8.皇家の当主、兼、旦那さま
一方、そのように推測されているとは知らない心結は、ナギの後をついて歩く。むき出しの廊下に柔らかな日が差し、温もって気持ちが良い。
(なんだか安心する……)
一歩一歩を踏みしめながら歩くが、ナギとどんどん差が広がっていく。はぐれないよう慌てて後を追いかけた。
やっとナギが止まったのは、立派な中庭が目の前にある部屋の前。「入れ」と襖を開けたナギが、心結を中へ促す。開けられた瞬間、爽やかな畳の匂いが鼻孔をくすぐった。きちんと手入れされている証拠だ。昔ながらの屋敷だけど、どこを見ても古い感じがしない。立派な屋敷だ。
「し、失礼します……」
お辞儀をして部屋へ入る。ナギも続き、既に用意されていた座布団に向かい合って座った。その時、廊下で元気な声が響く。
「ナギ様!」
見ると、襖の端からお盆の一部が見えている。どうやら使用人らしい。それにしては元気が良すぎる気もするが。
「お茶をお持ちしました!」
「響丸か、入れ」
「失礼いたします!」
響丸と呼ばれた使用人が姿を見せる。その瞬間、心結は驚いて言葉を失った。なぜなら響丸と呼ばれた使用人は、まだ十歳前後の幼子だったからだ。短髪に、ふっくらしたあどけない顔。こんな子を働かせているのであれば、それはあまりにも容赦がない――心結は、ナギへ警戒心を抱く。
(静かな見た目をしているけれど、勝吾様のように怖い人なのかもしれない……)
身構える心結を感じ取ったのか、響丸は子供らしい笑みを心結へ向ける。
「実は、わたし捨て子だったんですよ!」
「……へ?」
いきなりの言葉に、心結は思わず言葉を失う。向かいでは、ナギが不服そうに眉をしかめた。
「わたしはナギ様に拾っていただき、このように生活することが出来ております。だから、どうぞご安心ください、ナギ様はお優しい方ですよ!」
「……響丸」
さっきよりも低くなったナギの声。しかし響丸は臆さず「それでは!」と一礼して去った。不機嫌なオーラが少し続いた後……ナギは本題を話す。
「お前を嫁にすると言ったが、それは形だけだ」
「形だけ……?」
「前回の久我家と同様に、我々も政略結婚ということだ。しかし衣食住は保証する。その代わり……」
そこまで言ったナギは、途中で言葉を飲んだ。そして空気を変えるように、目の前に置かれた湯飲みへ手を伸ばす。
「とにかく。俺がお前を好くことは一生ないと思え。以上だ」
「……かしこまりました」
頭を下げた心結。視線の先に、ナギが茶托へ戻した湯飲みが見えた。
(この湯飲み、陶器ではなく磁器だわ……)
磁器は、陶器よりも薄く作られることで有名だ。この湯飲みは磁器の最高峰と言っていいほど薄く、触れただけで割れてしまいそうだ。こんな物を作れるなんて、よほどの技術者に違いない。同時に、それほどの職人から品物を購入できるナギもタダモノではない。やはりナギは名家、皇家の者なのだ。
「これから、よろしくお願いいたします……旦那様」
「ずいぶん厳しいことを言ったが、何とも思わないのか」
「……」
本来、心結は勝吾と離婚した後、捨てられるはずだった。しかしこうしてナギが引きとってくれた。これだけで充分すぎるほど幸運だ。だからこそ、ナギの話を聞いても何も思わない。好かれなくてもいい。何も言わず皇家においてくれれば、それで。
「不満などありません。どうぞ、好きに使ってください」
その時、頭を下げ続けた心結の視界が、急に黒く染まる。それは左目から徐々に広がっているようだった。しばらくして、右目をも暗黒に染めてしまう。
(え……?)
不思議に思った心結だが、ここに来るまでのことを思い出す。勝吾から熱い味噌汁をかけられて左目を火傷したことだ。さらに井戸水で風呂を済ませ、冷え切った体のままで薄い袖を着て外へ出た。こんなことをして体調を崩さない、わけがない。
「どうした」
なかなか顔を上げない心結を、ナギが不思議がる。
「申し訳、ござい……ま……」
私のことは放っておいてください、と言うつもりが口を開けていられなくなった。一気に全身が気だるくなり体を支えられない。そうして我慢の限界を迎えた心結は、軽い音を立てて畳へ突っ伏した。
「おい、どうした……おい!」
ナギの声が、どんどんと遠くなる。全身の気怠さと頭痛を覚えながら心結は意識を手放していった。その時、背中に温かな体温が乗るのを、わずかに感じながら――
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