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物繰りの魔女  作者: あずきりこ
第一章 リリティアと魔法使いマグニの家
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6

ウリベル視点です。



 ウリベル・ベルフォードは魔法使いマグニの恋人である。もう随分と長い付き合いであるが、ウリベルは久方ぶりに彼に対して怒りを感じていた。


「ねえマグニ。わたくしが言いたいこと……おわかりですか?」

「い、いや、ちょっと落ち着いてくれるかな」

「わたくしは至って平常ですが」

「そんなわけないよねじゃなかったらなんで私はマウントポジションを取られているのかな」

「貴方が抵抗するからでしょう」

「全力で殴る準備万端の君を目の前にして構えずにいられるとでも!?」

「その原因は貴方にございます」

「だから何が!?」


 事の始まりは、ウリベルがマグニの家を訪ねてからの事である。彼女が彼の家に訪れることはそう珍しいことではなく、彼としてもいつ来てもいいように準備はしてあるし、彼ら二人の逢瀬に問題は何もなかった。

 かといってマグニが拾った少女リリティアのことが問題になったわけでもない。マグニはたびたびその持前の『勘』で奇天烈な行動を繰り返していたし、彼との付き合いの長いウリベルもリリティアの存在は彼の行動に付随するものだと、とくに気にもしていなかった。ただ、自分に怯えつつも必死に思いを伝えようとする態度と小動物さながらのぷるぷるした身振り手振りに心癒された程度である。

 そう、問題は彼女の存在ではなく、保護したマグニにあると、ウリベルは感じていた。


「何がではございません。よろしいですか? 人の子というものは同世代の子供たちの中で学ぶことも多くあるのです。強大で頑強で難攻不落な貴方という保護者の下で勉強することは、確かに有意義であり安全な環境でしょう。貴方の施したという水の魔力……それもまた、あの子に良い影響を与えているようですわ」


 ウリベルはこの家に入った時から、いつもより空気中を漂う水の魔力が多く、そして前にはなかった法式が組み込まれていることを感じ取っていた。正確には音として『聞いていた』。魔力の質や量、濃度、法式の性質を看破した結果、この家を満たす水の魔力の法式は『範囲内にある対象の精神を落ち着かせ、リラックスさせる効果』を持っていることを見抜いた。これを施したのがマグニであり、かつこの法式は限りなく薄い魔力で作られ察知されにくい処理がされていることも。

 ウリベルはリリティアと話す中で、彼女の心がひどく傷ついていることを『聞き取っていた』。聞こえてくる音から、彼女が以前まで恵まれない環境下にいたこと、信じられるただ一人の肉親を亡くしたこと、そして命からがら危機を脱してきたその先でマグニに拾われたことを感じ取った。そしてマグニと暮らしていく中で、少しずつ傷ついた心が治ってきていることも。

 ウリベルはどんな音をも『聞く』ことができた。どんなに遠くの物音も、雑踏の中に紛れ込んだひそひそ話も、海底奥深くで沸き立つ火山の地響きも、森の中の木の葉に隠れた妖精の小さな囁きも、―――人の心の声さえ、彼女が望めば『聞き取る』ことができる。それは彼女が生まれ持った特異であり、魔法や魔術に属さない特殊な能力だった。

 だからこそわかる。この、目の前の美麗な男が何もわかっていないということが。

 リリティアが寝室に入った瞬間、隙ありとばかりにスカートを翻しその美麗な足で以てソファーに押し倒され圧し掛かられたにも関わらず、首を傾げるにとどまったこのマイペースな男の。

 なぜウリベルがこんなにも怒っているのか不思議で仕方がないという心の音が聞こえてくるのだから。


「ですが! そうして得られるのは家族愛、叡智であり世を渡り歩く術ではありません。人と触れてこそ人との接し方を学ぶというものです。机上で完結していてはただの頭でっかちになり果てますわ。おわかりですか、マグニ?」

「うーん、でもリリィは頭がいいし。私にもできたことだから……」

「“魔法使い”の貴方と一緒にしないでくださいまし!!」


 マグニは天才である。“魔法使い”とはそんな彼の才能、在り方、実績や称賛をまとめてひっくるめてあらわした称号そのものであり、つまり魔を司るものとして彼と肩を並べる者はこの世界においてそうはいないということだ。そんな彼の行動や思考原理は少々常軌を逸しているところがあり、ウリベルは彼との長い付き合いの中でそれを嫌というほど実感していた。一体どれだけ度肝を抜かれたかと、今でも遠い目をしながら回顧してしまうほどである。

 そんなマグニと年端もいかない少女であるリリティアを同列に置くなど、ウリベルはリリティアが哀れで仕方がなかった。


「確かに彼女の才能は認めますわ。……誰が齢七つにして辞書片手に本を読めるようになるなど予想できるものですか。そもそも辞書を読めるほどに読解能力を高めなければ話にならないというのに……」

「いや私はそろそろいけるかなと思って―――」

「しばしお黙りくださいましっ! ……彼女とお話していましても、彼女の能力は同年代のそれより頭一つ抜けております。これが物心つくころからならまだしも、たった一月でとは……恐ろしい成長速度、凄まじい才能を感じます」

「ウリベル……」

「誇らしげになさらないでくださいませ、むかつきますわ」


 その顔は成長を褒められて喜ぶ親の顔だったとは、後のウリベルの言である。


「だからといって同世代との交流を遅らせても良い理由にはなりませんわ。貴方があの子のことを心配しているのはわかります。その年に見合わぬ経験と傷を持ったあの子が外に出ることを不安に思うのも。しかし子供とは時としてそうした『壁』をいともたやすく乗り越えてゆくものですわ。貴方が思っている以上に、子供は平等であり素直ですもの。だからどうか、ご一考くださいませんか、マグニ。あの子を同世代の子供たちと会わせることを」

「……」

「もちろん始めは顔合わせ程度で構いません。そのあとはあの子や子供たちの動向を見守り、自主性にまかせてゆけばよいと思いますわ」

「―――考えておくよ」


 マグニは額に手をあて、まいったように溜息を一つついた。対してウリベルはほっと息を吐く。

 前述のとおりマグニは天才であるがゆえにその行動と思考が常識で測れないことが多々ある。また他人を自分と同じ基準やものさしで測る傾向があるため、過去かなりの確率で諍いや面倒事が巻き起こっていた。要は高次元な存在でありそのことに無自覚であるが故の社会不適合者なのである。その場面に多く出くわしていたウリベルは今回も同様に、マグニはリリティアに対して自分の基準で接し課題を課していると確信したためこのような行動をとったのだ。


(リリティアさんがあそこまで優秀であったことは想定外でしたが、これでリリティアさんの感性がマグニ寄りになることは防げるでしょう。市井の子供たちと接せば一般常識を肌で感じ学ぶことが出来ますし、自らの基準をマグニに置くこともありません)


 ウリベルはマグニを基準、または目標とし努力した人を何度も見てきた。しかしそういった人々がマグニのいる高みに辿りついたのはただの一度もなく、皆挫折して心折れ諦めていくのである。

 そのような人もう増やしてはならない。ましてやそれが年端もいかぬ少女など、喜劇にすらならない。

 ただ今回の場合リリティアが想定以上に優秀であり、おそらく育てれば稀代の秀才になれるほどではという片鱗をのぞかせており、それがウリベルをさらに不安にさせていた。


(……もしこのまま手を出さず、放置していたら第二のマグニが出来ていたかもしれません。無自覚を極めた御仁はマグニ一人で十分です)


 周囲を混乱の渦に叩き落とす無自覚の台風的存在が、二人。想像するだけで目の前が暗くなりそうなウリベルであった。


「―――ウリベルは、」


 突然マグニが口を開いた。はっと思考の渦から帰ったウリベルが眼下に見たのは無表情の彼―――いや、少々沈んだ色を見せた顔をした、愛しい人。


「私がリリティアに、私の持つものすべてを教えることを反対するかい?」

「……ちょっと待ってください、貴方そこまで考えていたんですか」


 “魔法使い”たる技術のすべてをあの少女に伝授する。今現在進められている最高峰の魔術をもってしてもマグニの『魔法』の一端にしか届いていないというのに、その至高にして孤高、逸脱した技術をあの少女に与えると。

 ウリベルは脳裏に、先程幻視した暗闇が襲ってきているような気がした。


「あの子ならできる。そう思ったんだ」

「え、ええ……ええ、ええ、そうでしょうね。わたくしも、リリティアさんなら貴方の技術を学んでいくと思いますわ」


 だからこそリリティアを早急に世間に慣れさせたい。それがウリベルの真意であった。

 ウリベルはその白魚の指先をマグニの頬にそっと添える。


「反対などしておりません。わたくしは貴方の想いを、願いを、叶えたいと思っています。いつも、いつまでも」


 それはマグニと出会って誓った思い。他人の心の声を聞き、揺らぎがちだった感情の中で、確かに願った一生の想い。

 始め、マグニがリリティアを拾ったことは彼の気まぐれ、または『勘』によるものであり、一時的なものだと考えていた。しかしリリティアが一時的にしては丁寧に保護され教育されていること、彼女の身の回りを整え彼女を思いやっている様子が見られたこと。あの黒猫の食器一式はその最たるもので、彼が自分以外の為に日用品を買っていたことは、リリティアを育てるという明確な意志の表れであった。

 ウリベルはびっくりしたのだ。人の世を渡り歩き、人生の酸いも甘いもそれなりに経験してきた彼が、小さな少女に情をかけていることに。そのことは嬉しくもあったが、同時に心配でもあった。リリティアが彼の教育に耐え、彼の期待に答えられるか―――それがわからなかったから。

 その心配は杞憂に終わったものの、次なる心配がまた舞い込んできたのだが。


「ですからマグニ、リリティアさんのことには全力で口を出させていただきますよ。貴方だけでは不安ですから」

「君は私をなんだと思っているのかな……」

「あら、心外とは言わせませんわ。貴方今までどれだけの方々にお世話になったと思っていらっしゃるの? ましてやこれからは大丈夫なんておっしゃるつもりかしら? 正直耳にタコができるほど聞きましたわ、その言葉」

「そ、それこそこちらの台詞さ。私だってね、もう五十年も生きているんだから小さい子一人くらい―――」

「往生際が悪いですねマグニ。それに似たような言葉は既に十年前と二十年前の頃に頂きましたよ」

「……―――」


 マグニは観念したように目を伏せ、大きなため息をついた。それを見てウリベルは満足げに微笑み、乗せていた腰回りをくるりと回してそのままマグニの体に座り込む。優雅に足を組んでみれば、右の方から「ぐえ」とつぶれた吐息が漏れた。


「まったく、一人でやろうとするからこうなるんです。貴方は対人関係の気回しに関しては圧倒的に才能がないんですから。わたくしたちにもお声を掛けてくださればよろしいのに」

「いや、まあ君らはよくうちに来るし、勝手に知れるだろうと思ってね」

「貴方のことですからそんなことだろうと思いましたわ。……既に、皆さんにもお知らせしていますので、近々みなさん訪ねられると思いますよ?」

「えっ」

「貴方があの子を拾ったすぐ後、みなさんに通知いたしましたわ。『風よみ』たるわたくしが何もしていないと思って?」

「あ、ああ……これは、来るなあ……順番に……」


 頭を抱えて唸り始めたマグニに、ウリベルは念押しをするように微笑んだ。それは日輪に顔を向ける大輪の花のようであったが、その裏には悪戯の成功した子供のような無邪気さも隠れていた。




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