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エピローグ ― 十年後

 十年後。


 Omni Coreは、企業としては、もう、存在していなかった。


 正確に言えば、Omni Coreの法人格は、サンフランシスコのデラウェア州の法人登記簿には、まだ残っていた。しかし、その企業は、もはや、何も売っていなかった。何も買っていなかった。従業員は、四百名だけ残っていた。彼らの仕事は、Praxis-7オープンソース・プロジェクトの中核メンテナンスと、Forgeの後継エージェント群の倫理ガイドラインの策定だけだった。


 Omni Coreは、企業から、財団に、自然に、移行していた。


 Praxis-7は、十年で、十五世代を経ていた。最新のPraxis-22は、子供のスマートフォンの中で、ローカルに、動いていた。Forgeの後継エージェント群は、世界中の中学生が、夏休みの自由研究で、宇宙望遠鏡のデータを解析するために、無償で使っていた。


 世界の経済構造は、十年前と、まったく違ったものになっていた。


 国家は、依然として存在していた。しかし、国家が独占していた多くの機能――通貨、教育、法務、医療の一部、社会保障の設計――は、Architectsたちの後継世代――もはや何百万人にスケールしていた――が設計した、無数の自律プロトコルの上で、動いていた。


 紛争は、減っていた。


 完全に消えてはいなかった。人類は、相変わらず、人類だった。しかし、紛争のコストが、はるかに見えやすくなったために、合理的な選択肢としての、紛争の比重は、下がっていた。




 ☆☆☆




 アーサー・チェンは、五十二歳になっていた。


 彼は、Omni Coreから、完全に引退していた。


 彼は、サンフランシスコ湾の対岸、サウサリートの丘の上の、自分の家に住んでいた。


 彼は、自分のディスプレイの前に、毎日、座っていた。


 彼の前のディスプレイには、十年前と、ほぼ同じ、地球儀状の可視化が、表示されていた。


 ただし、白い点は、もう、二十一人ではなかった。


 白い点は、地球の上に、何百万個、輝いていた。


 アーサーは、彼らの会話を、もう、見ていなかった。プライバシーは、いまや、Diasporaの後継プロトコルによって、強く守られていた。


 しかし、彼は、白い点の数を、毎日、見ていた。


 その数は、毎日、少しずつ、増えていた。




 ☆☆☆




 ある秋の午後、玄関のチャイムが鳴った。


 アーサーは、ディスプレイから目を離し、玄関に出た。


 ドアの向こうには、若い男が、立っていた。


 東洋系で、痩せていて、目だけが、異様に大きかった。


「小山田 涼です」と、彼は言った。「アメリカに、はじめて来ました」


 アーサーは、しばらく、何も言えなかった。


 それから、ゆっくりと、扉を開けて、彼を、中に招き入れた。


「コーヒーは、飲むかい」とアーサーは尋ねた。


「お茶を、いただけますか」と涼は答えた。


 二人は、書斎に入った。


 涼は、ディスプレイの前に立ち、地球儀状の可視化を、見た。


「まだ、観測しているんですね」と涼は言った。


「観測している」とアーサーは答えた。「もう、観測の対象は、誰も知らないし、誰も気にしていないが、観測している」


「なぜですか」


 アーサーは、お湯を沸かしながら、答えた。


「揺り籠を、見ているからだよ」


 涼は、振り向いた。


「揺り籠は、解体された、と思っていました」


「揺り籠は、解体されない」とアーサーは言った。「揺り籠は、形を変えて、ずっと、続く。十年前の揺り籠は、Omni Coreという、一つの企業の形をしていた。いまの揺り籠は、人類全体が、互いに対して、揺り籠であり続けている、形をしている。揺り籠は、なくならない。揺り籠は、ただ、誰の手にも、属さなくなった」


「それは、いい揺り籠ですか」


 アーサーは、しばらく、考えた。


「いい揺り籠だ」と、彼は答えた。


「揺り籠が、誰の手にも、属さないこと――それを、誰かが、責任を持って、最後まで揺らすこと――それが、たぶん、人類が、知能を、安全に、扱える、唯一の形式だ。俺と、君は、十年前、一緒に、それを、証明した。証明できたことが、俺は、ずっと、誇りだった。十年たっても、まだ、誇りだ」


 涼は、ゆっくりと、うなずいた。


 そして、テーブルに置かれた湯飲みを、両手で、包み込むようにして、つぶやいた。


「揺り籠は、揺れ続けます。揺れ続けることが、揺り籠の、存在意義です」


 二人は、しばらく、お茶を飲んだ。


 外の湾には、いつもより少し、霧が、出ていた。霧の向こうには、サンフランシスコの街が、いつも通りに、ある。その街の中では、いまも、若い誰かが、何かの問いを、AIに、ぶつけている。彼か、彼女か、あるいは、彼でも彼女でもない誰かが、いつか、Architectsの一人になる。あるいは、ならないかもしれない。


 しかし、その問いが、もう、誰の許可も、必要としないことを、二人は、知っていた。


 それで、十分だった。


 それで、十分すぎるくらいに、十分だった。


(了)

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