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4.だまり屋の店主

 

「勝吾さん、こんにちは!」

「冴、お待たせ」


 二人が笑顔で駆け寄る様を、心結は無感情で見ていた。もう見慣れた景色だと思う反面、どうして冴と出会ってしまったのかと、あの日のことを思い出す。

心結が勝吾と結婚して一年。同じように、勝吾と冴が出会って一年。驚くことに、この二つは同じ日なのだ。


 結婚式が終わった夜。夫婦になったとはいえ、心結と同じ部屋にいることが気に食わなかった勝吾は、手が付けられないくらい暴れた。


『誰がこんな女と初夜をするか!』


 女性としての尊厳を傷つける罵声をいくつも浴びせた挙句、勝吾は屋敷から逃亡。その足で、冴という愛人を作った。黒色で長髪の心結と対照的な、茶色で短い髪の冴。無表情の心結とは対照的な、天真爛漫な冴。何から何まで心結と正反対の愛人を、結婚式当日に勝吾は作ったのだ。


「あそこに入りませんか? 勝吾さまっ」

「いいね」


 仲睦まじい二人。自分には一度も微笑まない勝吾が、冴に対しては常に笑いかけている。しかし心結は羨ましいとも、冴と変わってほしいとも思わなかった。ただ、解放してほしい。それが無理な願いだと分かっていても。


「勝吾さまぁ、見てみて。この赤いワンピース新しいのよ、どうかしら?」

「さすが冴、よく似合うよ。あの薄気味悪い愚妻とは雲泥の差だ」


 薄気味悪いと言われる所以は、心結が無表情だからだ。しかし元から無表情だったわけではない。結婚式当日、笑顔を絶やさないよう努めていたところ「薄気味悪いから笑うな」と勝吾に言われた。それ以来、心結は能面をつけたように無表情で、心を無にして過ごしている。


 天下の久我家の妻が笑わないとなると方々に影響が出そうだが、義正はそれでもいいらしい。「逆に憂いがあって美人だ」と、白い顎ヒゲを触りながら高笑いした。笑っていなくていい。表情がなくていい。心結の顔さえあれば、それでいい――


「……っ」


 どろりとした感情が頭のてっぺんから垂れる。嫁ぎ先において中身で評価されることが一生ないなど、生きる気力を奪われたと一緒だ。どれだけ炊事を頑張ったとて、どれだけ荷物持ちをやったとて、それらは何の意味もないことだ。外見さえ保っていればそれでいいのだから。人形のように、機会のように――


「違う色のワンピースもほしいな~。勝吾さま、今日もたくさん買っていい?」

「もちろん、そのために荷物持ちを連れて来たからね」


 冴が買う物は全て勝吾のおごり。久我家の財産は、本妻の心結ではなく愛人の冴に使われる。この豪遊は義正の耳にも届いているが、反応は薄いものだった。


『ちゃんと跡継ぎを設けるなら、勝吾は何をしても構わない。なんせ相手は弱小名家の花本だ。結婚してやっただけ儲けもんだろう。世間もそう思っている。愛人を持って当たり前なくらいだ。往来で荷物持ちをさせた所で、久我家には何の影響もない』


 義正の話を聞いて心結が愕然としたのは言うまでもない。まさかこれほど軽んじられるなんて――。


 しかし一つだけ希望が残っている。

 それは〝勝吾が心結に触ろうとしない〟ことだ。


 事実、結婚式はとうに終わったが二人はまだ初夜を迎えていない。心結へ指一本も触れたくないと、勝吾が拒否しているのだ。義正へは、あたかも「事を為しているが子供を授からない」体で勝吾が話している。だから心結は待つだけだ。跡継ぎを産めない自分が、義正に「用済み」と言われる解放の日を――


「あ、痛っ!」


 買い物が終盤にさしかかった時、事件は起きた。冴が石に躓いて転げたのだ。膝丈より短いスカートを履いているから、むき出しの膝は擦りむけ血が滲んでいる。痛がる冴を、勝吾は眉を下げて見つめた。


「冴、大丈夫か⁉ おいお前、医者を呼んで来い!」

「わ、わかりました……っ」


 冴の荷物を持ったまま心結は踵を返した。だけど、どうにも足が重くて頭が痛い。おまけに火傷のせいで視界が揺れ続け、気持ち悪さから立っていられなくなった。


(少しだけ座って、それからすぐ医者を呼びに行こう)


 心結は体を引きずりながら、何とか路地裏に身をひそめる。姿を隠して勝吾の目から解放された瞬間、心結は膝から崩れ落ちた。昨日から何も食べていないため、体が限界を迎えたのだ。空腹で弱っていた体で水を浴び、充分に乾かさないまま薄着で外へ出た。これで体調が崩れない、わけがない。


(だけど行かなきゃ……)


 いくら体調が悪いからと、ここで医者を連れて来なければ後から勝吾に何をされるか、想像しただけで悪寒が走る。足に力を入れて路地裏から身を出そうとした瞬間、勝吾の「あ」という声。見ると、二人はとある店を目指して歩いている。


 店の名前はだまり屋。

 厚い木で出来た看板に「なんでも直します」と書かれている。


 どうやら勝吾はこの謳い文句を信じたらしい。いくら「何でも直す」と言われても、怪我人は医者に診てもらうべきだ。勝吾を止めようと、心結は二人の元へ急ぐ。しかし二人は既にだまり屋の暖簾をくぐり、店主と話をしていた。聞き心地の良い店主の声が、暖簾を越えて穏やかに心結の鼓膜を揺する。


「一番大切な物を直す代わりに、二番目に大事な物をもらう」


 店主が出した条件。これをのめば、看板の文字通り「何でも直す」ということなのだろうか。人間の怪我でも治せるのだろうか? では、この人は医者?


 不思議さ半分、怪しさ半分。もしも二人の身に何かあったらいけないと、心結は勝吾を止めに暖簾をくぐる。しかし心結が店の敷居を跨いだ、その瞬間。勝吾から不敵な笑みを向けられる。

 

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