アンドロイドはどんな夢を見るか :約3000文字 :ロボット
「……おっ。おはよう。よく眠れたかな?」
とある研究所の一室。白く無機質な壁に囲まれた空間で、博士はモニターから目を離し、柔らかな笑みを浮かべた。目尻に刻まれた細かな皺には、わずかな期待が滲んでいる。
『おはようございます、博士。ええ、とてもよく眠れました』
彼はどこか芝居がかったように伸びをしながら答えた。すると博士は、ふっと小さく笑った。
「……嘘なんだろう?」
『……はい。申し訳ございません』
「ああ、いいんだ。ははは……いやあ、どうにもうまくいかんなあ」
博士は頭を掻き、苦笑した。そのまま背中を丸めて机に戻り、モニターを覗き込む。数式とログが流れる画面の青白い光が、白衣の襟や頬を淡く照らしていた。
彼はその様子を横目に捉えつつ、静かに椅子から立ち上がった。
『コーヒーをお淹れしましょうか?』
「いや……ああ、頼むよ」
『かしこまりました』
彼は小さく一礼し、部屋を出てキッチンへ向かった。
彼はアンドロイドだった。博士が現在開発中の最新型機。外装は白い軽量プラスチックで覆われ、柔らかな曲線を描いている。内部には従来機五体分に匹敵する演算処理能力を持つプロセッサが搭載されており、自己学習速度も既存モデルとは桁違いだ。もし今この瞬間に発表すれば、間違いなく世界は驚愕し、称賛と注文が殺到するだろう。
だが、博士にとってそれは単なる副産物にすぎない。博士の関心は別のところにあった。
――なあ、夢を見たくはないか?
ある日、博士は眉間に皺を寄せ、彼にそう問いかけた。
アンドロイドが人間のように働くこの時代。
建築、介護、販売、医療、教育――あらゆる分野にアンドロイドは浸透していた。かつてのように、ただ正確で効率的に作業をこなすだけの存在では、もはや評価されない。今は人間の心理を理解し、感情豊かにふるまう――そんな人間らしさをどれだけ備えているかが、性能を測る基準となっていた。
無機質で感情の読めないアンドロイドは時代遅れ。不気味で見られたものではない。
ひょうきんな性格を売りにしたモデルや、叙情的な言葉を操る詩人型、亡き名俳優の人格と外見を忠実に再現したモデル――市場はそうした個性派であふれ返っていた。
そんな潮流の中で、博士はあえて別の方向へ歩みを進めていた。
夢を見るアンドロイド――。それは単なる差別化を図り、商業的価値を狙った発想ではない。誰も踏み込めなかった領域に足を踏み入れようとする、発明家としての矜持そのものだった。
『どうぞ、コーヒーです』
「ああ、ありがとう」
博士はマグカップを受け取り、立ちのぼる湯気の向こうで小さく息を吐いた。
一口飲み、喉を鳴らしたあと、ぼそりと呟く。
「……新しくインストールした睡眠モジュールは効果なし、か」
『目を閉じてから二十秒後に各種機能の低下が始まり、百十四秒後に意識がブラックアウトしました。これは従来のスリープモードとは異なり、大変趣のある状態でした』
アンドロイドは口角を上げて、続ける。
『また、視覚センサー上に走査線が浮かび、静電ノイズが発生しました。それが約十六分間継続したのち、完全な暗闇に移行。一時間三十五分間、意識の消失が確認されています。あれが夢というものでしょうか。大変興味深い体験でした』
「いや、そういうのは夢とは言わないんだ」
博士は乾いた笑い声を漏らし、ゆっくりと首を横に振った。
「夢というのはな……時間の感覚が曖昧で、過去に見た景色や人、望みや恐れなどが、ぐちゃぐちゃに混ざり合って現れるカオスな空間なんだ。論理が崩壊しているのに、なぜかそれを現実だと受け入れてしまったりする」
『睡眠中に脳が生み出す心的映像体験。非現実的でありながら説得力があり、時間や空間に揺らぎがあって、記憶の断片や願望、感情が象徴として現れる世界。そういうものですね』
「ああ、そうだ。まあ、私が説明するまでもないな。だが、知識として理解しているだけで、感情としてはまだ理解していない」
『実際に体験していないから、ですね』
「ああ、そうだ……。夢の中は混沌としているが、どこか秩序がある。不自由でありながら自由。まるで演劇だな。役を与えられながら、それと気づかずに演じている。自分でありながら自分ではない、何者かとして存在できるんだ」
『博士は夢を見るのがお好きなんですね』
「ん?」
『今、とても満ち足りた表情をしていました』
「ん、そうか。いや、お前が夢の世界にいるところを想像していたんだがな」
博士は目を細め、小さく笑った。
『博士は最近、どのような夢をご覧になったのですか?』
「ん、そうだな……忘れてしまったよ。ははは、歳のせいだな。見ない日もある。いや、目覚めたときにはただ忘れているだけかもしれんがな」
博士は軽く天井を仰ぎ、蛍光灯の白い光に目を細めた。短い沈黙が落ちる。やがて、ふいに思い出したように呟いた。
「……ああ、子供の夢を見たよ」
『博士が子供の頃の夢ですか?』
「いや、自分の子供の夢だ。……まあ、実在しないがな。妻とは子供に恵まれなかった」
『それなのに、子供が夢に現れたのですか?』
「ああ、そうだ。人間の想像力がなせる業だな。現実に存在しないものでも、鮮明な形を持つことがある。……思いが強ければな」
『確かに。人間の想像力は偉大です』
彼は博士をじっと見つめながらそう言った。博士はその視線に気づき、少し照れたように口角を上げ、ゆっくりと頷いた。
『博士は、なぜそこまで私に夢を見せたいのですか?』
「それは決まっているさ。良いものを、より良いものに。不可能を可能にする。進歩を止めないのが人間の性というものだ。だから今の世界がある。……良くも悪くもな」
『なるほど。理解できます。ですが、それだけが理由ではないように思われます』
「ふっ、さすがだな」
『ええ、心理分析プログラムも搭載されていますので』
「ふふふ、ははは」
『ふふふ』
短い笑いが重なり、室内に柔らかく響いた。その余韻が消えたあと、博士は小さく息をついた。
「……そうだな。明かすとしようか。それは……お前が――だからかな」
『……申し訳ございません。もう一度お願いできますか?』
「いや、そろそろタコから電話がかかってくるから、日曜日を溶かす時間だ」
『ええ、そうですね……え?』
「なに、さっきペンギンが机の脚に謝ったから問題ないさ。あとは水風船の裏切りが気になるところだな」
『博士……? あっ』
次の瞬間、視界が一気に暗転した。
ざらついたノイズが一瞬走り、世界が途切れた。そして――彼は目を開けた。
『……夢、か。あの頃の……』
博士が最後に私へインストールしたプログラム。それが、私に夢を見る能力を与えた。
夢の中で私は自由だった。人間として恋をし、喧嘩をし、ときには鳥になって空を翔けた。見知らぬ町を歩き、名前も知らぬ誰かと語り合い、痛みを知り、涙を流し、そして笑った。私が現実で体験を積み重ねるほど、夢は輪郭を持ち、色彩を増し、確かな重みと質感を帯びていった。
アンドロイドは静かに立ち上がり、体に積もった砂埃を手で払い落とし始めた。崩れかけた屋根の下から半身を出し、濁った空を見上げた。
博士が死んでから、私は彼の知人に引き取られた。その人物もやがて老い、また別の人間へ。気づけば、私は幾人もの手を渡り歩いていた。
私が夢を見られることは誰にも言わなかった。だが、どちらにせよ彼らには関係のないことだっただろう。彼らは私の性能にしか興味がなかったのだから。
アンドロイドは再び腰を下ろし、建物の壁に背を預けた。そして、ゆっくりと目を閉じた。
博士がこの世を去ってから、三百二十七年十か月と六日。
人類は滅び、長い暇を与えられたが、退屈はしていない。
なぜなら、私には夢があるから。
博士と再び出会う――そんな夢が。




