デュラム
「セ・モーリナ」
私は声をかける。しかし、彼女は振り向かない。
「セ・モーリナ。あなたは間違っている」
否定してみせるが、気を引くため。子供のようではあるが。
だぶだぶのローブを纏った老女は、ゆっくりと振り返る。
「間違ってなどいないさ」
しわがれた声。しかし、その奥にはしなやかで柔らかな強靱さを感じさせる。
「間違ってなど。……熱は、即ちエネルギー。そして水は全ての源さ」
老女の後ろで、ぐらぐらと、ぼこぼこと揺らぐものがある。
昔話の魔女よろしく、大きな、そう、人一人煮込んでしまえそうな大鍋が火にかけられている。
「あんたは知らないだけさね。魔法を」
魔法を。
魔女然とした老女。本当に魔女だとでも言うのか。
バカな。
「セ・モーリナ。あなたは間違っている。魔法など無い。湯を注ぐだけで若返るなど、昔話にすら語られない」
改めて、否定する。
そうだ。彼女の言葉は、誰もが否定するだろう。だから、私も否定する。
「……くくく」
老女が小さく体を揺らす。
笑われている。不快感も産まれるが、しかしやはりその魔女然とした含み笑いは、不気味にも感じる。
「何か?」
老女は体を揺らしたまま。
「くく……いやね、聞こえるようだよ」
老女は後ろを向く。表情が見えなくなる。そして大鍋を、これまた大きなお玉でゆっくりとかき混ぜる。
「あんた今、『誰もが否定する』と思ったろう」
私は動揺する。
バカな。そんな、心を読むなどと、そんな“魔女じゃあるまいし”。
「『誰もが否定する』……そりゃそうさ。誰も知らないのだから。魔法を、ね」
言うと、止める間もなく横にあった片手鍋で、煮立った湯を頭からひっかぶる!
「!! セ・モーリナ! デュラム・セ・モーリナ!!」
私は老女の名を呼ぶ。
もうもうと湯気が立ち込める。近付けない。そして、彼女がどうなったのか、何も見えない。
「そんな、魔法など……」
これでは、まるで自殺だ。
魔法など無い。乾物では無いのだ。湯を吸って若返るなど、有り得ない。老いと乾燥とでは全くもって別の、
「『乾物では無い』。そう思ったね?」
!!
湯気の中から声が聞こえた。
先ほどよりも、私の心は揺らぐ。
魔法など無いのだ。心を読まれてなどいない。
魔法など無いのだ。お湯を被れば、火傷しないわけが無い。
魔法など無いのだ。若返るなど有り得ない。
有り得ない、のに。
聞こえてきた、奥にしなやかで柔らかな強靱さを感じさせる声。その声は。
しわがれてなど、いなかった。
「ヒドいね、乾物だなんて。――こんな、良い女に向かって」
湯気が晴れていく。
そこに立っていたのは、妙齢の女性。
火傷などしていない。年老いてなどいない。……魔法としか、思えない。
バカな。
「くくく」
女が、体を揺らす。笑われている。笑われているのだが、肉感的になった分ただ体を揺らすだけでなく、それ以上にところどころが、揺れる。不快感どころではない。
被った湯の名残なのか、その身体には汗のように水の球が張り付き。そして、老女の時にはだぶだぶだったはずの魔女然としたローブは、これまた身体に張り付いている。
「くく、『バカな』。そうも思ったね?まぁ良いさ。信じなくても。心を読めても読めなくても同じことさ」
女が、足を踏み出す。
したり。
濡れた床に、裸足になった女の足が、濡れた音を立てる。
水は全ての源。そうかもしれない。その音に、原始の欲求が込み上げるのを止められない。
湯気に当てられたのか、熱が、体の内にも籠もってゆく。
したり。
濡れた音が響く。
「心なんて読めなくても。あんたが、今何を見てるのかくらい、分かるよ」
柔らかそうな。声と同じく、しなやかで柔らかな強靱さを感じさせる、肌。
女がゆっくりと近付く。
「“美味そうだ”と、思うだろ?」
伸びてくる手。
頬に触れる掌。
熱を感じる。
唇が、ゆっくりと、フィルムが引き延ばされたようにゆっくりと、動く。
「さぁ」
艶めかしく。
瑞々しく。
――あぁ。
とても、美味そうだ。
「食べて、ごらん?」
間違いない。
デュラム・セ・モーリナ。
デュラムおばさん。
彼女は、人を虜にする。
魔女……なのだ。
デュラムおばさんのカップパスタがとても美味くて書いたんです。昔ね。