第一話 「Crowding Night」
誤字や脱字の修正などを主に施しています。
なまえのないうた
一人の少女が飛びました
10人の少女は何故飛んだのかと考えました
そのうちの一人の少女はどうして飛べたのかと考えました
第一話 「Crowding Night」
いつから変わってしまったのか、いつから馴染んでしまったのか、いつから疑問すら抱かなくなってしまったのか。
街には高層ビルが建ち並び、無数の街灯や車両から漏れる明かり、眠ることなく営業を続ける風俗関係の店、24時間いつだって人は街に蔓延り、人が群れを成すように本来暗い夜の街に明かりを灯し続ける。何が人をそうさせたのか、もう誰も分からないのかもしれない、ただ、暗くなった穴を埋めるように人は明かりを灯し続けることで経済参加を続けている。
美しくカーブを描き、金属に身を固めた自動車が途切れることなく夜の闇に消えていく。
背後では真っ暗な空間をなんとか視界を維持するためにヘルメットのライトや懐中電灯を使い、大きな暴音を上げながら黙々と工事を続ける何人もの男達の姿があった。
頭上では当たり前のように高速道路が走り、すでに見えないスピーカーのように縦横無尽にさまざまな場所から音が漏れる。慣れてしまえば何の疑問も浮かばない、パチ屋の店内に比べれば優しいくらいの音色、気付けば唐突に鳴らすクラクションの音さえも譜面を彩る楽器の一つのように思えた。
時刻はすでに日を跨ぎしばらく経ち、尾宮 稀生は真剣な表情で工事作業を続ける男達を尻目に警棒を片手に持ち振り続ける。夜間の交通整備を仕事とする尾宮にとってそれは慣れた行程で背後をそれほど気にすることなく黙々と仕事をこなす。
身長170センチ前後の痩せ形、表情は警備員用の帽子によってわかりづらく、髪は短髪ながらも帽子の横からはみ出している。夜の街並みの中ではその外見は闇の中に溶け込み、警棒で有意味に危険を知らせるだけの虚ろな銅像と化している。
時々通り過ぎる移ろい人を慣れた横目で尾宮はすれ違いざまに見る。気になることは特にない、ここに来た頃は異様に見えたさまざまな老若男女の無秩序な色彩を擁した外見や薄汚れた虚ろな足並みも、目を背きたくなるほどの卑猥な言語を有したカップルも、今はこの街を構成する要素として容認せざる負えないと思えるようになった。尾宮にはもうそれが黒い影が通り過ぎるだけの暫時のようで、表情まで伺うこともなく、無関係な存在として興味の許容すらなかった。
黒い影、身長も体格も髪型もアクセサリーも違うのに全部が同じに見える、それなのに何の興味も関心もないのにそれが男なのか女なのかだけ直感で分かる、声を聞くだけで、足を見るだけで、その抑揚を持った声だけで分かってしまう。現実という表層の虚像、五感は一つを興味なく断線すればまた一つが視界を開くように感覚を機敏にする、その危機反応のような人間の習性は、興味なく俯こうとする自意識さえも浸食する。
「ここの工事いつになったら終わるんだろうな」
「さぁ、迷惑よね、高速走ってる横で工事して、一体何作ってるのかしら」
「マンションか貸しビルじゃねぇの?」
「こんなうるさいところで住めるわけないじゃない・・・」
「住むやつがいるから作ってんでだろう、よく知らねぇけど」
二つの影は何事もなく通り過ぎていく、フラフラとふらつく人影と不安定に振り回される小さなバックが通り過ぎる最後まで見えた。人影がそばを通るゾクゾクとした感覚も立って一、二時間もすれば消え、ただ雑音だけが耳に残り通り過ぎていく。
単純に立っているだけの作業を続けていても不思議と眠気はこない、しかしこのまま朝まで立ち続けなければならないことを考えると体内時計の振動も異様に虚しく感じる。
それからも途切れ途切れになりながらもさまざまな人が通り過ぎていった。
尾宮にとってそれは特に意識をすることなく、ただなんとなく通り過ぎた時間であった。
*
気づけば薄く日が昇り、曇りに曇った空から日が覗き始めている。
力を入れることのないまま警棒を事務所に戻し普段着に着替える、軽く同僚に挨拶を交わし尾宮は一番に事務所を出た。
午前5時過ぎ、人通りは少なくそこら中にゴミが捨て置かれ、時折それを避けながら尾宮は帰り道を歩く。
何が自分の中を支配しているのだろう。体は勝手に自宅へ向かって歩く、それが自意識によるものなのかわからない、無意識なままに帰りたいと願っているのか、ここにいるよりもマシだと思っているのか、足は止まることなく帰路へと向かう。
しかし、どうしてだろう・・・、薄汚れた空を眺めながら歩いていると気づけばいつもの乗車する駅を通り過ぎ、しばらく先の道を歩いていた。
もう少しこの空を眺めていたかったんだろうか・・・、自分でもよくわからなかった。
最近は一段と考え事をすることが増えたような気がする。それだけ生きることに不都合を感じ始めたのだろうか・・・、余分なことは考えないように努めてきたというのに。
こうして毎日仕事をしていれば死ぬことはない、それは至極当たり前でそれは僕自身も納得してしていることだった。
すべてのはじまりは自意識によるものなのかもしれない。
自意識とはなんだろう・・・、僕はふと洗い出すように思想を巡らした。
例えば焼き肉を食べるとき、肉が好きだというなら迷わず肉を最初に食べるだろう、いわゆるこれが快楽主義であるわけで、ではそこに迷いが生じるとすれば“周りを見たときの社交性及び社会性”(礼儀や作法、協調性など・・)と“自身の内包的事情”とに分けられる。いかにそれが自分の食べていいものであるかを考える、それは長くても数秒で決めることでどこかで人間はその情報整理を行っている、そこには意識的に行っているものもあれば無意識的に行っていることとある。自意識のある線上で考えたとき、社会性はテーブル全体まで視界は広がり、どれだけ肉がテーブルに配置されているか、それは人数対比や担当分け、個人差なども考慮して全体的ないし行程的に考えなければならない場合が生じる。明らかに他の人物が“自分が食べるために焼いた”ものであれば関与してはならないし、自分が焼く担当であればテーブル上の肉の数と食べる人の数で食べるべきか考慮しなければならない。
もう一つの内包的事情は自身の健康に伴う関係が多い。肉ばかり食べていないか? 胃に負担をかけていないか? など自分の中の問題の自問自答である。
逆に無意識であってもこのような情報整理は行われている。むしろ人は目に見たもの、感じ取ったものを脳に送り取捨選択しており、その時点で合理性を求める段階的選択を行っているといえる。
社会は常に複雑化している、それは人間の生活を掛けた本能がしていることだけど、人間は実質的にそれに縛られているといえる。平均値を展開したとして、それがどれだけの人間を内包するものかは今やわからない、さまざまな要因により人と人との関係性は離れ、貧富の差と共にコミュニティは新しい方向性に向かっている。
人間は確かに文化的でなければ生きていけないのかもしれない。
この街を支配する虚無感、それは過ぎ去る時間と共に増幅され、今や何の価値も僕自身は感じ取ることができない、何のためにこの街は成長するのか、なぜ空を汚し続けるのか、すべて人間のしていることで、望むままに生まれたものだった。誰がなんて問うまでもない、人間の価値観とはそれほどまでに人それぞれなのだ。
空を眺めながら歩いているとふとポツリポツリと雨が降り始めた、それは髪を濡らし、開いた目を反射的に怯ませ、僕は空を見れなくなった、顔を当たった雨は恐れていたよりもぬるく冷たく、そこまで恐れていたほどではなかった。僕は黒いカバンから雨足が強くなる中、折りたたみ傘を取り出し、バっと開いた。綺麗に開いたことに安心感を覚えながら傘を差して歩く。早朝の空は曇り、自分の向いている方角さえも薄く陰っていた。
これが僕の見ている色なんだろうか・・・、僕は傘を握りながら思った。
繁華街を通り過ぎる間、何人もの人が傘を持たず、頭を賢明に隠しながら僕とすれ違った。何を信じているのかはよくわからないけれど、彼らは彼らなりに自分を責めているようだった。誰が不幸なのかはわからなかった。
すでに日も昇ってきたというのに二度傘を差した女性に話しかけられた。大体一人きりの男性を狙って話しかけているようで派手な服装に厚いメイク、中国人風の話し方、特徴はいくらでもあって、話しかけられだけでそれとわかった。僕は話しかけられる声に意識を向けることなく通り過ぎる。冷たいとは思わない、それが当たり前だった。僕には行き当たる意志がないのだから、そうするのが自然だった。
僕はアパートの雨漏りの心配をしながらアパートの前までやってきた。
何年も住み続けたアパートは今も昔もボロイまま今日も変わらない外観をしていた。そのの中の僕の住む一室に向かって細い道を通る。六畳一間の空間は一人で住むには支障はなく、それ以上を求めるならこの立地では生活の方が苦しくなるだろう。
おそらくこれから一日が始まる人もいるだろう。隣の部屋では誰が住んでいるのかよく知らないがガタガタと洗濯機の動く音が響いている。僕はごく自然な動きでポケットから玄関のカギを取り出した。その時不注意でよく前を見ていなかったのだろう。もう傘は閉じられて左手に服を濡らさないように気を付けながら握っている。しかし僕はどうしてか俯きながら玄関の鍵穴をじっと見つめたまま静止していた。見知らぬ物が視界の全景に混ざっていた、いつもの動きを停止させるほどに妙な異物だった。見慣れた景色の中に混ざったその物体、それは大きなダンボールだった。そのダンボールは僕の玄関の横に立て置かれ、放置されている。位置的に確かに僕宛の荷物に違いなかった。
問題はそのサイズだった。送られてくる荷物にしてはあまりにも大きい。横に傾けて置かれているにも関わらずそれは僕の身長と同じくらいあり、真っ直ぐ立てると玄関よりも高さがあるのではないかと思うほどであった。
僕は迷った、どうしてよいのかわからなかった、思考の範疇を遙かに超えている。
誰が?一体?何のためにこんなものを送ってきたのか、あまりに限られた僕の住所を知るであろう人物、限られた可能性、あまりにも脆い自己意識、自己を覆い包む不安と焦燥、雨音が玄関を包み、僕は意を決してその荷物に触れようとした。
・・・寸前で手が止まった、僕の手は軽く震えていた・・・、何も変わらなければいいと思った・・・、ずっとこのままいられればと思った・・・、それが僕の本心かはわからない、でもこれは、何か悪いことの引き金になるのなら触れない方がいいと思った。
僕はとりあえず玄関のカギを開け部屋に入った。六畳一間のいつもの部屋が見渡せた。ふっと訪れる安心感、何者にも耐えがたい避難場所、僕だけの部屋、僕に与えられた生存の場所。
部屋は電気をすぐに付けなければならないほど暗くはなかった。
僕は黒いカバンと雨で軽く濡れた上着をすぐさま直し、部屋の奥に置かれたPCの電源を付けた。CPUのファンが勢いよく回り始め、デスクトップ画面に無数の0と1の言語が流れ始める。ガリガリと計算式を打ち始め、自律してOSの起動を始める。僕はその動作に違和感がないことを確かめると、もう一度立ち上がり、玄関の方を見た。
「そのまま置いておくわけにもいかないか・・・」
僕は乾いた声で、静かに呟いた。家の中に入れるとなると相当スペースを取るだろう。しかし今はそんなことを嘆いている場合ではなかった。僕はもう一度玄関を出た。
巨大なダンボールが僕の視界を支配し、憂鬱さを増幅させる。僕はそれに負けないように、気にしすぎないようにダンボールに手を伸ばし掴むと、引きずりながらも無理矢理に家の中へと入れた。
“何もない部屋が、大きな意志や存在に支配されたような圧迫感された空間へと変わった”
誰もいない部屋、最小単位の圧縮された空間、なんとか僕は横向きにダンボールを倒した。10kgは軽くありそうな質量に僕の手は未だ悲鳴を上げ痛みを伴っていた。部屋にある物といえば引っ越してきてすぐに購入したパーソナルコンピュータ以外ほとんど物はなく、所々に生活用品が積み上げられているのみだった。空腹の身体が体力を使ったことでさらに意識が薄れ、少し冷たい冷や汗をかいた。
僕は気付いたようにデスクトップ画面を見た。青い無機質な壁紙だけが映っている、Hatikahはまだログインしていいないのだろうか・・・。一人でこれを開封し、処理するには勇気がいりそうだ。彼の戯れ言でもあれば、軽傷するくらいで処理できるのに。
しかし、僕はパソコンには触れず、もう一度届けられた荷物の方へ向き直した。
僕は薄暗い部屋の中でゆっくり宛先と届け主を確認した。嫌な予感は当たった。そもそもそれ以外に考えられる可能性などなかったのだ。
宛先は確かに僕で、この荷物を送ったのは母だった、黒い感情がグツグツと煮えて湯気を吐き出す、今更になって何を送りつけるというんだろう・・・。忘れかけた感情炉が思い出したように回り始める。僕はそのままに捨てるわけにもいかず厄介な包装を解いていく。
冷や汗が止まらない、一体何が入っているかなんて、考えてもまるで浮かばなかった。そもそも僕には母の考えていることなど解りようもなかった。
「これでよかったんじゃないのか・・・、何も不平不満などなく、お互いやっていけるんじゃないのか・・・」
まだ恨みが晴れないというのか・・・、まだ罪を忘れてはならないと言いたいのか・・・、沸き上がる感情を僕は抑えられないまま開封する、そして僕はその物体と遭遇した。
「これが・・・、答えだというのか・・・・・・」
白い発泡スチロールの中に入れられ、透明なビニールに包まれたそれは無慈悲なまでに整われた立派なそれだった。白く傷一つ無い肌色の肌、直視することも躊躇うほどの美しさだった。
「ダッチワイフ・・・・・・か・・・」
それは人形で道具、僕はそう認識していた。あまりの衝撃で言葉は擦れ、意識は朦朧とし、何を考えていいのかもわからなかった。
裸のままのその身体を見ても不気味さしか浮かばない、あまりに人間じみた表情にピンク色の唇、今にも瞬きしそうな目蓋、綺麗な瞳、化粧を施したようなその表情は人工的なものとは思えないほど精巧している、そしておそらくカツラであろうロングへアーが胸の辺りまで生き物のように伸びている。
リアリティーとアンリアリティーの境界を破壊しにかかるようにそれはまさに、芸術作品のようであった。これが母の僕への贈り物なのだ、僕はもう一度認識を改めなければならない。
「Hatikah!!! いないのか?! これは一体どういうことだ・・・、いるなら答えたくれ!! 僕はまだ赦されていないのか・・・・・・」
僕は恐怖心を振り払うように大声を上げて叫んだ。
再び無音の空間に戻る、いつもそうだった・・・、いや、それにも慣れてきたはずだった、僕は一人なのになぜ声を上げているのだろうか? 言葉にした後ではその意志はわからない・・・、僕は虚ろなままデスクトップ画面をもう一度見た・・・、Hatikahは気付けばログインし、IRCの内部にいた。僕の声は・・・、もうマイクを通してHatikahの元に届けられていた。
「随分露骨に嫌なことがあったみたいだね・・・」
Hatikahは機械混じりの声でスピーカーを通して呟いた。