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物繰りの魔女  作者: あずきりこ
序章 シナリオからの逃亡
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そして私は思いだした。私の生が、八方ふさがりであることに。


   *


 豪奢な広間は、決して下品ではなかった。むしろ最高級の品の良さがあふれ出る、皆に賛美されるであろう広間であったが、今は足を踏み入れるのも恐ろしいほどの暗がりで満ちていた。磨き抜かれた大理石は黒く淀み、細微な意匠の施された壁は影に溶け、艶やかな赤の幕は闇のように深い色合いを湛えている。

 正常者であれば忌避するような雰囲気立ち込めるこの空間で、二組の男女が対峙していた。

 一方は小麦色の髪を背中まで下した快活そうな少女と、陽光のようにきらめく髪を項で結い、肩に流している少年。もう一方は濡れ羽色の髪を腰まで下ろした少女と、冷たい銀色の髪を軽く後ろに流した中年男性。

 昼と夜。太陽と月。

 相反する容姿と呼応するように昼の少女たちはいきり立つ一方、夜の男女は不気味なほど落ち着いていた。


「追い詰めたぞ、もう逃げ場はない」


 青空の蒼を湛える少年の瞳は、この暗がりの中でも光を失っていなかった。芯のある刃のようなその声に支えられるかのように、緑葉の色を灯した少女は少年に並び立つ力強い一歩を踏み出す。


「どうか、降伏してくださいませんか。既に、あなたたちになすすべはありません。今まで私たちを翻弄してきた賢しいあなたたちが一番わかっているはずです!」


 昼の少女たちの言葉は、夜の男女へ向けた最後通告。しかし、夜の男の表情からその余裕は揺るがなかった。


「なにを言っている?」


 その不動っぷりは返って異常だった。男の赤い目には昏く灯った光が爛々と輝いている。


「私に、逃げ道がないと。何を馬鹿な。私は逃げるつもりは毛頭ない」

「……どういうことだ」


 男の瞳は絶対の自信に満ちており、昼の少女たちの心に少なくない衝撃を与える。

 なぜそんなに揺るがない。なぜ動揺しない。私たちは確かに、彼らを追い詰めているはずなのに! もはや覆しようのない現状があるのに、少年たちは不安を抑えきれなかった。

 そのとき、夜の男が少女の背中をそっと押した。少女はその力に逆らうことなく、一歩一歩昼の少女たちに近づいていく。

 予想外の行動にたじろいだ昼の少女たちの前で、夜の少女はゆっくりと笑みを浮かべた。

 人形の笑み。


「だってわたしが、たてになりますもの」


 うっそりと笑うその顔は、背後に立つ不敵な男とそっくりの表情をしていた。


   *


「……」


 熱に浮かされる頭で、私は盛大に絶望していた。

 数日前、私が7歳の誕生日を迎えたすぐ後の事だった。国内でも確固たる地位を確立している伯爵家で奉公人として働いている私は、同じく伯爵家でメイドとして働いていた母を亡くした。隣国で流行っていた熱病にかかってのことだった。というのも、伯爵の隣国への交易へ伴った際に、運悪く病原を拾って帰ってきてしまったのである。

 しがない一メイドでしかない母は、隣国から特効薬を取り寄せるほどの財があるわけもなく、あっさりと逝ってしまった。最期に母は私の事と、伯爵のことを気にしていた。


『リリィ、私の可愛い娘リリティア。貴女にはなにも残していくことが出来なかった。私の親族も、どこにいるかわからない。けれど私が与えられる限りの、精いっぱいの愛情をそそいだつもりよ。どうか強く生きて、リリィ。私はめげずに働いて、色々ひどい目にあったけれど、後悔はないわ。何より伯爵様に会えた、リリィの母になれたことが誇りなの。だからリリィ、貴女も強く生きて。生きていれば、きっと陽の光を浴びることが出来るわ。……ああ、伯爵様。先立つ不孝をお許しくださいませ』


 母は伯爵の愛人であった。伯爵の愛人が何人もいることは周知の事実であったが、母はとりわけ、伯爵に愛されていたという。なにせ片田舎の酒場でウェイターをしていた母をわざわざ引き取り、自分の屋敷のメイドとして働かせていたのだから。


 そういう境遇から、母は周囲から疎まれていた。平民と貴族とのラブロマンスと云えば聞こえが良いが、結局はお貴族様のスキャンダル。それが浮名を轟かせていた伯爵様とくれば、それほど大きなゴシップにはならなかった。だからこそ周囲の鬱憤のはけ口として利用されたのである。話題にされない女をいじめてもお咎めされるほど話は大きくならないという訳だ。

 さて、そんな母だが最期の言葉通り、めげない強い女性であった。いじめられても泣くことなく、表に立てずとも伯爵を愛し愛された。そうして生まれたのが私だが、母は私のことも十分愛してくれたと感じている。……伯爵は私に会いに来ることはなかったし、母も私をつれていくことはなかったから、彼が私をどう思っているかは知らないけれど。

 私は母の隣で、母の最期を看取った。皮膚から体温が消えてゆく感覚は掌に染みついている。私は母を失ったショックでか高熱を出してしまった。

 そんなときである。伯爵が私たち母娘の部屋を訪れたのは。

 伯爵は私たち母娘の部屋を訪れることはない。なぜなら私たちは仕えるもので、伯爵は仕えられるもの。通常雇い人は雇われ人を呼び出すものであり、愛人である母も、伯爵の部屋に通い愛を重ねていた。

 そのとき私は熱を出したものの、うまく動くことが出来ず母の遺骸の隣で伏していた。誰かが入ってきたのは分かった。けれど誰だかわからない。熱で茹だった頭はうまく回らなかった。


「―――カエラ」


 カエラ。それは母の名前。母の名前を呼ぶものは少なかった。周囲の使用人たちは私たちに近づこうとしなかったし、近づいてきても私たちを罵ってゆくだけ。聞こえてくるのは「売女」「娼婦」「平民」「下劣な娘」「不義の子」「いらない子」。

 私は生まれたときから罵られてきた。愛をくれたのは母だけ。それ以外は私を道端に転がる石のように扱った。いや、石よりもひどかったかもしれない。無関心でなく、敵意を向けられた。

 私が一体なにをしたのだろう。母は、そんなに悪い人なのだろうか。

 そういった疑問は物心ついたときからあったが、そんな疑問は直接むけられる悪意の前では意味をなさない。逆に、相手の神経を逆なでしてしまう。だから私は耐え忍ぶことを覚えた。同時に、感情というものがわからなくなった。母にはとても嘆かれた。「ああ、心の大半が死んでしまったのね」と。

 だから私は誰が来ても何とも思わなかった。使用人たちが来ても、「ああ、彼女たちならやりそうだな」と思うだけで。母の遺品を捨てられても何とも思わない。だって母は故郷から着の身のままで出てきたと聞いたから、母が今現在まで持っていたものはこの屋敷に来てから配給されたものだ。それになんの感慨があるだろう。

 私は、母とそっくりなこの黒い髪と、黄色の目さえあればいい。―――だから、この黄色の目に写った人物が伯爵でも、そんなに驚かなかった。


「カエラ」


 伯爵はもう一度母の名前を呼ぶと、愛おしげに母の頬を撫でた。きっと母の頬は冷たいだろうに、何度も、何度も、己の体温を分かつように撫でた。


「ああ」


 伯爵の目から、ぽろりと涙が落ちた。そのとき私は少し驚いた。伯爵は母の死を悲しんでいるのか? それほどに愛していたのか?


「カエラ、カエラ。どうして私に言ってくれなかったのだ! 君が私を頼ってくれればあらゆる手段を使ってでも薬を取り寄せ、君を最高の医師に診せたというのに! なぜ君は私を頼ってくれなかったのだ! どうして!」


 悲痛な声が部屋に響く。私は伯爵がとても悲しんでいることに気が付いた。

 母は愛されていた。それが嬉しかった。


「……どうして私を、私だけを見てくれなかった。私のところに縋り付いてくるならばこんなことにはならなかった。君が私だけを頼るよう手を尽くし囲い込んだというのに、君は頼ってくることなく立って、一人で、私を置いて、ああ憎らしいことだ、君はひどい女だ、」


 ……あ、あれ? 何かおかしい。急に伯爵が、普通の人には見えなくなってきた。肌が粟立つ感覚を不思議に思いつつも、ふと視線を上げる。伯爵の顎が見える。雫が止めどなく流れてきていくつも顎を伝い、母の横たわるシーツに落ちていった。

 この人は今どんな顔をしているのだろう。涙の痕を辿って視線を登らせると、

 ぞくり。

 涙を湛えた伯爵の目の奥には妙な光が灯っていた。光なのに暗い、近寄りがたい、強い煌めき。私は初めて、明確な恐怖を覚えた。熱に浮かされた体は寒気に震えて動くことができない。

 そのとき、初めて伯爵の目が私を捕えた。かちりと歯車がかみ合ってしまったように、視線を外すことが出来ない。


「―――カエラ?」


 伯爵は一瞬呆けたような顔をして、ゆっくりと笑った。寒気の走る、壮絶な笑みをその相貌に浮かべて。


「カエラ―――いや、リリティア。私の娘。母が死んでしまって悲しいだろう。けれどもう大丈夫だ。私がいる。私が、お前を守ってやろう」


 その笑みは、母に向けていたものととてもよく似ている。本能が警鐘を鳴らしていた。

 だめだ。この人はだめだ。

 母は伯爵に会いに行くとき、私をつれていくことはなかった。その行動の意味が、なんとなくわかった気がした。つれていけなかったのではない、つれていってはいけなかったのだ。


「……っ」


 つばもないのに喉が動く。口のなかが乾いて仕方がなかった。

 この人につかまってはいけない。手を握ってはいけない。一緒にいてはいけない。わけのわからない寒気と警鐘が頭をがんがん揺らす。

 伯爵に対する恐れが心に満ち満ちたそのとき、脳内を数多の映像が駆け巡った。見たことのない景色が脳裏を走り抜けていく。視界は二重になり、次第に伯爵の姿が奥の方に薄らいでいった。目の前を駆け巡っていく映像は見たことのないものばかりであったが、不思議と恐怖はなかった。脳内を駆け巡っていく映像は、私が生まれたときから抱えていたものだということを無意識のうちに理解していたからかもしれない。

 奔流する映像の波とその情報量に巻き込まれて、私は意識を落とした。


   *


 意識の奥底で、私は映像を見せつけられる。それはある女性の一生だった。

 そのすべてを覚えられるほど映像は遅くなく、しかしなぜか刻み付けられるようにある事だけは強く印象に残った。


 シミュレーションアールピージー

 女性向け乙女ゲーム

 主人公

 攻略対象

 魔法

 学校

 サブキャラ

 ライバル

 敵キャラ

 ラスボス


<実の父親の傀儡となった哀れな少女。その美貌と膨大な魔力を持って振るわれる卓越した魔術をもって主人公たちの前に立ちふさがる。感情はなく、父親の人形であることがすべて。その行動に迷いはなく、人形の主たる父親を守るためならどんな手段も辞さないし、どんな命令にも従う。

【開発者からメッセージ】

 Q.救いはないんですか!

 A.ないです。攻略も無理です。どうあがいても絶望です。>


『彼女は私の可愛い娘<にんぎょう>。彼女が―――彼女たちがいる限り、私に絶望はない』

 薄ら闇の中、男は壮絶な笑みを浮かべた。


   *


 そして私は思い出した。私の生が、八方ふさがりであることに。

 さらにはどうあがいても絶望な状況であることに。開発者お墨付きって、そりゃねーよ。


「つんだ」


 いつのまにか運ばれていた私は天蓋ベッドの中で、己の生に絶望した。

 私はあの伯爵の笑みで殺されるのだ。




お初お目にかかります。あずきりこと申します。

よろしくお願いします。

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