、座学で学んだ魔術を基礎から自分の魔力を使って生み出し練習するというもので、今日は火の魔術『火玉』の実戦練習―――だったのだが。
お手本として発動してもらったマグニさんの『火玉』と私が今出した『火玉』の色が違っているのだ。とくにへまをした覚えはないのだが……。
「そうだねえ。……って、リリィ落ち込まないでいいんだよ? 確かに私のは赤い炎だったけど、リリィのも立派な炎。色が違うだけで同じ『火玉』さ」
「そう、なの?」
「そうさ。炎っていうのは、温度が高くなればなるほど色が青色になるんだ。だからリリィのは、私のより温度がすごく高い、すごい『火玉』ってことだよ」
「……成功?」
「うん、大成功」
その言葉を聞いて、ほっと息をつく。魔力の制御をゆっくりと解いた青の炎は白と橙の火花を散らして空に消えた。
(失敗したら、マグニさんに申し訳ない)
このひと月と半月、マグニさんに教えてもらった魔術の基礎と、実践に向けての下積み。私はそれを真剣にやってきたつもりだ。本もしっかり読んでるし、最近は魔術の応用に一歩足を踏み入れている本も読ませてもらえるようになった。『ビーストさんとエルフさん』シリーズも五巻目に突入している。数字も掛け算割り算は完全にやり方を覚えて、今は分数だ。―――私自身、生活の中で成長してきていると実感できているのだ。
マグニさんに「そろそろ魔術の実践を始めようか」と云われたときは本当に嬉しかった。本で読んだことを実践できることは何より、マグニさんに今までの成長を認めてもらえたような気がして、思わず手を振り上げて喜びを露わにしてしまうくらいには嬉しかった。……そしたらマグニさんは目を真ん丸にして、とっても嬉しそうな笑顔で頭をこれでもかと撫でまわしていたけれど。うん、あのときは私より何故かマグニさんの方が嬉しそうだった。
だからこの魔術の実践において、失敗というのはちょっと怖い。マグニさんから失敗は成功の素、と言われたが、やっぱり失敗してしまうと自分の成長がすべて無駄だったように錯覚してしまうし、せっかく認めてくれたマグニさんに申し訳なくなってしまう。足元が真っ暗になる心持がするのだ。
(だから失敗しないようにしっかり準備して、頑張ろうとしてるけど……)
どうにもうまくいかない。魔術はとても難しいものだと痛感している。
今日は火の魔術だが、以前は水、風、土の魔術を実践したときも思ったようにうまくはいかなかった。水の魔術『水球』は風の魔力が混じってしまって氷の球が浮いて出てきてしまったし――後でマグニさんに氷の球を使ってかき氷を作ってもらった。頭がきんとしたけどおいしかった――、風の魔術『風玉』はなんだか妙に小さい半透明の球がでてきて、マグニさんには「……うん、一応『風玉』だね、うん。独特な『風玉』だね」と言われた――その後マグニさんは私の『風玉』を持ってどこかに行ってしまった。遠くで爆裂音が聞こえたが、何だったんだろう――。土の魔術『土玉』はただの土の塊が出て来るはずが、なぜかつやつやの土の塊が出てきた。地面に落としたら半分自重で埋まってしまう変な『土玉』だった。
どれも成功は成功だ。しかし、「一応」がつく。どうしてか私の魔術は妙な形で確立してしまうようだった。
(ううん、何がいけないんだろう)
「―――どうやらリリィの魔力は凝縮しやすい性質を持っているようだね」
「え?」
見上げた先のマグニさんは優しいまなざしで私を見おろしていた。
「普通、魔力っていうのはあんまり込めすぎるとはじけ飛んで魔術にならないんだ。けどリリィの魔力はそうならない。どこまでも集めて固めることができるんだろうね。だから魔力の密度が上がって威力も高くなるし、派生現象が生まれる。……青白い炎も、この前の氷や土のボールもそういうことなんだろう。だからそんな顔しないでリリィ」
する、とマグニさんの掌が私の頭を撫でる。
そんな顔、とは、私はどんな顔をしていたのだろう。感情はともかく、私の表情筋は物心ついたころから動くことを放棄しているのに。
「―――そうだ! ねえリリィ、ちょっと実験してみないかい?」
「じ、けん?」
「そう。リリィの魔力をどこまで込められるかどうか……自分の力量や特性を把握しておくことも実力の内、ってね」
マグニさんはそう茶目っ気を込めて笑った。
*
マグニさんが持ってきたのは一本の不思議な形をした棒だった。
もってご覧、と手渡してもらうとずっしりした重みが腕にかかる。びっくりして見上げたらマグニさんは目を細めて面白そうにしていた。私の反応を楽しんでいるようだ。私はあんまりおもしろくないぞマグニさん。
マグニさんはそのまま動く様子がなく、私が棒を持った様子をじっと見ている。まだ持っていろ、ということなのだろうか。持ったまま上にあげたりしても何も言わないので、棒を落とさない程度に観察することにした。
棒は私の肩幅より大きく、掌で握っても指が回らないほどには太い。両手で握れば端っこも持てる程か。棒にはわずかな反りがあり、その身には年季の入った紐や帯が巻かれていて使いこまれた印象があるが、元々の素材がいいのか輝きを失っていないように思う。朱色の紐には金色の糸が織り込まれていて動くたびにきらきらして綺麗だし、深い紫色の帯は控えめにつやつや光を反射している。棒の五分の一ぐらいのところに――分数はこういう使い方もできることをこの間覚えた――金属の飾りのような、細長い円が取り付けられていて、つやつやに磨き抜かれた円の面の方には細長い蛇のようなものが彫り込まれていた。
(なんだろう。装飾品かな?)
よくわからないままに見上げたらマグニさんは一つ頷いて、私の手からその棒を手に取った。
「これは守り刀。武器の一種だよ」
「えっ」
「昔各地を旅していたときに放浪の鍛冶師に会ってね。その人は随分酔狂な人で、旅をしながら武器を作って売っているというんだ。これはそのときに打ってもらったものだよ」
マグニさんが金属の円がある方を持ちすっと引くと、鈍色に輝いた刃物が見えてきた。料理の包丁より鋭くて、透き通った月の色をした刃。なぜかとてもどきどきした。
「守り刀というのは刀と云う武器の一種である短刀の別名。使用者の一番近くでその身を守ることから守り刀とも呼ばれているんだ。他にどんな武器を持とうとも、最後まで身を守ることも意味しているんだ。私も何回かこの刀に守ってもらったよ」
「マグニさんを、守った……」
それだけでどうしようもなくすごい代物であるように思えてきてしまうのはなぜだろうか。いや、その話を聞かなくても、なんだか見つめているだけで私が近づいちゃいけないような、威圧感というか圧迫感を感じる。なにか妙なものが、この細くて薄いその身の中にあるかのような。
「で、この守り刀の名前は『月瑞月』。刀の刃のところと持ち手のところに丸い飾りがあるだろう? これが空に浮かぶ月と水面の月のようであることからこの名前をつけたということらしい」
よく見ると刃の真ん中ぐらいのところと刃に対応する位置の持ち手のところに丸い飾りがある。飾りは両方の側にもついていて、ひっくり返すたびに手元と刃に光が煌めく。それは金にも銀にも見え、白や黒にも見えそうな不思議な色。半透明のようでそうでないあやふやな艶めきを湛えているその飾りは宝石のよう。いや、わからない。それが何か、金属か宝石かもつかませないような、不思議なそれ。水面の月か霧の端を掴むような感覚。刃に浮かぶ模様が朝霧のようにも見えてくる。
空の月と水面の月。夢と現。
「つき、みづき」
「ふふ、私は名の由来もだけど、何より名前のリズムが心地よくて好きなんだ。何度も呼んでしまいたくなる」
ふと心をついたのは郷愁。ああ、これはデータさんのものだ。
言葉のリズムと、言葉に込める思い。遥か彼方に存在した過去に想いを馳せ儚い時の流れを憂い慈しみ、そして愛でる文化。刹那を詠い、激情を遠隔から切り取りあえて霞に隠す。心を馳せ、想いを察し共感する。
データさんから伝わってきたのは言葉ではなく思念だった。データさんも言葉にできないのか、ふわっとした、けれど確かで大きく温かな思いと念。
(データさんは覚えているんだ。自分が暮らした世界の空気を。だから懐かしむことができるんだ)
刀と『月瑞月』という名前はデータさんに、生まれた世界のことを思い出させたらしい。あるいは連想か。どっちにしろ、データさんが生まれたところに似た言葉であることは違いない。
(私にはそういうものが出来るのだろうか)
私にはかあさましかいなかったから。
(……想えるのだろうか。私は、故郷を)
嫌な笑みを湛えた伯爵の顔が脳裏を過った。
「月瑞月」
頭に陰ったものを打ち消すように刀の名前を口にする。静かな水面が心象に浮かんだ。
「これを打った鍛冶師……、刀の場合は刀匠というんだっけか。彼は結構な熟練者でね、この刀はかなりの業物なんだ。特に魔力方面に優れていて、かなりの魔力をため込むことができる。リリィ、月瑞月に全力で魔力を込めてごらん。もちろん漏れがないように。大丈夫。壊れることはないさ」
「は、はい」
マグニさんからもう一度月瑞月を受け取り、ゆっくりと魔力を注ぎ込んでいく。
これはつまり、魔力を許容する器の大きいこの月瑞月を使って、私の魔力をどこまで注ぎ込むことができるのか、という実験なのだろう。マグニさんが言うのだから月瑞月が魔力の許容をこえて変なことになることはないだろうし、万が一のときは止めてくれるはず。
なにより私は魔力を込めることに関して、全力を出したことはなかった。アイクたちとの遊びは魔力をいかにセーブするかという遊びだし、マグニさんとの実践も魔力のコントロールに重点を置く。だから魔力の量を図るこの実験に少なくないわくわくを感じていた。
「…………、」
込めていく魔力は火、水、風、土のすべて。普段扱うことのない量の魔力の中で、それぞれの属性を割り当て流していく作業はさほど辛くない。むしろ楽しい。魔力を流す感触では、月瑞月の許容量はまだまだあるし自分の魔力もまだまだ圧縮をかけ続けられることがわかる。
今度はそれぞれの魔力の割合を順繰りに増やしていこう。「火三、水一、風一、土一」の次は「火一、水三、風一、土一」と言った感じで。
「………………、」
魔力を流しながら月瑞月を観察していると、名前の由来である刃と持ち手のところにある宝石のような飾りの色が変化していることに気が付いた。どうやら込めていく魔力の質によってその色を変えるようだ。魔力を均等に込めているときは四色の混ざり合った綺麗な虹色。魔力のどれかが偏っているときは、均等なときの虹色をベースに赤や青の光が散っていた。
「………………………、」
―――だんだん、扱える魔力が少なくなってきた。私の持っている魔力が少なくなってきたということだろう。今は月瑞月の形に添って魔力の圧縮を掛けているところなのだが、まだ押し込められる感覚がする。これは月瑞月の容量が大きいのか、それとも。
「……―――、ま、魔力が切れました」
「う、うん。そのようだね。うん」
奇妙な脱力感に襲われ、私は魔力を込めるのをやめた。おそらく今私の魔力は全体の一割ほどしか残っていない。最初の頃に比べ魔力を限界まで使うことはなかったから、いい経験になったと思う。あまり味わいたくない感覚だが、覚えておいて損はないだろう。もし魔力を限界まで使う機会があったときに自分の限界以上の魔力を使って昏倒しなくて済む。できれば定期的に今回のような機会があればいいが、しかしその機会がこの先あるかどうか、と考えると不安になるのだけれど。
「座っていなさい。魔力を使って疲れたでしょう」
マグニさんはそう言いつつも否定を許さないようで、私が返事をする前に私を持ち上げてソファーに降ろした。強制連行である。
ぽすーんとソファーに収まった状態でマグニさんを見上げる。月瑞月を色んな方向から観察しているようだ。刃の先っぽ、持ち手の金属のところ、持ち手の先端、丸い飾りのところ。刃を収めたり、抜いたり、随分長く観察していたように思う。しばらくして月瑞月を収め、私の隣に座った。
「うん、やっぱりリリィの魔力はすごく特殊だね」
マグニさんはそう結論付けたようだ。
「特殊、というと?」
「さっきの実験は魔力をどこまで込めることができるか、という実験。結果は月瑞月の魔力保有量を遥かに超える魔力量が月瑞月の中に込められている。容量にして五倍。……これは、リリィの魔力が限りなく圧縮を掛けられる性質を持っていると考えた方がよさそうだ」
「……?」
五倍。それは、どれぐらい凄いことなのだろうか?
「月瑞月に込められた魔力は刀の端まで見事に届いているし、そこから漏れだすこともない。リリィの保有魔力量を考えると尋常じゃないね、これは。魔力光から見るに四大魔素がほぼ等分で込められているにも関わらず互いに干渉しすぎず、反発もしない。むしろ互いに支え合う一個体のような……、」
「ま、マグニさん?」
「え? ……ああうん、ごめんねリリィ。難しかったかな」
マグニさんは恥ずかしそうに笑っているが、あれは研究者というか自分の思考に没頭する人の目だった。データさんから『やっばい目ェしてる』という念と一緒に飛んできた意識だ。マグニさんの職業については詳しく聞いていないが、それなりに稼いでいたために今のこの生活があると前にいっていた。マグニさんは魔術やらなんやらの研究者なのだろうか?
「つまり、リリィの魔力はとても粒が細かいのだと思うよ。だから圧縮し続けてもその粒が壊れることなく魔力という体裁を保ったまま―――、ううんと、そうだね。要はどこまでも小さくなれる魔力ってことだよ」
「小さく?」
「そう。例えば私と同じぐらいの魔力の塊を作ったとする。普通の魔力はその形より小さくしようとするとどこかが弾けて魔素として飛んじゃうんだけど、リリィの魔力はそこからリリィの体ぐらいまで小さくできる。中身の魔力の量は同じなままね。やろうと思えばうさぎさんぐらいまで小さくできるんじゃないかな?」
ただ代わりにコントロールに一層気を使わなきゃいけないけどね。マグニさんはそう締めくくり、月瑞月を私の目の前に差し出す。
「これは君が持っていて。これからは魔術だけでなく、武術も教えていこうと思う。ここに来たときリリィはとても弱っていたし体力もなかったからできなかったけど、そろそろ大丈夫だと思うから。村まで行くのにそんなに疲れなくなってきたしね」
はっとして顔をあげると、マグニさんはいたずらっ子のように目を細める。なるほど、私にレピトン村へ通う習慣を付けさせたのは体力をつけるためでもあったのか。
それに、武術。『ビーストさんとエルフさん』ではビーストさんの得意とする―――現実でも、ビーストが得意とする戦いの術。己の全身を武器として戦う武術の基礎だと、辞書に書いてあった。
「これからは月瑞月を肌身離さず行動すること。武器を身に着けることは相応に体への負担になるから体の鍛錬になるし、武器を身に着ける習慣もつけてもらいたい。いいね?」
マグニさんから月瑞月を受け取り、しっかりと頷く。思わず力の入る掌で握りしめながらじっと持ち手に飾られた虹の円を見つめた。
マグニさんは私の成長を待っていてくれたのだろう。元々少ない体力が伸びるようにしてくれ、その間も魔術について丁寧に教えてくれた。時々わからないことがあっても聞けば教えてくれた。私がマグニさんの敷いたゴールラインにたどり着くまで見守ってくれていた。
頬が熱い。心が躍る。久々の大きな喜びは私の身を焼くようだった。