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14.驚愕の井戸風呂

 どうにも最近は体の調子が芳しくない。


 まだ空が暗い早朝だが、既にナギは目を覚ましていた。布団から体を起こすと、肩に何かが乗っている感覚がある。


「……響丸」


 早朝と言えど、使用人たちは起きて主人のために朝ごはんの準備をしている。当然起きていた響丸は、間髪入れずに、襖越しに返事をした。


「おはようございます、ナギ様。いかがされましたか?」

「ヒスイを呼べ」

「お体、よくないのですね?」

「……直に治る」


 ナギの声色が低くなる。これ以上の詮索は不要、という合図だ。もう長い付き合いの響丸は「かしこまりました。朝の内にお呼びします」と一礼して去る……と思ったら「ナギ様!」と混乱した様子で帰って来た。襖の扉を、勢いよく開けながら。


「心結さまがおられません! お布団がもぬけの殻です!」

「な……」


 確かに目は治療したが、あの風邪の症状だと長引くはず。その予想は綺麗に打ち砕かれ、ナギは羽織を肩にかけて部屋を出る。


「昨日の夜は、ちゃんとお休みになられていたのですが」

「……おい」


 ナギは、中庭に出来た足跡を見つける。この大きさは心結だと、すぐに分かった。


「この先にいるだろう、後は頼んだ」

「ご冗談を! もしも倒れて居たらどうするのですか。わたし一人ではお運びできません」

「……はぁ」


 下駄を履き、二人で中庭を歩く。足跡は、中庭から屋敷の外へ続いている。


「逃亡したか」

「まさか! 心結さまはそういうことをされるお方ではないと、ナギ様もお分かりになるはず!」

「知らん」


 昨日から離婚、再婚、病気と、災難続きに遭っている心結だ。逃げたいと思うのはおかしいことではない。問題は、どこへ逃げるか、だ。今の心結に帰る場所はどこにもない。久我家も花本家も、心結にとっては針の筵だ。


 すると二人の足音の他に、何か別の音が聞こえ始める。


「水?」


 ナギの鼓膜が揺れる。さほど遠くない場所で、不定期に水がはねる音が聞こえた。この近くに川や滝はない。あるのは小さな井戸だけ。


「あ、心結さま!」


 響丸が声を上げる。その先を見ると、心結の姿があった。衣を一切まとわない格好で、井戸水を浴びている。


「ひゃっ!」

「響丸、目をつむれ」

「わ、ナギ様⁉」


 まさか裸を見られるとは思っていなかったのか、心結は急いで袖を体にまとった。咄嗟の判断でナギは背を向け、響丸の目を手で覆う。誰も何も見ていないと、そう信じながら。


「そこで……何をしている」

「す、すみません。お風呂を、と思い……」

「風呂?」


 風呂場に行くなら分かるが――と思ったところで、昨日の心結を思い出す。勝吾と冴から虐げられていた心結だ。当然、家でも同じ扱いだったろう。


「風呂に入れてもらえなかったのか」

「いえ! あの……」

「……もういい」


 言いたくないのなら聞かない。そもそも思い出させる話ではない。見えない傷をえぐるだけだ。


 浅い息を吐いたナギは、既に肌を隠した心結へ近寄る。そして流れるような動きで、いともたやすく濡れた心結を抱き上げた。


「ひゃっ」

「恥ずかしいなら目をつむっていろ。風呂場へ連れて行く」

「で、でも私は……」

「風呂に入れない理由でもあるのか?」

「それは、ありませんが……」


 義母から「一緒の風呂に入るな」ときつく叱られた時から、心結は自分のことをどこか汚いと思っていた、だから皇家のお風呂も、当然使えるわけがない――そんな心結の気持ちを知らないナギ。しかし彼女が怯えていることだけは分かった。「やっぱり私」と腕の中でもがく心結を、叱るように一瞥する。


「言ってなかったが、ここにはクマが出る。人喰いクマだ」

「っ!」

「引き返せというなら……」

「こ、このままで!」

「よかろう」


 心結の答えに満足したのか、ナギはニッと口角を上げる。前髪が長くてやはり顔は見えないが、時おり吹く春風が、たまにナギの瞳を露わにさせる。景色を切り取ったような鮮やかな空色が、諦めたのか大人しくなった心結を映した。

 

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