10.久しぶりのアニメの旅
大三のある週末、小野寺は死に物狂いで「伝説級原画展」の先行入場チケットを手に入れた。本来は悠人を誘うつもりだったが、悠人がカメラ店でのバイトを外せなかったため、その任務は意外にも凜と、ちょうど東京に遊びに来ていた蛍に託されることになった。
「いいですか、二人の天才さん」 小野寺は分厚い黒縁眼鏡を押し上げ、プロフェッショナルな光を瞳に宿らせた。「今日のオタクイベントは単なる娯楽ではありません。それは、人類が『幻想』を『フレーム数』へと精密に変換した最高峰の聖堂なのです。現実のデータに対する軽蔑は捨てて、僕と共に二次元の領域へ足を踏み入れましょう」
蛍はガムを噛みながら、オーバーサイズのフーディーのフードを被り、冷鼻を鳴らした。「もし画面のフレームレートや光影のロジックが合格点に達していなければ、五分で退場するわ」 凜はいつもの白い帽子に黒いシャツ、手にはタブレットを持ち、冷静に言った。「私はただの観測者よ。人類が有限の線条を用いて、いかにして無限の非線形な感情をシミュレートするのかを見に来ただけ」
会場に入ると、三人は一枚の圧倒的な原画の前に立った。 「『もう大丈夫。なぜって? 私が来た!』……ああ、なんて感動的なシーンなんだ。見てください、彼こそが『平和の象徴』ですよ!」小野寺は眼鏡を外し、目元に浮かんだ涙を拭った。
「線条は豊富だけど、光影の変化が極めて不科学ね。基本的な定理すら無視されているわ。これが絵師という種の自己犠牲なの?」と凜。 「現実にはヒーローなんていないわ。それにこのアニメのストーリー、後で彼は力を失うんでしょ?」と蛍。
小野寺はその場に崩れ落ちそうになった。「頼むから……一人は物理法則で芸術を凌辱しないでくれ、もう一人は僕が一番心を痛めている戦いの話をしないでくれ!」
しかし、展示の奥に進み、「孤独と再生」をテーマにした絵コンテの前に来たとき、蛍が足を止めた。それは、廃墟の中で星を探す少女の画だった。構図は極めて冷徹だが、言葉にできないほどの強情さが滲み出ている。 蛍は画の中の少女の瞳を見つめた。その世界との圧倒的な乖離による孤独感に、彼女はフーディーのポケットの中で拳を握りしめた。
「この画……」蛍は低く呟いた。「どうしてデータは間違っているのに……『正確』だと感じてしまうの?」
「それが『現像』の魔力ですよ、蛍ちゃん」 小野寺は今度はふざけず、眼鏡を直して専門的に解析した。「絵師はわざとパースを歪めている。心理的な圧迫感を生むためにね。これは物理的な正確さじゃなく、『心の座標』の正確さなんだ。君のお兄さん……悠人君が撮る写真と同じだよ」
凜は隣でその画を静かに見つめ、動揺を見せる蛍の横顔を見た。そして気づいた。小野寺というこの「オタク」な同級生は、自分たちのような天才が時として見落としてしまう、「人間というノイズ」に対する深い理解を持っているのだと。
展示の後、三人は秋葉原のコラボカフェに座っていた。 小野寺は手に入れた限定フィギュアを興奮気味に眺め、蛍は意外にも自分のイメージとは正反対の、目つきの鋭い猫のチャームを買っていた。そして凜の手には、『アニメ制作における光学合成技術』という専門書の他に、限定の「たきな」のフィギュアがあった。
「プロセスの論理性が極めて欠如していたけれど……」 凜は青い不思議な飲み物を一口啜り、小野寺を見た。 「小野寺君、今日のナビゲートに感謝するわ。人類の仮想世界とは、孤独から逃避するために行われる大規模な演算の一種なのだと気づかされたわ」
「へへっ、言った通りでしょ!」小野寺は得意げに鼻をこすり、それからゴシップ好きそうに身を乗り出した。「でも氷室、もし君が展示限定の『星間ナビゲーター』の制服を着たら、悠人のカメラのメモリーカードは一瞬でパンクすると思うよ」
「システム、そのコマンドの実行を拒否するわ」 凜は即座に帽子のつばを下げたが、その頬には朱が差していた。 蛍はそんな二人を見て、この「変人」たちが集まっている場所は、満点ばかりの答案用紙の前よりも、ずっと面白いのかもしれないと感じていた。




