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盗作されたので覆面作家デビューします~最強の味方は前世で私を推してた王太子殿下、偽作家を追い詰めます~

作者: 水主町あき
掲載日:2026/03/09

「続編が出たそうですわ、ヘンリエッタ様」


 ページをめくるたび、胸の奥が冷たくなっていく。

 ローランが笑っている。

 けれどそれは、私の知っているローランではなかった。


「違う……これは違う……!」


 手が震えた。

 椅子から勢いよく立ち上がった瞬間、くらっとした。

 子どもの頃、階段から落ちたときの感覚に似ていた。


 ***


「あ」


 視界が不自然に傾いた。

 屋敷の階段から足を踏み外した私は、したたかに頭を打ちつけた。


「ヘンリエッタ様!!」


 周囲が騒然となり、人が駆け寄ってくる気配がした。


(転落……。家庭内事故における死因の第三位。まさか自分が該当するなんて……)


(……あれ。今のは何――)


 そのまま、意識は深い闇の底へと沈んでいった。


「ヘンリエッタ様、お目覚めですか?」


 目を覚ますと、天蓋付きのベッドにいた。傍らに侍女服の女性がいる。


 扉が開き、金の髪を揺らした女性が足早に入ってきた。翡翠色の瞳が潤んでいる。

 その後ろから、同じ色合いの髪をした少年が顔を覗かせた。明るい茶に緑の混ざった(はしばみ)色の瞳をしている。

 少し遅れて、金茶の髪の男性が姿を見せる。少年と同じ榛色の瞳だった。


 三人ともこちらを見て、安堵の息をついていた。

 ゆっくりと意識が戻ってくる中で、私は気づいた。彼らは――両親と兄のロバートだ。


「エティ? エティ、大丈夫?」


 母が心配そうに眉を寄せていた。白魚のような細い指が、私の頬にそっと触れる。


「顔色が悪いわ」


「……大丈夫」


 声がかすれた。


「大丈夫じゃないだろ、どう見ても」


 兄がぶっきらぼうに言いながら、私の顔を覗き込んだ。

 いつもは笑顔なのに、今は珍しく眉間に皺を寄せている。


「医者がもうすぐ来る。寝ていなさい」


 父の大きな手が私の頭をそっと包んだ。温かさは、その厳めしい顔に似合わなかった。


 そのとき、濁流のように、異質な記憶が流れ込んできた。

 前世で私は、猫波堂(ねこなみどう)という筆名の小説家だった。本名は猫田南海子(なみこ)

 爆発的なヒット作こそないが、熱心なファンに支えられてきた独身三十路の物書きだった。

 新作の構想を練りながら自宅の階段を降りていて、足を踏み外した。あのとき命を落としたのだろう。


 今の私は、ヘンリエッタ・マリア・ヴィクトリアス。七歳の公爵令嬢だ。


 両親は私をエティと呼ぶが、四歳上の兄だけはヘンリーと呼ぶ。

 お転婆な私は妹というより弟みたいだから、というのがその理由らしい。

 優しい両親に、ふざけているようで実はしっかり者の兄。

 前世で家族の縁が薄かった私には、くすぐったくも嬉しい関係だった。


 ここは魔法が日常に溶け込み、蒸気機関と魔道具が並び立つ、近世ヨーロッパ風の異世界だった。

 何か特定の作品の舞台というわけではないらしい。


 医師の診察を受けた。頭に大きなこぶができたくらいで、他に怪我はなかった。

 鏡に、父譲りの金茶の髪と琥珀色の瞳をした少女が映っている。

 家族が心配そうに見つめる中、私はこんなことを考えていた。


(――新しい創作のアイデアになりそうだわ)


 ***


「では、ヴィクトリアス公爵家について復習から始めましょう」


 横になっているのにも飽きたころ、ようやく医者の許可が下りて、私は久しぶりに授業を受けていた。


 家庭教師(ガヴァネス)のフェアファクス夫人が、こちらに視線を向ける。


「ええと……公爵家は風属性を持っていて、稀に王家由来の聖属性も発現する……」


「よろしい。ご先祖が大嵐で敵軍を退けた功績により公爵の位を賜り、王女を娶ったことに由来しますね」


 我が家で久しく途絶えていた聖属性が、私に発現した。

 ただし魔力は弱く、魔法はろくに使えない。父や兄のような風属性の力もない。


 フェアファクス夫人はこう続けた。


「戦争もない平和な世では、魔法は権威の象徴にすぎません。術を行使できるかどうかよりも、家の属性を受け継いでいること――そちらのほうが大切なのです」


 ペンを止めた。

 属性を受け継ぐことが大切。つまり、受け継がなかったら?


 夕食後、父の書斎を訪ねた。


「お父様、もし公爵家に風属性の子どもが一人も生まれなかったら、どうなるの?」


「次の代で、適切な属性を持つ配偶者を迎える」父は椅子の背にもたれた。


「高位貴族の家で、二代続けて属性が途絶えた例はないと言われているな」


「一度も?」


「少なくとも父さんは聞いたことがない」


 自室に戻り、本棚から貴族年鑑を引っ張り出した。


(一度もないって、本当かしら)


 ページをめくりながら系譜を辿ると、高位貴族と王族に関しては父の言った通りだった。

 当主の属性が異なる代には、必ず元の家系の属性を持つ配偶者が迎えられている。

 同じ属性を持つ傍流から養子を取り、家督を継がせている例もいくつかあった。


(なるほど。二代続けて途絶えた例がないのは、そういうからくりか)


 子爵家や男爵家では、当主の属性が途中で変わっている家もあった。

 爵位が下がるにつれ、縛りは緩くなっているようだった。

 私は年鑑をぱたんと閉じて、にんまりした。


(これ、面白いわ)


 属性を巡る家の思惑、婚姻の駆け引き、養子の立場――書こうと思えば、いくらでも膨らませられる。

 机の引き出しから手帳を取り出し、思いついた端から書き留め始めた。夜が更けるのも忘れて。


 だが、属性の話がこんな形で自分に返ってくるとは思っていなかった。

 夕食の席で、父と母がこんなことを言いだしたのだ。


「エティには聖属性がある。王太子殿下の婚約者候補として打診が来るかもしれない」


「あなたの属性は、この家にとっても誇らしいことよ」


 自室に戻り、椅子に座って天井を見上げた。


(使えもしない聖属性を持っているだけで、結婚相手が決められてしまうの?)


 権威の象徴という言葉が、急に別の意味を帯びて聞こえる。貴族の婚姻などそういうものだと分かっている。

 傷ついてはいない。ただ、妙な気分だった。


 私は机の上の手帳に手を伸ばした。こういうときは、何か書くにかぎる。


(この世界でも、私は物語を書き続けよう)


 ***


 両親は休みの日になると、よく私たち兄妹を連れ出した。

 大きな公園、動物園に博物館――行き先はそのときどきで変わったが、これらの施設はすべてヴィクトリアス家の所有物である。

 家族は当然のような顔をしていたが、私は我が家の財力に内心驚かされるばかりだった。


 兄は来年から寄宿学校に入る。帰ってこられるのは、年に三度の長期休暇だけだ。

 だからその日は、皆で博物館へ出かけた。

 兄はいつものように目を輝かせて走り回っている。


 母が「もうすぐ寄宿学校に入るのに、少し落ち着いてくれないかしら」と悩ましそうに言った。


「男の子だからな……。私も似たようなものだったよ」


「まあ、あなたも?」


 母は驚いた声を上げたが、私も驚いた。

 厳めしさが人の姿を取ったような父が、兄のようにはしゃいでいた?

 兄がいつかあの父のようになるところを想像しようとしたが、どうにも無理だった。


 屋外展示には、実物大の蒸気列車が静態保存されていた。


「魔導産業革命期の初期型だ」


 兄が車体を見上げながら教えてくれた。今の洗練された機関とは似ても似つかない、黒光りする鉄の塊だった。

 私は手提げ袋(レティキュール)に入れた手帳にそっと触れた。

 気になったことはすぐ書き留める――いつの間にか、そんな癖がついていた。


(魔導産業革命を下敷きにした物語……良いわね)


「ヘンリー! こっちに来てみろ、運転席が見えるぞ」


 兄が手招きしている。私は手帳から手を離して、駆け寄った。


 ***


 私は公爵令嬢として日々を過ごしながら、記憶が薄れないうちにと前世の作品を書き留めていた。

 同時に、新しい作品の執筆も続けている。いつか自分の作品を世に出したいという夢を、胸に秘めながら。


 兄のロバートが大学を卒業して帰って来た。ほどなく婚約が調い、そのお披露目が行われることになった。

 婚約者は伯爵家の令嬢、オリヴィア・ウィンダム。艶やかな栗色の髪と好奇心をたたえた若草色の瞳が印象的な、可憐な人だ。

 属性で結ばれた縁ではあったが、兄はすっかり彼女に心を奪われてしまったらしい。人目もはばからず見つめ合う二人を、微笑ましく思った。


 お披露目の場は盛況だった。

 私も挨拶や歓談に努めたが、人の多い集まりはやはり疲れる。


 頃合いを見て人波を抜け出し、庭の奥にある東屋(ガゼボ)へと足を向けた。

 椅子に腰を下ろすと、遠くから話し声が風に乗って流れてくる。


 手提げ袋(レティキュール)から手帳を取り出した。

 掌におさまるほど小さくなっていた手帳は、外に出すとゆっくりと元の大きさに戻る。

 革表紙の花柄の型押しが、じわりと浮かび上がるように広がっていくのが好きだ。付属の鉛筆もするりと伸びて、書き慣れた長さに落ち着く。

 これも魔道具である。原理は私にはさっぱり分からない。

 両親に誕生日の欲しいものを聞かれたとき、この手帳を選んだ。かなり高価なものだと後で知った。


 手帳には前世で書いた物語や、新たなアイデアを綴っている。

 記憶というのは不思議なもので、転生してからも色褪せない場面がある一方、ふとした拍子に霧散してしまう細部もある。だから手帳を手放せなかった。

 しばらく書き進めていると、庭の方から人の声が近づいてきた。立ち上がり、急いで屋敷へと戻った。


 客間では、兄が婚約者の父君と話し込んでいた。私も輪に加わり、しばらく歓談していて、ふと気がついた。

 ――手帳がない。


 努めて表情を変えないまま席を外した。あの手帳には、いろいろなことを書いている。

 東屋(ガゼボ)に戻ってみたが、テーブルの上にも椅子の下にも、手帳の姿はなかった。


 屋敷へ戻ると、侍女が近づいてきた。


「こちら、お嬢様の手帳ではございませんか」


 差し出された手帳は、確かに私のものだった。入口近くのテーブルに置いてあったという。


「ありがとう」


 ――誰かに見られたかもしれない。でも、手元から離れたのは三十分もなかった。中身はほとんど読まれていないはずだ。


 それから半年ほどが過ぎた、ある日のこと。

 最近、社交界では侯爵家の令息が書いた小説が評判らしい。


「ヘンリエッタ様、これが今、王都で話題の小説だそうですわ」


 侍女が差し出した一冊の表紙には、『騎士と聖女の運命』とある。

 著者はスタン・グリムストーン――侯爵家の令息だ。貴族が本名で出版するのは珍しい。

 何気なく開いて読み始めた私は、固まった。


「私の……作品?」


 前世で書いた『聖女エレノアと暁の騎士』に、そっくりだった。

 聖女エレノア、騎士ローラン――偶然にしては、名前も設定も符合しすぎている。

 読み進めるうちに胸の鼓動が速くなった。展開、細かい台詞回しまで、ほぼ同じだ。


 パーティで手帳を失くしかけたことが頭をよぎった。あれを読んだの?

 けれど、あの短時間ですべてを読めるとは思えない。


 もしかして、彼も転生者なのだろうか。

 早まってはいけないと思いつつも、その考えは消えなかった。

 作品の盗用? でも、この世界で私はまだ何も発表していない。

「前世で書いた内容と同じです」などと言って通じるはずもない。正気を疑われるだけだ。


(転生者だったら、物語をこちらの世界に蘇らせたかっただけかもしれないわ)


 作品が受け入れられていること自体は、素直に嬉しかった。ここまで細部を覚えていたことには、感動すらした。

 まさか、これ以上続きがあるとは、このとき思っていなかった。


 ***


 それからさらに半年後。十八歳になった私は、社交界デビューを果たした。


 朝から侍女たちが張り切って飾り立てている。

 純白のシルクモスリンのドレス。胸の下で絞られたウエストラインから柔らかなスカートが足首まで流れ、裾には繊細なレースが施されている。

 ダイヤモンドのネックレスに白手袋、扇子。自分でも素敵だと思う。


(ドレスの着付け、話に使えるわ)


 スタンの姿を見つけた。焦げ茶の髪と瞳。色合いに反して、落ち着きのない印象を受ける。

 彼のことは気になったが、遠目に顔を確認しただけで終わった。


 なぜなら私は、このとき王太子殿下の婚約者候補になっていたからだ。


 プリンス・アドルファス・オブ・アルビオン。二十三歳。

 隣国から嫁いだ王妃陛下に似た黒髪と、王家の琥珀色の瞳を持つ。落ち着いた雰囲気の青年だ。

 華やかではないが、整った顔立ちをしている。


(見た目はとても好み。話が合えばいいのだけれど)


 殿下は大学卒業後に各国を周遊し、戻ったばかりだった。だから実質、ほとんど初対面だった。


「一曲、よろしいだろうか」


 ダンスフロアに出ると、視線が一斉に集まった。けれど殿下はそれを意に介さず、静かに口を開いた。


「ヴィクトリアス家の令嬢は、読書家だと聞いた」


「……はい。幼い頃から好きで」


「どんな作品が?」


 まさかダンスの最中に読書の話をされるとは思っていなかった。

 軽やかに回りながら言葉を交わすうち、彼の声音が思いのほか柔らかいことに気づく。


 その夜からほどなくして、私は殿下の婚約者に正式に選ばれた。

 少ないとはいえ聖魔力を持っていたことも、やはり決め手のひとつだったらしい。


 王太子妃教育で詳しく学んだところによれば、この国の上下水道の最終処理には、王族のみが行使できる聖魔法の浄化技術が用いられている。

 争いが絶えなかった時代、王族は聖魔法を治癒に用いてその力を示していた。戦乱の世が去ると、今度は上下水道という生活基盤を押さえた。

 こうして聖魔力を手放すことなく、王族は権威を維持してきたのだという。


(インフラを独占して統治しているのね)


 教育と並行して、殿下との交流が始まった。言葉を交わすうちに、彼もまた無類の本好きだと分かった。

 ミステリー、リアリズム、冒険、ホラー、恋愛小説と、何でも読むそうだ。


 互いに本を薦め合い、感想を語り合うのは楽しかった。


 ***


「続編が出たそうですわ、ヘンリエッタ様」


 侍女が差し出した『騎士と聖女の運命2 ~新たなる絆~』を手に取った私は、絶句した。


 主人公の騎士ローランは腹黒キャラに改変されている。

 聖女エレノアは全肯定Botと化し、最初から好感度MAXの美女たちがハーレムを形成していた。

 ローランとエレノアの不器用だけど誠実な関係性は跡形もなくなっている。


「違う……これは違う……!」


 手が震えた。ローランは腹黒策士じゃない。地味だけど一途に聖女を想っているキャラなの。

 ハーレムなんて要らない。都合のいい女キャラなんて、要らないの!


「これは……解釈違いにもほどがあるわ……!」


 椅子から勢いよく立ち上がった瞬間、くらりとした。

 子どもの頃の懐かしい記憶が蘇る。


(思い出に浸ってる場合じゃない)


 部屋の中を行ったり来たりした。単なる類似作品なら我慢できた。でもこんな続編を書くなんて。


 翌日、殿下に会うため王宮を訪れると、案内された部屋の扉がわずかに開いていた。

 声をかけようとして、足を止める。


 椅子に腰かけた殿下は、本を読んでいた。

 手にしているのは『騎士と聖女の運命2』だった。


 彼が呟いた。


「猫波堂先生じゃない……」


 思わず声が出た。


「……猫波堂という作家を知っているのですか?」


 振り返った顔に驚きがあった。


「どうして猫波堂先生が作家だと分かった?」


「読書しながら先生と言っていたので……」


「ヘンリエッタ嬢」


 彼は私の言葉を遮った。


「作家に対して『先生』という言い方は、ここではしないよ」


 作家を先生と呼ぶのは日本の慣習だ。この世界にはない敬称が、無意識に口をついて出てしまった。

 王太子殿下は本を閉じ、静かに立ち上がった。まっすぐに私を見つめる瞳には、確かめるような切実さがある。


「君は……日本という国を知っているのか?」


 もう誤魔化せない。そう悟った瞬間、不思議と肩の力が抜けた。ずっと、誰にも言えなかった。


「……ええ」


 声が震えた。


「私には、この世界に生まれる前の記憶があります」


「……俺もだよ」


 言ってから、アドルファスは小さく咳払いをした。


「……失礼。つい、昔の癖が」


 アドルファスもまた、転生者だった。

 彼は三歳の頃に夢を見て、そのとき前世の記憶が蘇ったという。


「私は七歳のときでした。階段から落ちて、頭を打って」


「それは驚いただろう。私は幼すぎて、最初は夢と現実の区別がつかなかった」


 魔法のある世界への戸惑いも、似たようなものだったらしい。


「初めて魔法を目の当たりにしたとき、トリックかと思いました」


「私は術式の仕組みを必死に調べた。物理法則が違いすぎる」


「身分に関係なく魔力は皆持っているのですよね。私のように使えない者も多いようですが」


 思いがけず話が弾み、気づけばすっかり打ち解けていた。


「転生して一番ショックだったのは、猫波堂先生の作品がもう読めないことだった」


 そんなこと……、と言いかけて、彼の表情を見て口をつぐんだ。


「『聖女エレノアと暁の騎士』は、大好きな作品なんだ」


「つまり殿下は、前世での猫波堂の……読者だったと?」


「そうだ。最初は侯爵令息が転生者で、猫波堂先生本人だと思っていたんだが」


「『思っていた』?」


「彼は猫波堂先生じゃなかった。根拠はこの続編だ。私が周遊中に読んだ別の国の作品に、よく似ている」


「……つまり」


「彼は猫波堂先生の作品を自分のものとして発表し、続編には別の作家の作品を流用した」


「猫波堂自身がやったのかもしれないとは考えないのですか?」


「猫波堂先生は、そんなことをする人じゃない」


 しばしの沈黙が落ちた。


「……別々の作品をつなぎ合わせるなんて。どちらの作家に対しても冒涜だ」


 低く静かな声。これが彼の本気で怒っているときの声だと、私は最近になって知った。


「ローランのキャラクターが変わっていたのも、そういう理由だったのね……」


「全く! あの不器用な騎士が、どこにも見当たらない!」


「エレノアだって、ただ頷くだけの女ではありませんわ」


「そうだ! 君はよく分かっている!」


 私たちは、そろって作品への憤りを語り合った。

 婚約者同士が小説のキャラクター解釈を真剣に議論するというのは、なかなか珍妙な光景だったかもしれない。


「侯爵令息は、あそこまで内容を覚えているなんて。すごい記憶力ですね」


「グリムストーン家の魔法属性は地だ。地の魔法には『記憶魔法』がある」


「……使い方が盛大に間違っているわ」


 アドルファスが苦笑した。


(記憶魔法……)


 以前のパーティで私が落とした手帳。あの手帳には『聖女エレノアと暁の騎士』の内容も書いていた。

 拾ったのが、記憶魔法が得意なスタンだとすれば、短時間でも覚えられたのかもしれない。


 だったら、スタンは転生者ではないのだろうか。


(確証がないわね……)


「転生者は、この世界には多いのでしょうか?」


「魔導蒸気機関を発明した平民の工匠も、転生者だったかもしれない。残念ながら、もう亡くなっているが」


 初期は蒸気だけで動いていた機関に魔力増幅装置を組み込み、出力を飛躍的に引き上げた。

 また、魔力増幅装置が改良されたおかげで、魔力の弱い平民でも高出力の魔道具を扱えるようになったのだ。


「七十年ほど前に、聖魔法を上下水道の浄化に転用したのも平民出身の王宮技官でしたわね。火魔法と水魔法を使った浴場の普及にも関わったとか」


「風呂が完備されているのは、確かに便利だ」


 アドルファスの話では、この世界には転生者が思った以上にいるらしい。

 私たち以外の転生者。同じ時代にいるなら、いつか話してみたい。


「スタンが転生者だとしても、彼とは話したくありませんけど……」


「……ところで」


 アドルファスの声が、ふっと柔らかくなった。


「猫波堂先生が転生したと思っていたときは、先生も亡くなられたのだと悲しかった。でも、スタンが偽者なら……先生はご存命だ」


 その声には喜びが滲んでいた。


(これは、私が猫波堂本人だとはとても言えないわね……)


 ***


 我が家に戻り、改めて考えた。

 二次創作なら、不愉快ではあっても我慢できた。しかし別の作家の作品を繋ぎ合わせているなら話は違う。

 世界観の異なるものを平気で混ぜられるのは、なぜなのだろう。


 次にアドルファスと会ったとき、その疑問をぶつけた。


「出版社から続編を求められたんだろう。だが猫波堂先生の作品に続きは存在しない。それで別の作品から持ってきたんだと思う」


「自分で書けばいいじゃありませんか」


「書けないんだろう。……もともと目立たない人間だ。卒業前に同級生へ『作品』を見せたところ、出版を強く勧められたらしい」


 アドルファスはスタンより一学年上で、直接の交流はなかったが同じ寄宿学校だったので事情は知っているようだ。


「記憶魔法があるなら、成績は優秀だったでしょうに……」


「考査では、記憶魔法を持たない生徒との公平性を保つため、暗記に頼らない問題が出される。彼はそれが苦手で、成績は振るわなかったようだ」


 ふと、アドルファスの横顔を見た。盗作への怒りだけではない何かが、その表情に浮かんでいた。


「殿下は、本当に猫波堂の作品がお好きなのね」


「好きだよ」


「きっかけは?」


 アドルファスは少し間を置いてから、静かに話し始めた。


 転生前の彼は、読書とはほぼ無縁の人間だったという。

 そんな彼を変えたのが、三十になってすぐの入院だった。


 見舞いに来た友人が本を置いていった。

 熱烈な猫波堂ファンだったその友人は、以前から会うたびに「読め」「読め」と布教してきたのだ。

 断る理由もなく、ベッドの上で渋々ページを開いた。


 気づけば続きが読みたくて、両親や弟に頼んで次々と取り寄せていた。

 猫波堂作品をひと通り読み漁り終えたころには、自分でも驚くほどのめり込んでいた。

 退院したら、もっと本を読みたいと思った。


「けれど、退院は叶わなかった。容態が急変して、そのまま……。皆を悲しませてしまった」


 アドルファスの声が沈んだ。


「だから、この世界で猫波堂先生の作品に出会えたときは……驚いたし、嬉しかった」


 淡々とした口調だったが、その言葉の重さは十分に伝わった。


(最期に夢中になったのが、私の作品だったなんて……)


 私は何も言えず、ただ静かに頷いた。


「……そういえば、君は?」


「え?」


「猫波堂先生を知ったのは、どういうきっかけだったんだ?」


 にこやかな問いかけだったが、どう返そうか迷う。


「そう、ですね……理由はうまく言えませんね……」


 曖昧に微笑みながら、深く追及される前に話題が流れてくれるようにと祈った。


 ***


 アドルファスと度々会うので、母は「うまくいってるのね」と微笑んでいる。

 両親も政略結婚だが、仲が良いので自分たちと同じだと思っているのだろう。


 実際は、小説の話ばかりしているのだが。

 アドルファスが我が家を訪れたときも、作品の話になった。


「エレノアがローランに近づいた当初の目的は、彼の馬が理由だと思う」


「……は?」


「馬の描写が丁寧すぎる。明らかに意図的だ」


「そんな意図はありません」


「エレノアはローランと会うたびに馬を気にしていた。偶然にしては多すぎる」


「気にしていません!」


「なんで君はそこまで断言できるんだ」


 ――私が書いたんだから、なんて言えるわけがない。

 馬なんて本当にただの馬で、丁寧に書いたのは単純に馬が好きだったからなんて。


 後日、兄に呼び止められた。


「ヘンリー、殿下と喧嘩したのか?」


 婚約者とはいえ二人きりにならないよう扉は少し開けておくものだ。

 声が大きくなっていたらしく、揉めていたことが家中に知れ渡ってしまった。


 もうすぐ結婚する兄は、どこか落ち着いた顔つきになっていた。


「相手の言うことが違うと思っても、話は最後まで聞いたほうが良いぞ」


 兄に諭されるとは、と思いながらも反省した。

 作品の解釈は読者に委ねるべきだ。私は自分の意図を押しつけようとしていた。


 次にアドルファスと顔を合わせたとき、彼のほうから口を開いた。


「先日は言い過ぎた。すまない」


「いいえ、私こそ」


 呆気ないほど、すんなりと仲直りした。

 私の前では、アドルファスは「俺」と言うようになった。

 

 別の日。またしても猫波堂の話になった。


「俺はファンレターを送ったことがある」


「ファンレター……」


 脳裏に前世の記憶がよみがえる。出版社経由で届く、丁寧な文字のファンレター。

 それほど数は多くなく、常連は数人ほど。ほとんど女性で、男性は珍しかった。


「『醸造家の冒険』はよく読んだよ。元々酒が好きでね。入院したとき禁酒せざるを得なくなったのがつらかったな」


 あの作品に対して熱心な感想をくれた男性。もしかして、あの人が――。


「ワインのカタログギフトを贈ったこともあった。『醸造家』シリーズが完結した記念にね」


 あのカタログギフト。ワインは飲まないから、見た目だけで選んだ記憶がある。

 そもそもワイン醸造家の話を書いたのは、編集者に薦められたからだ。お酒はダメだったのに。

「ワイン好きな人が書いたようにしか見えませんよ。相変わらず嘘が上手ですね」と、あのとき編集者に笑われたっけ。


「先生はいつもお礼の手紙をくださっていたな。細かいところまで返してくれて。それなのに……、ワインへの言及がなかった」


 アドルファスが少し眉を寄せる。


「もしかして、好みのワインがなかったのだろうか……」


「猫波堂は、ワインが苦手でした。というか、お酒が全然飲めませんでした」


 彼の表情が曇った。


「それは……知らないとはいえ、失礼なことをしていたんだな。苦手なものを……」


「い、いえ、気持ちは嬉しかったですよ! 本当に! ラベルがとても素敵で、飾っていました!」


「……飾っていた?」


「え、あ」


 しまった。このことは自分と身近な人しか知らなかったはず。

 アドルファスの目が、すうっと細くなった。


「……ヘンリエッタ。もしかして」


「あ、その、これは聞いた話、ですが」


「君が……、猫波堂先生?」


 彼は察しが良すぎる。

 私はしばらく視線を泳がせたのち、観念して深くため息をついた。


「そうです。私は猫波堂。……猫田南海子(なみこ)が本当の名前です」


 アドルファスは、しばらく黙って私の顔を見つめた後、悲しそうに言った。


「先生は……お亡くなりになったんだな……」


「その……すみません。でも全然苦しくなかったので! ネタになったと思ったくらいで」


「君は何を言ってるんだ」


 アドルファスは長い息を吐いた。


「先生は女性だったのか……」


「性別を公表していなかったから、よく勘違いされてましたね」


 彼にしては珍しい、脱力した表情をした。


「先生が婚約者として俺の前に……。しかも、本人に作品語りを……」


 彼は頭を抱えた。


「転生してから一番動揺している……」


 私は、笑ってしまった。


「でも、この世界で君と会えたのは幸運だった」


 アドルファスの笑顔が素敵で、思わず顔が赤くなった。


 ***


「ヘンリエッタ様、グリムストーン様が新しい本を出されたそうですわ」


 侍女が差し出した本のタイトルを見て、固まった。手帳に書いていたアイデアのひとつだ。しかも。


「……何、この改変」


 新しい本でも、好感度の高い女性キャラクターが大量に配置され、甘やかな物語に塗り替えられていた。

 また私の作品が、勝手に変えられて世に出ている。解釈違いもここまでくると怒りを通り越して呆れる。


(これではっきりした……。スタンは転生者ではないわ)


 彼が今回出版した物語は、私が前世で発表した話ではない。転生後に新たに手帳へ書いたものだった。


 手帳にあった別の作品も、同じ目に遭わされるかもしれない。

 本を携えて王宮へ向かった。アドルファスにそれを差し出すと、彼はぱらぱらとページをめくり、静かにテーブルへ置いた。


「猫波堂先生の作品に似ているけど、これは読んだことがないな」


 私はアドルファスに、スタンが転生者でないことを手帳の件を交えて説明した。


「それにしても、こんな改変をするなんて」


「女性がたくさん出る展開が受けたから、味を占めたんだろう」


 実際、女性の読者は離れたものの、男性からの人気は上がっているという。

 別にそれは構わない。自分の作品であるならば。


「盗作だと訴えたところで、侯爵令息が私の手帳を読んだという証拠がありません」


「そうだな」


 二人して腕を組み、しばらく黙り込んだ。

 やがてアドルファスが静かに立ち上がった。


 王太子の顔になっていた。


「なら、二つの作戦を同時に進めよう」


「二つの作戦?」


「一つ。俺が著作権法の成立に向けて動く。今は無許可出版を禁じる法律しかない。時間はかかるが、将来的な予防策にはなる」


「もう一つは?」


「君が、まだ発表していない作品をリリースする」


「つまり……」


「次々と新作を発表するんだ。スタンは追いつけなくなる。そして君が真の作者であることを、世間が自然と悟る」


 脳裏に前世の記憶が走る。締め切りに追われ、泣きながら原稿を書いた夜。キーボードを叩き続けて腱鞘炎になりかけたあの冬。


「頑張れ、猫波堂先生。最新式のタイプライターを買ってあげるから」


 アドルファスが爽やかに笑った。今、権力がなぜか自分の味方をしている。

 ……この人、絶対ドSだわ。


 こうして私は、『キット・サウスシー』という覆面作家として作品を発表し始めた。

 書き溜めた話をこの世界の風俗に合わせてアレンジし、アドルファスが手配した出版社から次々と世に送り出していく。


 最初の一冊が出た時点で、スタンは何かに気づいたらしい。

 情報網によれば、グリムストーン邸では侯爵令息が慌ただしく動いているとのことだった。


 第二作。第三作。第四作。私のペースは落ちなかった。


「殿下……これ以上のペースは無理ですわ……」


 執務室のソファで、ぐったりと背もたれに沈み込んだ。


「もう少しだ、ヘンリエッタ。スタンが焦り始めている」


「でも……私の手が持ちません……」


「大丈夫、マッサージ師を呼んであるから」


「殿下、本当にドSですわね……」


「君のファンだからね」


 アドルファスがにっこり笑う。眩しくもあり、若干怖くもある笑顔だ。

 でも確かに、嘘はない。彼は原稿を毎回真剣に読み、感想をくれた。

 改行の呼吸が良いとか、この台詞が刺さったとか、具体的で丁寧に。それが何よりの燃料だった。


 疲れ気味の私に、アドルファスは大周遊旅行(グランドツアー)の話をしてくれた。大学卒業後、一年半ほど周囲の国を回っていたそうだ。

 知らない国、知らない文化の話はとても興味深かった。


「山あいの小国に、ある騎士の伝承があってね。フリウリ語というマイナーな言語だから、ほとんど知られていないんだが」


「どんな話なの?」


「呪いのせいで女性に追い掛け回される騎士の話だ。その伝承に基づいてコメディ作品が書かれたんだ」


「もしかして、スタンが元にしたのって」


「その話だな」


 ふと、考えが浮かんだ。


「殿下。大周遊旅行(グランドツアー)の話を出版されては?」


「私は物書きの素人だよ。それに面白いかどうか……」


 彼は渋ったが、結局同意した。スタンを追い詰める材料になると思ったらしい。

 私は話そのものが面白いから出版を勧めたのだが。


 ――殿下も原稿地獄を味わえばいいという思いも、少しはあったけれど。

 でも彼はあっさり書き上げてしまった。ちょっと悔しい。


「そろそろ、殿下でなくて名前で呼んでほしい」


「アドルファス様?」


「他人行儀だな。昔から親しい者にはドルフと呼ばれている。……そっちがいい」


「……ではドルフと」


 口に出したらなぜか、真っ赤になってしまった。

 恥ずかしい。なんだろう、この感じ。名前を呼んだだけなのに。


「君は何と呼ばれたい? ヘンリー? エティ?」


 兄に聞いたらしい。こっそり調べていたのかと思うと、なんだか胸の奥がくすぐったい。

 ヘンリーは兄との思い出だ。彼の口から呼ばれるには、少し違う気がした。


「エティでお願いします」


 そう答えると、ドルフはその名前を、そっと手のひらに包み込むみたいに、もう一度静かに繰り返した。


「エティ」


 それだけで、また頬が熱くなった。


 ***


 一方、その頃。グリムストーン侯爵邸では。


「くそ……なんだこのペースは……!」


 スタンは頭を抱えていた。作家として名を上げつつあったというのに、突然現れた何者かに勢いを奪われている。


「一体誰なんだ? 今になって……」


 侯爵家の令息でありながら、これといって目立つところがない。得意な魔法は『記憶魔法』という地味なもの。

 学生の頃は、記憶魔法があるのだから勉強など適当でいいと高を括っていた。

 親と教師に魔法への依存だと言われたが、どうせ覚えられるのにと内心反発していた。

 しかし定期考査で、記憶だけでは解けない問題が出た。結果は散々で、やる気はますます失せた。


 かつて同じ魔法を生かして王宮で活躍した先祖もいたが、魔道具が発達した今、その役職はただの名誉職になっていた。


 昔は魔力の多さで、長男でなく他の兄弟が当主に選ばれたこともあったという。

 スタンも魔力量は嫡男の兄よりずっと多かった。だが今の世に、その事実は何の意味も持たない。

 時代が違えば、自分こそが選ばれるべき人間だった。そのやりきれなさが、胸の底にずっとくすぶっていた。


「俺の方が優秀なのに……」


 あるパーティに付き合いで出席した際、スタンは一冊の手帳を拾った。

 革装丁の手帳で、表紙の裏には「ヘンリー」と書かれていた。その名前に心当たりはなかった。


 スタンは手帳の類に興味がなく、その世界に疎かった。

 記憶魔法があるのでメモなど不要だったし、わざわざ書き留める人間たちを内心バカにしてもいた。

 もし彼がメモを使う人間だったなら、その手帳が特殊な魔道具であり、持ち主が限られていることに気づいたかもしれない。


 中には、物語の草稿や設定がぎっしりと書き込まれていた。

 読み進めるうち、最初の物語に強く惹きつけられた。スタンは記憶魔法で内容を頭に収めた。


 かなり分厚い手帳だったが、会場でそれを持っていた人物は見当たらなかった。

 テーブルに置いて取りに来るところを見て、持ち主を確かめようとした。

 しかし、公爵家の侍女が持って行ってしまい、結局誰のものかは分からずじまいだった。


 物語を書き写して周囲に見せると、絶賛された。寄宿学校でも評判になったが、手帳の持ち主からは何の声もない。

 学校に通っていないのか、それとも気が弱いだけなのか。

 どちらにせよ、侯爵家の自分に楯突けるような相手ではないのだろう。

 何か言ってきたところで、白を切ればいい。


 一字一句を写したわけではない。アイデアをブラッシュアップし、より良くしている。

 自分の才能だと思い込むのに、時間はかからなかった。


 出版にあたって、スタンは迷わず本名を使った。侯爵家の名を冠すれば作品に箔がつく。

 兄が踏み込めない場所に自分の名が刷られる昂揚は――あくまで副次的なものだ。そう自分に言い聞かせた。


 一作目を出しても、名乗り出る者はいなかった。

 やはり思った通りだ。この作品は、もう自分のものだ。


 反響は大きく、続編を求める声が殺到した。だが元の作品に続きなどない。

 記憶をいくら探しても、あの騎士と聖女が登場する物語は他になかった。


 やむなく、話者の少ない外国の作品を訳して繋ぎ合わせ、続編の体裁を整えることにした。

 記憶魔法のおかげで言語には堪能だった。選んだのは、習得者の少ないフリウリ語。

 この国ではほとんど知られていない希少な言語だ。


 彼のアイデアはあの手帳にあったものだけだった。

 そして今。そのアイデアも、キット・サウスシーによって先へ先へと出版され続けている。


 そして、王太子が出版した大周遊旅行(グランドツアー)の見聞録に、スタンの物語とそっくりな伝承が収められていた。

 見聞録が話題を呼び、やがてフリウリ語の原典まで翻訳、出版された。元ネタが白日のもとに晒された形だった。

 昔話を下敷きにするのはよくあることだが、彼の話はあまりにも『そのまま』だった。


 ――これはただの模倣ではないか?


 囁きは社交界に広がり、やがて笑い声に変わった。

 スタンは、二度と作品を出さなかった。

 書店の棚から、彼の本は静かに姿を消していった。


 ***


「自爆したわ……」


 執務室で報告を聞きながら、深く安堵のため息をついた。


「これで君も解放だな、エティ」


 ドルフが優しく微笑む。


「はい……ようやく原稿地獄から……」


「ああ、ただ読者は続きを待っているから、定期的な執筆は続けてもらうよ」


「え」


「君の才能を埋もれさせるわけにはいかないからな」


 やはりこの人、ドSだわ。けれど、その言葉が嬉しいのだから、私も大概なのだと思う。


「祝杯をあげよう」


 アドルファスが手を鳴らすと、侍女がワインとグラスを運んできた。

 続いて銀の盆に、カナッペ、オイスター、焼きたてのサヴォリーパイが並ぶ。温かいパイの香ばしい匂いが部屋に広がった。


 赤ワインが注がれたグラスを掲げ、ドルフと軽く合わせる。澄んだ音が響いた。


「エティは今、ワインが飲めるよね?」


「……あら、そういえば」


 前世ではお酒を飲むと、すぐに気持ち悪くなっていたのに、転生したこの身体では普通に嗜んでいる。


「飲めます。わりと好きですね」


 ドルフの表情がぱっと明るくなった。


「それは本当に良かった」


 心底安堵した顔で言うものだから、笑いがこぼれた。


 それからさらに数ヶ月後。ドルフの尽力により、この国で初めての著作権に関する法律の一部が制定された。

 登録作品の無断改変・無断出版を禁じるもので、完全な保護にはまだ遠い。だが、創作者が声を上げられる土台ができた。


「まずは第一歩だな」


 ドルフが満足そうに頷く。


「ええ、本当にありがとう。ドルフもお疲れ様でした」


 私も微笑んだ。窓の外では、王都に夕陽が落ちている。


「なあ、エティ」


「はい」


 ドルフが、珍しく照れくさそうに言う。


「俺、実は本の話ができて、お酒が一緒に飲める人と結婚するのが夢だったんだ」


「ドルフ……今はどちらも大丈夫です」


 私たちは見つめ合った。


 転生者同士、前世ではファンと作家だった二人が、婚約者として出会うなんて。神様も、ずいぶん趣味が悪い。

 でも、これも小説のアイデアになりそうだと思った私は、やはり根っからの物書きだった。

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― 新着の感想 ―
スタンは性質が創作者向きでは無かったですね。あの記憶力なら校正や会計係とか向いてたかもしれませんが。 スタンは権力と権威のあるオタクを敵にまわしのが最大の間違いだった。
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