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31.たった一つ、ナギの願い

 全て準備が整ったナギは上がりかまちへ座り、暖簾の隙間から外を見る。

 

「誰でも、生きていく上でやりがいは必要だ」


 ナギは、ここ最近の心結を思い出していた。


 店の手伝いをしたいと言った時は驚いたが、まさか広告を作るとは。それだけにとどまらず、店の受付をしたいと言って来た。無理はさせたくなかったが、実際にお願いすると心結の顔つきはどんどん変わっていった。楽しそうに、輝いているのだ。


「初めてだまり屋へ来た時、心結は操り人形だった」


 初めて会った心結は、勝吾と冴に操られていた。常に怯え、笑う事もなく、静かに店の端に立っていた。その時、ナギはひらめいたのだ。自分と結婚すれば、心結を助けてやれるのではないかと。当然、自分への利益も視野に入れながら。


 久我家と花本家は政略結婚と知っていたナギは、心結にお金が必要なのだと分かった。ならば名家の自分が結婚を申し出ても、心結の迷惑にはならないはずだ。それに――


「俺が去った後、皇家に残る莫大な金をどうするか……ちょうど迷っていたんだ。誰かに使ってもらえるなら御の字だ」


 そうして始まった契約結婚だった。


 有り余る金の使い道が決まったナギ。そのお金で実家へ支援金を送れる心結。ちょうどいいと思った。だから結婚した。故に、二人の間に愛など生じないと思っていた――最初の頃は。


「皇家に来て、少しずつ心結は変わった。よく笑うようになった」


 心結の顔がどんどん綻んでいく。その変化を見るのが、いつの間にか楽しみになっていた。心結の笑顔を見ていると、心が穏やかになっていく。二人でいる時間が、なぜか悪くないと思えるのだ。


「心結には笑っていてほしい。せっかく人形でなくなったのだ。どうせ遅かれ早かれ死ぬ俺が、その笑顔を曇らせることはない」


 店の外で、太陽が空高く昇っている。ナギは、眩しそうに目を細めた。


「だから広告は下げない。俺は、最後までだまり屋を続ける」


「でも」とリリ―。


「ナギがあってこそのだまり屋じゃないの? だって心結ちゃんは、ただの人間でしょ。どうやってだまり屋を経営していくの?」


 異能の力がない心結に、だまり屋を継がせることは不可能だ。リリーは訴えるが、ナギは「心配ない」の一言。


「広告で集客を図ろうと思いつく心結だ。全ての教養は身についているし、勘のいい経営力もある。何らかの形でだまり屋を支えていくだろう。それに無理なら店をしまってもいい。それでも過ごしていける金はある。先祖代々、欲のない一族だったからな」


 あまり息が続かないのか、ナギは深呼吸する。落ち着くと、切れ長の瞳をヒスイへ向けた。


「そういうことだ。くれぐれも口外するなよ、ヒスイ」

「……なんで、もっと早く僕を呼ばんかったんや。ここまで悪くなる前に、どうにか出来たかもしれんのに」

「お前を呼ぶと、結婚式に行かせてくれないだろう」

「そもそも行く気ないやろ? 無理せんでええやん」


 しかしナギは首を振る。「無理」とはまた違う理由で、この背広を着ているのだ。


「俺が結婚式に行かなかったら、久我家はいっそう心結を虐げるだろう。それは癪に障る」


 結婚式に来なかった負け犬――とでもいいそうだ。久我家は、どんな些細なことであれ揚げ足をとって心結を虐げてきた。そんな彼らが、結婚式に来なかった心結をなんと言うか、想像に容易い。


「せっかくだ。来てくれたなら、薬」


 いつものようにナギは手を出す。しかし、ヒスイから返ってきたのは冷たい眼差しだった。


「なくなるのが早すぎや。ちゃんと決められた量を飲まんと、体に毒やで」

「毒か……もう回っているも同じだ」


 それは余命の短さのことを言っているのだろうか。落胆しながら、ヒスイは背負った薬箱を土間へ降ろす。そしていつもナギへ渡す薬を、なんと袋ごろ投げた。


「これで全部や。もうやらん。それが嫌なら、ちょっとでも体を良くして薬がいらんほど元気になりや」

「……無茶を言う」


 口に笑みを浮かべたナギは、宙を舞う袋を難なく掴む。手のひらに収まるそれを見て、無意識に頭で計算した。


 薬の量が何日分あるか、自分の命が残りどれくらいか――その数が似たり寄ったりだと分かると、安心したように目を伏せる。


「感謝する」

「……ねぇ、ナギ」


 既に泣きそうなほど目に涙をためたリリーは、ナギの隣へ腰かける。


「心結ちゃんが、お金ほしさにナギの傍にいるわけじゃないってこと……ナギも気づいているでしょう? 心結ちゃんには、あなたが必要なのよ」

「……」


 心結へ話しかけた時。心結へ触った時。心結と、二人だけの時間を共にした時――笑ってくれる心結を見て、ナギはなんとなく気づいていた。


 二人の心が近づいた。

 そう思っているのは、きっと自分だけではないと。


 だけど――


「……気づいたところで、この能力は変わらん」

「ナギ……」


 まるで「どうしようもないこと」と言わんばかりに、ナギがぽつりとこぼす。場は静まり返り、やや浅いナギの呼吸だけが聞こえた。その静寂を破ったのは、耳をつんざくほどのヒスイの怒声。



「ふざけるな!」



 するとリリーの前を、何かが通る。再び薬が宙を飛んだのかと思えば、なんと正体はヒスイだった。ナギへつかみかかり、今にも殴らんと腕を振り上げている。


「こらヒスイ、やめなさいよ!」

「嫌や! 一発殴る! こんな簡単に諦めよって、腹立たしいったらないわ!」

「!」


 ヒスイの言葉を聞いて、リリーは弾かれたようにピタリと止まる。


「あたしだって同じよ。もったいないって、そう思ってる」

「……そうなのか」


 殴られる寸前でも、淡々とした口調のナギ。その様子を見て、リリーは苦々しく笑った。


「その感じ、懐かしいわね。自分に興味なさそうで、口数が少なくて。本当ナギは淡白だった。だからあたし、いつも思っていたのよ。つまらなさそうな顔してるなって」

「……ひどいな」

「だって何の生きがいもなく、ぬぼーっと生きちゃってさ。結婚でもすればいいのにと思っていたら、屋敷は結界で隠しちゃうし、落ち武者みたいになっちゃうし。完全に裏目に出たわ」

「……」


 俺が結婚するよう仕向けていたのか、と今さらリリーとヒスイが裏で手を組んでいたことを知る。一言言ってやりたかったが、リリーの「でもね」という言葉に耳を傾ける。


「心結ちゃんと出会ってナギは変わった。人間味が増したのよ」

「……それは」

「褒め言葉よ。心結ちゃんはよく笑うようになったけど、それはナギも同じじゃない? 楽しそうに生きているって、今のナギを見ていれば分かるもの」


 だからこそ悔しい、とリリー。


「ナギには生きてほしい。心結ちゃんとナギが二人でいる姿が、あたしは好きだもん」

「……」


 すると廊下から響く足音。誰かが来る。おそらく心結だろう。


 ナギは土間へ立ち、ヒスイに引っ張られた背広を直した。ヒスイは動く気力がないらしい。店の端へ座り込んだ。そんな二人を、リリーが眉を下げて見ている。「ケンカしている場合じゃないのに」という顔だ。


 すると桜色のドレスに身を包んだ心結が、控えめに店へ顔を出す。ヒスイの叫び声が聞こえたのか、顔には焦りの表情が浮かんでいた。

 

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