33.久我家の憤り
「す、すみません……っ」
急いで退けようとするも、ヒスイが力を抜かないものだから動くことが出来ない。しかも何を思ったか、ヒスイが顔を近づけてきた。心結が反応する暇もなく、珍しく彼の弱った声が耳に届く。
「心結ちゃんが能力者じゃなくてもええ。ナギの奥さんって、ちゃんと認めるわ。
せやから……ナギに、もう無理はさせんといて」
「え?」
それって――と心結が疑問を抱いた時。床へ上がったナギが、手を引いて心結を立たせる。
「ヒスイ、何をしている」
初めて見る怒った顔に、心結は思わず生唾を飲む。纏っている雰囲気が、いつもの柔らかいそれではない。まるで全身から棘が突き出ているようだ。
怒りの矛先は、ヒスイ。遅れて体を起こしたヒスイを一瞥した後、ナギは心結を抱えて店を出た。
「え、え?」
いきなり抱えられた心結は、戸惑いつつも落ちないようにナギへしがみつく。だけど大事な背広にシワが寄ってしまうと気づき、慌てて手を離した。しかし、ナギが首を振る。
「いい。握っておけ」
「しかし……」
「落ちるぞ」
「っ!」
今度こそ心結は、ナギの背広にしがみついた。あまりに素直な反応に、ナギの顔が綻ぶ。「落とすわけないだろう」と上機嫌に笑った。今までにない、とびきりの笑顔。心結だけでなく、リリーもヒスイも釘付けになる。
「やっぱり……あなたの居場所もそこしかないのよ、ナギ」
今にも泣きそうなリリーの声。その声は車へ乗り込む二人へ届くことなく、ヒスイにだけ聞こえた。
❀
久我家は大きな舞踏館を貸し切りにし、そこで結婚式を行うらしい。ドレスアップした何人もの有名人が、初めての場所へ浮足立って来場していた。
そこへ止まる、心結たちを乗せた車。運転手がドアを開け、ナギ、そして心結が降り立つ。すると一組の美男美女を前に、会場の雰囲気が一変した。
「久我勝吾様の元奥様だ。最近、あっちも結婚したとか」
「シッ。言葉遣いに気をつけなさいよ。再婚相手は、あの皇家よ」
「皇家は風の噂ではなかったのか。では心結様の隣にいるあの方が当主か」
「久我家と一、二を争う名家よ。それにしてもイイ男ねぇ」
皇家の存在は、今までひたむきに隠されてきた。結婚を願う令嬢が後を絶たず、煩わしく思ったナギにより、長年屋敷へ結界がはられていたのだ。
令嬢どころか世間からも存在を認知されなかった皇家。その当主が久々に姿を見せた。しかも類を見ないほどの美形。目立たないわけがない。
その証拠に、周りからの視線が絶えまなく降り注いでいる。ナギの隣を歩く心結が、感知せざるを得ないほど。
(きっと皆、私とナギ様を不釣り合いだと思っているでしょうね……)
方や、久我家から追い出された弱小名家の娘、花本心結。
方や、名家の頂点を争うほどの名家。若くして当主の皇ナギ。
この二人が突然の結婚をした。理由は政略結婚の他ないだろうと、周囲の人間は誰もがそう思った。
愛のない結婚を繰り返す心結を見て「なんと金にがめつい女だ」と鼻で笑った者もいる。
しかし突如として、風向きは変わる。
「やーやー皇ナギ様! 我が大山家とは古くからの縁ですが、これからも何卒よろしくお願い致します! まずは一献! ささ、奥様も!」
徳利を傾ける大山に対し、ナギは掌を見せる。
「妻はまだ酒が飲めない。俺だけいただこう」
「それは失礼しました! それでは今日と言う良き日に、乾杯!」
「これからもよろしく頼む」
「もちろんですとも!」
盃を目の高さまで上げる。両者ともに笑みを浮かべ、ゆっくりと口へ含んだ。その様子を、心配そうに見守る心結。本当に自分は飲まなくていいのかと、たまらずナギへ視線を送る。
気づいたナギが、机に広がる食べ物、その一つを取って心結へ渡す。個包装された、四角い形の焼き菓子だ。
「心結はこれ」
「美味しそうですが……」
お酒ではなく、お菓子でいいのだろうか?
不思議に思ったがナギの口を見ると、薄い唇が弧を描いている。つまり、可。どうやらお酒ではなく、本当にお菓子を食べていいらしい。
「朝は忙しくてろくに食べられなかっただろう。いま食べるといい」
「あ……」
忙しかったのはナギも同じだろう。だまり屋を出発してすぐ、ナギは車の中で眠ってしまった。深い、眠りだった。
思えばひばり屋とやり取りしたり、リリーを呼んだりと、今日までの準備を全てナギが行った。疲れないわけが無い。
(それでヒスイさんは〝ナギ様に無理をさせるな〟と言ったのかしら……)
出かけにヒスイが呟いた一言。心結にしか聞こえなかった小さい声なのに、頭から離れない。それもこれも全部、自分の未熟さゆえだ。
当主であり店主でありと、色んな顔を持つナギだ。体一つでは足りないだろう。疲れないはずがないのだ。
(妻、失格だわ……)
次こそは夫を支えようと、自分に喝を入れる。ナギにふさわしい妻になるために――
「心結?」
「……いえ、なんでもありません。いただきます」
今日は立食式らしく、立ったまま食べている人をちらほら見かける。マナー違反にはならないことを確認した後、心結は控えめに洋菓子を食べた。
瞬間、味わったことのない甘みが口へ広がる。頬が落ちてしまいそうだ。
「美味しいっ」
「……ふ、そうか」
知らない内に笑顔になっていた心結は、すっかり緊張が解けた顔をナギへ見せた。そんな心結を見て、ナギも柔らかく笑う。すると和やかな雰囲気が、会場全体へ漂った。
「あのお二人は、政略結婚なのよね?」
「それにしては、随分……」
二人を見ていた周囲の人間は、本当に二人が政略結婚か疑い始めた。あまりにも二人の仲が良く、自然な夫婦に見えたからだ。
特に「結婚したことを書面で知った人たち」は衝撃だった。あの書面をもらって日が浅い。それなのに、ここまで仲がいいなんて――
「心結様が捨てられたと聞いていたが……」
「むしろ捨てられたのは、勝吾様の方では?」
心結とナギが各名家への挨拶回りをしている間、そんな噂が会場に流れ始める。
容姿端麗で、品行方正。久我家のように横暴でない皇家へ、各名家は心を許し始めていた。
しかし、それを気に食わない者がいた。既に会場へ姿を現していた久我家当主、久我義正だ。




