狭間 亜門の日常1
悪いことっては普通に起きる。ようはその度合いだ。大したことでなこれば流すことができるし、大きなことなら人生を左右しかねない。これはどちらかと言えば後者の話。
一人の少年、狭間 亜門-はざま あもん-に起きたどちらか言えば悪い出来事の話だ。
ジリリリリと目覚まし時計が鳴る音が聞こえる。まずはうっとうしい目覚ましを止めてからゆっくりと起き上がる。なんてことはない。今日も今日とていつも通りの毎日の始まりだ。下の階から、
「亜門君ー。朝ご飯できたわよー。」
という声がする。
「今いきますー。」
まだ眠いなりにもちゃんと返事をしてから布団から抜け出す。朝は弱いからここが毎回きついんだよな。部屋のクローゼットを開けて制服を取り出す。高校生になったのはまだ3ヶ月前なので新品同様だ。パジャマがわりのジャージを脱いでからぱっぱと制服に着替える。そしてぱたぱたと階段に向かう。階段を下りると父さんと母さんはすでに食卓についていた。相変わらず早いな。
「おはようございます。」
律儀に挨拶。普通の家族間の第一声ではないよな。
「おお。おはよう亜門君。」
と父さんは普通に返してくるが、家族間で君付けはなんか不自然だ。俺は父さんと母さんが座ってる4人用くらいの食卓に座る。今日の朝ご飯は米、味噌汁、焼き魚。いつも通りうまそうだ。いただきますといってから食べ始める。まずは魚からいただこうかな。
「亜門君。学校は楽しいかい?」
父さんが俺に質問してきた。
「あ、はい。楽しいですよ。土日いらないくらいです。」
普通に土日のほうが楽しかったりするが、そこはご愛嬌。父さんは柔らかな笑顔で、そうか。とつぶやいた。
「なあ亜門君。君がこの家に来てからもう5年もたつんだ。敬語なんて使う必要ないんだよ。」
そう。俺は父さんと母さん、もとい狭間-はざま-家夫妻の本当の息子ではない。俺の両親は俺が10歳の時に交通事故で亡くなった。独りになった俺を引き取ってくれたのが今の父さんと母さんだ。実の息子でもない俺をこの5年間ずっと育ててくれて、今では高校にも通わせてもらっている。もはや言葉では形容できないほど感謝している。そして俺ももう本当の父さんと母さんのように思っている。敬語で話しているのは調子にのって甘えすぎないようにだ。甘えすぎて迷惑をかけるようなことだけはしたくなかった。
「いやーもう敬語に慣れちゃって。なんかこっぱずかしいんですよね。」
一応適当なことを言っておく。我ながら絶妙なかわしだ。
「そうかい?無理とは言わないが。」
父さんは少し残念そうな顔をして味噌汁をすすりはじめる。俺も自分の飯を食べるとしよう。せっかくだから温かいうちに。
朝ご飯を終えて歯を磨い学校に向かう。父さんは俺が朝ご飯を食べているうちに先に仕事にでた。俺も早く行かないと。現在7時47分。余裕で間に合うが早く着いても損はない。玄関で靴を履いてドアを開ける前に、母さんから呼び止められる。
「お父さんも言ってたけど、無理に敬語なんて使わなくてもいいのよ?あなたはもうこの家の人間なんだからね。」
とても優しい笑顔でそう言ってくれた母さんに笑いかけてから行ってきますと、俺は家をでた。家の敷地をでて、改めて自分の家を見直す。2階建てのりっぱな家。少しある庭も風情がある。その家に一礼してみる。普段はこんなことしたりしないが母さんの台詞に感動したので。
「おっ。亜門じゃん。なーにやってんだー?」
陽気な声が横から聞こえる。慌てて姿勢を戻して振り向くと、そこには俺の友達の待宮 正-まちみや ただし-がいた。
「家にお礼でもしてるのか?朝から殊勝なやつだなー。」
とニカニカしながら俺の隣へくる。くそーあんな一瞬のことだったのにしっかり見られてしまったよ恥ずかしいな。
「今日のニュースの占いで家にお礼言うと恋愛運が増すって言われたんだよ。」
「まじかよ。くそー俺もやるんだったぜー。」
全くの大嘘だがまあごまかせたみたいだ。とっさに出たとしてはなかなかうまかったか。しかし隣くるとこいつ、相変わらずデカいな。正は身長が194センチある。170しかない俺は常に見上げる立場だ。正とは中学から一緒だが、その時からすでに身長は高かった。全く首がこる。
「さて、んじゃ行くか。」
と正は言った。特に待ち合わせをしてるわけではなかったが、こいつとは学校にいく時間が合うので大概一緒に登校する。正が歩き出したので俺も歩きだす。
「お前さ、恋愛運上げたいってことはさ、あれか?誰か好きな奴でもいんのか?」
ぐはっ。まさかそのネタを引っ張られるとは・・・。さっきうまいなとか勘違いしてはネタに苦しめられるとは。せめて金運とか友情運とかにしとくんだった。
「あー・・・そうだな。金髪碧眼でスラッとしたスタイルの外人おねえさんなんかと会話したいと思ったんだ。」
「えっ!?お前外人さんが好きなのかよ!?」
「ああ。俺は意外に欧米の人がいいんだよ。」
「そうかー。知らなかったぜ。お前今までそんな素振りなかったもんな。」
そりゃそうだ。今決めた趣味だもの。
「そんなことよりよー。今日は数学の宿題、やってきたのか?」
ささっと話題を切り替える。
「あー!!いけねぇ忘れてた!!」
正がややオーバーに頭を抱える。
「今日1時間目だぜ。間に合わねえな。」
「ま、まだだ!こっから走りゃ10分でつく!そこで三木にでも見せてもらえば間に合うぜ!急ぐぞ!」
正がバーッと走り始める。やれやれと俺も合わせて走る。何にせよ話題チェンジのタイミングとしてはナイスだったようだな。
それにしても金髪おねえさんか。・・・ちょっといいかもしんない。
自分でついた嘘に少し共感?しながら、俺は正と一緒に学校まで走っていった。
俺は気づかなかったけど、この時からすでに始まっていたのかもしれない。
いや、実はすでに始まっていたのだ。
俺の平穏の幕引きが。
それは狭間家から少し離れたところで始まっていた。
「あれが本当にそうなのかー?ぜんっぜん普通の奴じゃーん。」
高音な少年の声がする。持ち主はニット帽をかぶってリュックをからっている10歳くらいの少年だった。無邪気な声だ。まるで今から遊びに出かけるかのように。
「写真によれば間違いない。それに確かな情報すじだ。」
そこからさらに若い男の声もする。眼鏡と黒スーツの20歳そこそこの知的な男性だ。この二人が並んで会話をしている。正直いってまるでかみ合っていない格好だ。
スーツの男は人差し指と中指に写真を挟んでいる。写真に写っていたのは、狭間 亜門だ。
「ふーん。なんかつまらないねー。」
少年は手を頭の後ろに組んで退屈そうな声を出す。
「私達の仕事はひとつ。そこに面白いか、そうでないかは必要ない。分かっているな?」
スーツの男は写真を胸ポケットにしまいながら言う。
「はいはい分かってるよー。」
少年の声は相変わらず無邪気なものだった。そしてそんな無邪気な声で呟いた。
「仕事はちゃんとやるって。たとえ人を殺しちゃうようなことになってもさ♪」
少年は笑っていた。言葉とは裏腹に、まるで遊びにでも行くかのように。
日常の終焉が、ゆるやかに迫る。