19.ナギに立ちはだかる大男
ナギからもらった薬のおかげで、翌日、心結は全回復した。
しかし、ゆっくりしている暇はない。起きてすぐに使用人に囲まれたかと思えば、いつの間にかお出かけ用の着物を身にまとっていた。初めて見る朱色の着物。これは一体、誰から?
「白い肌の心結さまにピッタリ! さすがはナギ様ですね」
「これを……ナギ様が、私に?」
心結はほんの、ほんの少しだけ「もしかしたら旦那さまから?」と思っていた。なぜなら生地が、普通の物とは段違いだからだ。腕を通した瞬間に分かる。この上等な生地、こんな高い着物を買える人は、旦那さましかいない、と。その考えが、使用人により正解だと知る。すると心結は、嬉しいよりも、一気に申し訳ない気持ちになった。自分では着こなせないからだ。
(もっと素敵な女性が着たら、きっと着物も旦那さまも喜ぶのに……)
だけど、この着物を他の女性が着る――そう思うと、針に刺されたように心が傷んだ。まるで、ナギからもらった着物を触らないで、とでも思っているようだ。心結は冷静になろうと深呼吸する。何て浅ましい感情を持っているのだろう。自分が恥ずかしい。
(こんな気持ちは、ただのわがままだわ……似合わないのは、本当のことだし……)
やっぱり自分には身分不相応な着物だと分かれば、自然と落ち着いてきた。
しかし着物を着た心結を見つめる、使用人たちの目。羨望の眼差しを向けられているとは知らず、心結は委縮する。しかし返ってきたのは感嘆の息だった。そこから『心結を褒める会』でも発端したように、息つく間もなく褒められ続ける。
「うっとりするくらいキレイです……!」
こんなのは序の口で、「世界一美しい」と言われた時は、さすがの心結も声が出た。しかし使用人たちの興奮は冷めやらぬようで、勇み足で部屋を飛び出す。
「今から写真屋を呼びましょう! ね、ね⁉」
「まずはナギ様へお見せしなければ!」
「そして二人で記念写真ですね!」
「え、あの……っ」
戸惑いを隠せないまま、使用人に手を引かれる。昨日と同じように、日差しのおかげで廊下が温もっていた。足袋から伝わる温度が、心結の動揺を沈めていく。
使用人たちが自分を見てうっとりした時はどうしようかと思ったが、今までそのような言葉をかけてもらったことがない心結にとって、彼女たちの言葉は嬉しいものだった。まるで心に松明が置かれたかのように、何もなかった世界が色づいて行く。
(ここは、私にはもったいないくらい居心地がいい……)
ナギだけでなく、響丸もヒスイも、そして使用人たちも優しく接してくれる。心結へ「ここにいていい」と、表情と声で教えてくれている。それがたまらなく、嬉しい。
この嬉しさがあったから、勝吾の結婚を聞いても動じなかったのかもしれない。前は、自分の居場所は久我家だけだと思っていた。だから従順にしていた。ここが自分の生きる場所なのだと、そう思っていたから。
(だけど私は、生きる場所を見つけた……もし皇家がそうであるなら、嬉しい)
皇家の温かな人たちに囲まれていると、自然と前を向ける。久我家に虐げられる度に捨てていた心が、少しずつ戻っているようだ。
心結は、自分のためにナギが買ってくれた着物を見つめる。着物と同じ朱色が、自分の頬を染めたことにも気付かずに。
しかし突如として、断末魔に似た叫び声が聞こえる。店の中からだ。
「やめ、やめろ……!」
「この声、旦那さま?」
聞いたことのない緊迫した声に、心結はすぐさま反応する。駆け足で廊下を渡り、店へ入った。するとナギの前で仁王立ちする男の姿――怖気づく心結だが、男の前で座り込むナギを見つけると急いで駆け寄った。
「旦那さまっ!」
心結の声を聞き、振り向くナギ。その顔に、以前のような前髪はなく……
「旦那さま、ですか?」
「………………あぁ」
心結が確認したのも無理はない。なぜなら、ナギの姿が驚くほど変わっていたからだ。
空色の瞳が、二つそろって心結へ向いている。前髪はきれいに整えられ、ナギの顔がハッキリと見える。切れ長の瞳、通った鼻筋、薄い唇。やや猫毛だった長い髪は真っすぐ矯正され、光に当たると眩しいくらい艶めいていた。




