9.動力とは何か?
模試の結果は、今回も文句なしの満点だった。しかし、蛍は少しも嬉しくなかった。 彼女が五分で解き終える問題を、クラスメイトは二時間かけて解く。彼女の目に映る世界は動的な方程式に満ちているが、クラスメイトの世界は「大学受験」という一点しかない。 この「周囲との圧倒的な乖離」による疎外感は、試験前の張り詰めた空気の中で無限に増幅されていた。自分は人間社会に紛れ込んだ「異端のプロセッサ」なのではないか――。
「どんなに正確に計算しても、最後はただの合格通知書になるだけ……なら、私のこの才能には一体どんな意味があるの?」
気づけば、彼女は凜の寮へ向かう電車に乗っていた。ロボットよりも精密で、決してミスをしない凜お姉様なら、この混乱した思考を有意義なデータへと整理してくれるはずだ。
「凜お姉様……もう嫌だよ……自分が何をしてるのか分かんないの」 鍵の掛かっていないドアを押し開け、明かりも点いていない部屋のソファに座る影に、蛍はそのまま飛び込んだ。その胸に顔を埋め、声を上げて泣いた。
しかし、抱きしめられた感覚が違った。 凜のような、紙の匂いと冷たいコンピュータの気配ではない。もっと温かくて成熟した、午後の日差しを浴びたような柔らかい香りがした。そして――意識が朦朧とする中で感じたが、この人の胸は、凜お姉様よりもずっと豊かだった。
蛍はハッとして顔を上げた。涙で潤んだ視線の先にあったのは、全く見知らぬ女性の顔だった。短髪が似合い、知性的で深みのある瞳。それは沙也加だった。
「あ……ごめんなさい! 部屋、間違えました!」 蛍は電気ショックを受けたように飛び起き、顔を真っ赤にした。 「待ちわびていたわよ、お嬢さん」 沙也加は落ち着いた、優雅な口調で言った。「氷室の従妹(自称)さんよね? その頑固そうな目は、あいつとそっくり。今ここで逃げ出したら、心理学のデータ上、気分が回復する確率は0%よ」
沙也加は蛍の手を引き、熱いココアを差し出した。 「この問題の意義を計算する前に、自分の心拍数を計算してみなさい、天才さん。今のあなたのデータはめちゃくちゃよ。あなたの嫌いな『低効率』そのものじゃない」
沙也加は蛍を優しく抱きしめた。彼女はこの少女の中に、かつての自分を見ていた。彼女たちは凜のようにデータの海に永遠に浸っていられる人間ではない。目標があって初めて駆動するプログラムなのだ。 「今、この紙切れに意味がないと感じるのは、あなたがその才能で守りたい人や、目指すべき場所をまだ見つけていないからよ」
蛍は沙也加の腕の中で、静かに感情を消化していった。卒業して咲良たちとの連絡が減っても、凜の周りにはいつもこうして温かい人たちが集まってくる。沙也加、悠人……彼らが、凜という冷たい機械を動かし続ける「燃料」なのだ。
凜が教科書を抱えて帰宅したとき、ソファでむすっとしている蛍と、上機嫌でT大の変人エピソードを語る沙也加の姿があった。 「蛍?」凜は異変を察した。「……大丈夫なの?」
「……凜お姉様、昔、孤独だった?」蛍が低い声で尋ねた。 凜は少し沈黙し、隣にいる沙也加を見てから、蛍の頭をそっと撫でた。語調は平坦だが、そこにはかつてない温もりがあった。
「昔はね。でも気づいたの。どれだけ計算が速くても、ゴールで待ってくれている人がいるなら、その演算の過程は孤独じゃなくて『路』になるんだって」
凜はポケットからチョコレートを取り出し、蛍に手渡した。 「いい、天才さん。頭を回しすぎて疲れたなら、一時間だけシャットダウンしなさい。今日は物理の話は抜き。晩ご飯に何を食べるかだけを議論しましょう」




