迷い込んだヒト
「あれ…ここ?」
僕は気づいたときには橋の上にいた。
先ほどまで山中を歩いていたはずなのに。
なんとなく好奇心で渡ってみると、突如目の前に幻想的な光景が広がった。
「え…」
どうして灯篭があるのか。
どうして大きな天蓋があるのか。
非現実を受け入れることを拒否しているのか、様々な疑問が頭を巡っては消える。
「――何の用だ?」
透き通った女性の声が聞こえた。僕はすっかり状況についていけず、驚くことも、答えることも出来ない。
「おや…珍しいこともあるものだ。あなた、さては知らぬ間にここへ来ていたのではないか?」
その声が天蓋から聞こえて来ることだけは理解した。僕がぎこちなく頷くと、天蓋の紗が音もなく上がった。
「あなたは結界に引き寄せられてしまったようだ。申し訳ない。元の場所へ帰そう」
その人は、美しかった。
深い紺の着物が火に照らされ、光沢を出している。目を奪われる。こんなにも美しい人がいるなんて。
彼女は天蓋の階段に、流れるような身のこなしで腰をかけ足を組んだ。
「あのっ…!」
僕は、ほとんど反射的に声を出していた。
「ん?」
「あなたのことを知りたいです!!」
そのまま勢いで言い切ると、すぐさま……後悔した。
僕は何を言っているんだ!
「告白か?単刀直入だな」
彼女は顎に肘をついて僕を見上げる。
「ちが…!いやっ、あの!」
なぜ、こんなことを口にしたか分からなかった。ひたすら困惑して慌てる僕がよほど愉快だったのか、彼女は噴出すように笑った。
「冗談だ。――こちらへおいで」
誘われるままに天蓋の紗をくぐり中へ入ると、彼女は寝椅子の下のクッションに座っていた。僕は促された通りに彼女の左前に座る。
「おいおい…。あなたは本当に人間か?」
「に、人間ですよ…?」
何を話そうかと思考していた僕は意外な第一声に戸惑った。僕は、僕の知る限り人間だった…はず。
「では、不可思議なことがあなたの周りでは絶えないだろう」
そんな僕の情けない声音を気にする風もなく、彼女はお盆に置いてあった鮮やかな陶磁器の瓶を手に取り、杯に液体を注ぐ。
「え…まあ…そうかも、しれません」
「良く今まで生きていたな。あなたはあまり山に登ってはいけない」
その後も、僕がどんなに戸惑おうとも慌てようとも、彼女はあくまでも淡々と話し続けた。
彼女が何を考えているのか、僕にはちっとも分からなかった。