26.ナギと二人きり
「小さい部屋なんだな」
「あ……」
頭をぶつけないよう屈んで部屋へ入ったナギは、背広を着ていた。着物とは違い体の線が出る服に、心結はどこを見ればいいか分からなくなる。
目を泳がせていると、「志乃婦は?」と落ち着いた声が降ってきた。
「器具が壊れてしまい……別の物を、取りに行かれました」
「そうか。志乃婦の持っている物が壊れかけていたからと、店の者から預かって来たのだが」
どうやら行き違いらしい。しかし聞くところによれば測定器具はまだ予備があるらしく、それを持って志乃婦もすぐ戻ってくるだろう、とナギ。
「器具を持って来るということは、まだ測り終えていないのか?」
「も、申し訳ありません。あと左足だけなのですが……」
「いや、謝らなくていいが」
空色の瞳が、訝しげに心結を見る。
「疲れたか?」
「え」
「元気がないように見える」
ふっ、と笑みをこぼすナギを見て、心結も肩の力が抜ける。「少しだけ」と、本音を漏らした。
「他人に体を触らせるのは緊張するからな。仕方ないといえばそうだが」
「大丈夫です。きっと私よりも、志乃婦さんの方がお疲れだと思うので……」
「志乃婦は仕事をすればするほど元気になる奴だから、気にするな」
「え」
そうなんだ。どうりで測定が終わる度に、声が大きくなっていたような――思い出すとおかしくて、心結も「ふふ」と笑みをこぼす。
するとナギが、椅子に座る心結の前で、片膝をついた。
「俺が測る」
「え?」
「あとは左足だけなんだろう? さっき俺も測ってもらったから、やり方は分かる」
「え、っと……」
そう言う問題では、ないのだけど……とは言えなくて。しかし夫からの要求を無下に断るわけにもいかず。心結は「お願いします」と、さっき着物の中へ締まった足を再び露わにした。
「……白いな」
「も、申し訳ありません」
「違う。責めているわけじゃない――触るぞ」
思ったよりも冷たいナギの手に驚きながら、恥を忍んで測定してもらう。
どうやらナギは、測定した数値を各部位ごとに記憶しているらしい。特に手を止めることなく「次」と、淡々と進めていく。
「志乃婦はとことんこだわる奴だから〝ドレスだけでなく靴も用意したい!〟と言い出した」
「それで、足の測定を……」
「全て揃えてくれるならありがたいと思ったが……負担をかけたな」
「とんでも、ございません」
むしろ夫、しかも当主に片膝をついてもらうなんて、罰当たりもいいところだ。
心結は早く終わりますようにと願いながら……しかしナギの髪の生え際など見る機会もないから、もう少しこのままで、とも思ってしまう。
(本当に、きれいなお方……)
長すぎるまつ毛が、目に影を落としている。そうかと言って空色の瞳が曇るわけではなく、いつもと同じよう輝きを放っている。
加えて背広姿だからこそ分かる、体型の良さ。特に足の長さが際立っていて、俳優と見間違うほどだ。
「これで終わりだな」
「あ、ありがとうございます」
測定が終わると同時に、ナギは心結の着物を直す。今まで風にあたっていた足が、元の温もりに包まれた。その瞬間、心結は今日一番であろう緊張の糸を解く。
「緊張したか?」
「えっと……」
正直に言おうか迷っていると、その仕草だけで心結が何を言いたいか分かったらしい。ナギは首をひねる。
「他人に触られると緊張するなら、夫である俺がやればいいと思ったのだが……違ったようだな」
「!」
そういう考えがあったのか、と心結の溜飲が下がる。いきなり何を言うのかと驚いたが、蓋を開けてみれば、全て自分のためだったなんて……。
しかもナギの言い方だと、もう心結を「他人」ではなく「家族」と思ってくれているようだ。夫婦であると、胸を張っていいのだろうか。心結の心が、静かに大きく跳ねる。
「緊張は、しました」
「……そうか」
「だけど、楽しい、時間でした」
「ふ、そうか」
ふわりと笑うナギを見て、心結は内側からこみあげる何かを覚える。それが胸の高鳴りだと、数秒遅れて理解した。こうしてナギと二人でいる時間が、たまらなく愛おしく思えるのだ。
(私……なりたいと思っている。旦那さまの隣に並ぶ、お姫様に)
熱のこもった手を、もう片方の自分の手で握る。ナギは「どうした」と不思議そうにしたが、扉の向こうから迫る音へ耳を傾けた。




