27.覚えた違和感
元にいた一階へ戻ると、和服へ着替え終えたナギが既に待っていた。
「遅くなってしまい、申し訳ありません……」
「……急ぐな。転ぶ」
近くまで寄ると、ナギが手を差し出した。いくら心結でも、手を出された意味は分かる。
だけど手を重ねるにはどうにも恥ずかしくて、ついに握らないまま引っ込めてしまった。
「あ、ありがとう、ございます……でも、大丈夫です」
「……行くぞ」
志乃婦に挨拶をし、教えられた道を二人で歩く。もう少しでお昼が近い。どうりで汗ばむはずだ。心結は、高く上がった太陽を見る。
「……あれ?」
視線を戻した時。前を歩いていたはずのナギが姿を消していた。ついさっきまでいたのに、一体どこへ?
辺りを見回す。いくら雑踏の中とは言え、ナギほど目立つ容姿をしていれば見つけることは容易いはず。
そう思っていたが、どこを見てもナギは見つからない。心結は焦り始めた。
(まさか……また捨てられた?)
勝吾に選ばれなかった日を思い出す。久我家と離れられたことは良かったが、自分の価値を改めて知った日だ。あの衝撃は、今も心結の心へ傷を作っている。
「旦那、さま……っ」
もう会えないのだろうかと、そこまで考えた時だった。
「ここだ」
ポンと、頭上に軽い何かが乗る。見上げると、太陽を遮断する白色の帽子。触ると帽子全体に丸みがあり、まるで釣り鐘のような形をしている。
「これ……」
「今日は暑い。また倒れられたら困るから被っておけ」
「ありがとう、ございます……」
わざわざ買って来てくれたんだ――心結は帽子の下で、目にたまった涙を拭く。まさか自分に買い与えてくれるなんてという嬉し涙と、捨てられたわけではないと安堵した涙。
しかし安心してばかりもいられない。一度苦い経験をした心結だからこそ、複雑な気持ちが顔を出す。
捨てられたわけではなかった。
だけど、たまたま……かもしれない。
今日は捨てられなかった、と言うだけかもしれない。
――頼むから冴を治してくれ。妻の心結は、お前にくれてやる
あの日の勝吾の言葉が頭をよぎる。心結は思い出さないようにと、きつく目を瞑った。
(捨てられたくない。旦那さまにだけは、どうしても……)
また捨てられることがないよう頑張らないと。
ナギと、ずっと一緒にいるために――
心結は決心して、足を止める。隣を歩くナギがそれに気づき、長い髪が風にあおられながら、切れ長の瞳を心結へ寄こす。
「旦那さま、昨日お話したことですが……私がお店のお手伝いをすると、迷惑ですか?」
「なんだ、急に」
「旦那さまの妻になったからには、ちゃんとお勤めを果たしたいのです」
「……」
いつも目を合わせようとしない心結だが、この時ばかりはナギから目を離さなかった。真っ向から、ナギと向かい合う。
一方のナギは……僅かにだが、視線をさ迷わせた。その先で、ゴザに座る青年を見つける。ナギに続いて青年を見た心結は、「あの方は?」と首を傾げる。
「似顔絵師だ。人や動物を模写する。たまに面白可笑しく描く奴もいるがな」
「絵、ですか……」
似顔絵師は、紙の上をすべるように筆を動かしている。その光景を見て、心結はあることを思いついた。
久我家へ嫁ぐ前、心結は一通りの教養を身につけたため字が書ける。これが店の役に立たないかと考えたのだ。
「旦那さま……私が、だまり屋の広告を書いてもよろしいでしょうか?」
「広告?」
「一人でも多くのお客様に来店していただきたくて……」
「……」
だまり屋が儲かれば皇家は発展する。ナギの役に立てる。
そのために自分が出来ることは、来客の数を増やすこと。
「もちろん広告は、旦那さまに確認して頂いた後に配ります……いかがでしょうか」
ナギの役に立てるかもしれない。そう思うと嬉しくて心が弾む。しかし反対に、ナギはやや眉を下げて心結を見つめた。何かを言いたそうに口を開いている。
(だめ、なのかしら……)
ナギと同じように心結も眉を下げた、その時だった。「いいだろう」とナギの声。なんと許可がおりたのだ。
「む、無理に、ということはないので……。ダメでしたら、ダメとおっしゃってください」
さっきのナギが、何か言いたそうな素振りだっただけに引っかかる。何らかの心配ごとがあるのでは?
しかしナギは頷いた。
「広告の案を認める。好きにやってみるといい」
「ですが……」
「頼んだぞ」
まるで「期待している」と言わんばかりに、肩に手を置かれる。心結は頼られた気がして嬉しくなった。
「ありがとう、ございます」
まさか認めてもらえるとは思わなかった。期待に応えられるように頑張らなければ。
(だけど……)
やりがいを見つけ、心が浮足立つ。しかし心の奥底で、ナギの機微の変化が引っかかていた。ナギが言葉を飲んだ、あの一瞬の出来事――もしかして何か隠し事があるのでは?と。心結はこの時、初めて違和感を覚えた。




