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物繰りの魔女  作者: あずきりこ
第一章 リリティアと魔法使いマグニの家
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2



「お、おちゃです」

「あらありがとう」

「ぽぴい」


 いかん。恐怖と緊張がないまぜになって変な声出る。顔から火が出そうだがお客さまを一人置いてベッドに潜り込み悶絶するわけにもいかないので、私はただその場で縮こまるしかなかった。それくらいは伯爵の屋敷にいたころから学んでいるのだ。

 女性はとてもきれいな人だった。今リビングのソファーに座ってもらっているが、その背筋をぴんと張り微笑む姿はまさに貴婦人。ハーフアップにした銀糸の髪はキラキラしてるし、とても柔らかそうだ。肌も白くて緋色の瞳との対比は陶磁器に埋め込んだ宝石を思わせた。少なくとも伯爵家で見かけた壺やら瓶やらに比べたらよっぽど綺麗である。若草色のワンピースはシンプルな作りなのにこの女性が着ているとまるでドレスのように見えてくるし、とにかくこの人は私が今まで見た中で一番美しい女性だ。ここまで連ねてきた賛美がくだらなく思えてくるぐらいには綺麗な人だ。つまりは言葉にできないのである。

 女性はマグニさんを訪ねてきたようだった。玄関口でドア越しに、なんとか勇気を振り絞ってマグニさんの不在を伝えたところ、「ではマグニが帰ってくるまで待っていてもよろしいかしら」と素敵な笑顔でおっしゃってくださいやがりました。帰ってもらえると思ったら帰ってくれなかった。その時感じた気持ちの落差と絶望をどうしてくれよう。

 しかもあんまり邪気がない笑顔でにこにこされていたものだからそのまま無言で邪険にするわけにもいかないし、そもそも私にこの人を追い返すほどの勇気はもう微塵にも残っていなかったので、内心白旗を挙げつつ女性を家にあげ、今に至るわけである。


「ふふふ、そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ? 何もしないわ」


 ああっ、やめてください笑わないで! 美人さんの笑顔がこうも眩しいとは思わなかったよ! 魔力光のあれとは別な意味で目が焼けそうだよ!


「わたくしウリベルと申します。貴女の名前を教えてくださらない?」

「……り、リリティア、です」

「リリティア、とても涼やかな名前ね。貴女、これから用事はあるのかしら?」

「よ、用事? ……、」


 な、なんだろう。この人は何が聞きたいのだろう。正直初対面の人との会話で緊張と恐怖がピークで限界突破を経てボルケーノファイアしそうなので勘弁してほしいのだが。


 ぐーきゅるきゅる


「……」

「……っ、……っ!」


 あああああ空気呼んで私のお腹あああああ! なあにこれ、なあにこれ! この焼けるような居たたまれなさは何! これが穴にでも入りたいほどの恥ずかしさってやつか!


「お昼はまだなのかしら? マグニは何か作り置いているのかしら」

「っあ、あります。ごはん、あります」

「ではリリティアさんはご飯をお食べなさいな。子供は食べることが仕事の一つですものね」


 穴があったら埋まりたい。


   *


 ご飯の味がしなかったのは初めてかもしれない。目の前でにこにこしながらこちらを微笑ましそうに見つめるウリベルさんが気になりすぎて味わうどころの話じゃなかった。うう、見つめられるってこんなにつらいものなのか……!

 その視線から逃れるかのように小走りで台所まで行き、食器を片づけようとしたらふっと上から影が降りてきて、


「まあ! リリティアさん家事をなさるの?」

「えっ!? あ、はい」

「ではわたくしにも手伝わせてくださいませ」

「え!!?」

「大丈夫、わたくしこの家には何度もお邪魔しておりますから勝手知ったるもの。それにお客様として扱っていただくほど、高貴な身分でもございませんから」


 嘘おっしゃってくれるな。どう見ても貴婦人にしか見えないきらきらが高貴なものじゃないなら伯爵家のあの赤いお嬢様は一体なんなんだ。


「で、でも」

「大丈夫ですから」

 にっこり。

「あうう……」


 押しが強い。押しが強いぞこの美人さま!

 うん、無理。今の私にこの人を押さえ勝つのは無理だ。


「う、お、お願い、します……」

「はい、任されました」


 ウリベルさんはこれまた綺麗に微笑んで、スポンジを手に取った。やる気満々のご様子ですがその手にしたスポンジがみすぼらしく見えるぐらいには気品あふれています。


「……」


 すいませんウリベルさん。気品とかお客様とか、私がウリベルさんの押しに勝てないとかいう問題は置いておいて、流石に洗い物はさせられません! そこ取られたら私の存在価値が薄くなってしまいます!

 思わずウリベルさんの手からぱっとスポンジを取り上げる。


「あら?」


 ……って、今わたし大変失礼なことをした?


『無言でスポンジを取り上げたね』


 データさん解説ありがとう。とても失礼だね!

 ああどうしよう。さっきからお客様だのなんだのって気にしてるのにこの始末。矛盾甚だしい言動行動はどう見ても挙動不審。ものすごい怪しまれているに違いない。マグニさんのお知り合いでもあるし、あまり悪い人には見えないウリベルさんに怪訝な目で見られたらと思うと少し心がちくちくする。


「…………………」


 色々悩みつつも口は何の声も発しない。わけのわからない緊張に見舞われて喉の奥がかさかさする。

 ああどうしよう。思考が堂々巡りでまとまらない。


「あらあら」


 もはや何が何だかわからなくなってスポンジを握った状態で固まっていた私の前で、ウリベルさんはおかしそうに笑った。けれどその声に嘲りの色はなく、ただ本当に無邪気に笑った鈴のような声。


「ふふふ、マグニも良い子を拾ったものですね。ええ、ではリリティアさんが洗ってわたくしが拭いていくことにいたしましょう」

(あれ?)


 怒るでもなく、変な顔をするでもなく、ウリベルさんは微笑んでスポンジの代わりに布巾を手にした。


「ほら始めましょうリリティアさん。洗い物を終わらせて、わたくし早くあなたとお話がしたいのです」

「あっ、は、はい」


 ウリベルさんに言われて私はスポンジを握りしめ、洗い物に取り掛かった。泡を立てて食器を磨き、水で流してウリベルさんに渡す。

 にこにこ


「……」


 大変いい笑顔です。

 気を取り直して今度はマグカップを洗っていく。朝に使ったものを置いたままだったのでマグニさんと私の分二つ磨いて泡を水に流し、またウリベルさんに渡す。

 にこにこ


「……」


 心なしかウリベルさんの笑みが増している。

 ……さ、先ほどウリベルさんはこの家に何度もお邪魔していると言っていたがそれは本当のようで、さっき渡した食器は既に棚に収められていた。

 最後にフォークやナイフを洗って終了だ。最後だしウリベルさんに渡さなくてもいいかと思って見上げると、

 にこにこにこ


「……」

「!?」


 若干の威圧を感じるほどの笑みが降りてきている。なぜ!?

 混乱でプルプルしつつも周囲に布巾がないか探したが、ない。ウリベルさんの持っている布巾しかない。今私の目の前で凄味のある笑みを微塵にも動かさないまま浮かべ続けるウリベルさんの手に握られている……。


「……お、お願いします」

「はい、任されました」


 降参でした。あの笑みには逆らえないと感じた。

 素直に食器を渡すと、ウリベルさんの笑みは可愛らしいものに変わり、とても上機嫌に食器を拭きはじめた。どこか嬉しそうである。


(よ、よくわかんないなあ……)


 データさんのこともよくわからなくなることがあるし、このウリベルさんという人もわからない。今まで関わってきた人がかあさまとマグニさん、その他という狭い交友経験しか持たない私にはハードルの高い人なのかもしれない。


「あら?」


 若干遠い目をしながら考え事をしていたら、ウリベルさんの不思議そうな声が聞こえた。何かと思って見ると、食器棚にしまってある一組の食器を手に取っている。きょとーんとした顔でひっくり返したり縦にしたりして眺めている食器は、黒猫の意匠が施された大皿だ。


「どう、かしました?」

「いえ、わたくし何度もこの家にお邪魔していますが、この食器は初めて見たのですよ」

「あ、それは、最近買って、きたみたい、です」


 三週間前のことである。マグニさんが大量の荷物を持って帰ってきたことがあった。マグニさんの顔が見えないほどの量で、何事かと思ったらすべて私用の生活用品とのことだった。


『………………!!!』


 驚愕と申し訳なさで絶句していたらマグニさんに大爆笑された。それほど私は面白い顔をしていたのだろうか。

 黒猫の食器は大皿、小皿、大鉢、小鉢、マグカップ、ソーサーがワンセット。他のデフォルメ動物シリーズもそれらをワンセットとして食器棚に揃えてあり、それぞれ使う人が決まっている。黒猫は私、マグニさんは白クマ、多数の動物が描かれている食器シリーズはお客様用ということをマグニさんから聞いているとウリベルさんに伝えると、彼女は目を真ん丸にして「まあ」と呟いた。


「そう、食器を買い足したの……貴女専用の……」

「?」


 ウリベルさんはそのことに随分驚いたようだった。意外なことだったのだろうか? 首を傾げていると、ウリベルさんは徐に満面の笑みになった。それはもう大輪の花が輝き咲くような華やかさで、笑顔の理由がよくわからないが笑顔が眩すぎてウリベルさんの顔を直視できない。

 ウリベルさんは笑顔のまま手にした食器を棚に戻し、私の手を引いてリビングに向かっていく。気が付いたら手を繋がれていた、いつのまに。多少の困惑を覚えるが、手を引く先のウリベルさんは大変上機嫌だ。嬉しいものを見つけた子供のような無邪気さで、その理由を聞くのも無粋な気がしたので私は何も言わずにウリベルさんの後をついていった。




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