44.葉山家卒業式
三月十六日、卒業式当日。 早朝六時の陽光が葉山家のカーテンの隙間から差し込み、CCの真っ白な帽子を照らしていた。彼女はベッドの端に座り、最後にもう一度、狭くも温かかったこの寝室を見渡した。今日が終われば氷室家のリフォームは完了し、彼女は「再生した家」へと戻る。そして、ここに寄宿していた従姉妹の蛍とも、別れの時が来ていた。
リビングの朝食の匂いは、いつもと少し違い、淡い儀式のような空気を纏っていた。 「よし、学校へ行く前に、私たちだけの『葉山家卒業式』を開催しちゃいましょう!」 咲良は目元を赤くしながらも、無理に笑顔を作って、色紙で作った「卒業証書」を悠人、CC、そして蛍に手渡した。
「卒業生第一号、葉山悠人。事由:三人の女子の板挟みに耐え、生存に成功したこと!」 「第二号、お姉様こと凛(CC)。事由:笑顔を学び、再生を手に入れたこと!」 「第三号、私、佐々木咲良……」 咲良の声が震えた。「最後は、私たちの最強プラグイン、蛍ちゃん。事由:従姉妹でありながら教官のように、この家の安寧を守り抜いたこと」
蛍はその色紙を受け取った。ヘッドホンを首にかけ、少しぎこちない動作でCCを見つめる。その瞳には、いつもの冷淡さを上書きするような名残惜しさが宿っていた。 「凛お姉様」蛍はポケットから特製の暗号化USBメモリを取り出した。「律が残したコードの残影を消去する『浄化プログラム』のバックアップよ。もし不安になったら実行して。それが私の代わりに……ノイズを遮断してくれるから」
「蛍……ありがとう」 CCは鼻の奥がツンとし、白い帽子を深く被り直して、自分より頭一つ分低い従姉妹をそっと抱きしめた。似た血が流れ、同じデータの世界で育った二人は、この瞬間、ようやくスクリーン越しではない対話を果たした。 「心配性すぎるのは脳に良くないわよ。悠人お兄様、あなたは私のテストをすべてパスした唯一の人。相変わらず抜けてるけど、お姉様を任せたわ」 「了解した。この期間、本当にありがとう、蛍」 悠人は蛍と握手を交わし、初めて会った時のような優しい微笑みを浮かべた。
「咲良……あなたは、もう言うことはないわ」 蛍が本当に背を向けて去ろうとするのを見て、咲良は呆然と立ち尽くしていた。しかし、蛍は堪えきれずに小さく笑った。 「冗談よ。咲良、私を散々おもちゃにしてくれたけど、お世話になったことには感謝してる。……じゃあね」 咲良が最後まで聞き終える前に、我慢の限界が来た。彼女は蛍を力いっぱい抱きしめ、涙でぐちゃぐちゃの顔を、蛍の冷たくも微笑んでいる頬に擦りつけた。
スーツケースを手に取り、蛍は不器用そうにCCの背中を叩いた。 「……もし悠人お兄様がひどいことをしたら、すぐに信号を送って。スマホをハッキングして、毎日午前四時にアラームが鳴るようにしてあげるから」 外で迎えの車のクラクションが鳴った。 「行くわね」 蛍はドアを開け、最後にもう一度、自分たち三人の運命を変えた小さなアパートを振り返った。 「この期間の『同居実験』……フィードバック・データは『満点』よ」
蛍が車で去るのを見送り、咲良はついに声を上げて泣き出した。悠人とCCは肩を並べて立ち、頼もしくて少しひねくれた小さな従姉妹が視界から消えるのをいつまでも見つめていた。 「行こう」悠人がCCの手を取った。「次は、僕たちの卒業式を完成させに」
校内に入ると、そこは淡いピンクの桜と黒い詰め襟の学生服で溢れていた。 「おおーい! 葉山、氷室! こっちだ!」 健太が遠くから走ってきた。今日は珍しく運動着ではなく、規律正しくネクタイを締めているが、スニーカーだけはどうしても場違いに見えた。彼は二人の前で足を止め、ニカッと笑った。 「氷室、今日のその白い帽子と卒業証書の組み合わせ、マジで『聖光級』だな! 一枚熱血なやつを頼むぜ。大学の寮の壁に魔除けとして貼るからよ!」 「了解したわ」 CCは悠人からもらった新しいカメラを構えた。
「カシャッ」
レンズの中には、拳を突き出し、太陽のように笑う健太がいた。 「健太、動線を塞ぐなと言っているだろう」 佐藤が厚い眼鏡を押し上げた。手には相変わらず学級日誌を抱えている。彼はCCの前まで歩み寄り、不器用ながらも誠実な口調で言った。 「氷室さん。ノートはもう必要ないけれど……大学に行っても、その正確な笑顔を忘れないで。資料整理が必要になったら、いつでも連絡してくれ」 「ありがとう、佐藤委員長」 CCは再びシャッターを切り、平凡な人間だけが持つ「確かな日常」を記録した。
講堂へ続く廊下では、小野寺が一眼レフを首にかけ、プロの顔つきで零司と議論していた。CCを見ると、彼はカメラマンとアニメオタクを融合させたような絶妙な笑みを浮かべた。 「おやおや……桜の下での白い帽子の反射率は、まさに120%の完璧さだね」 小野寺は黒縁眼鏡を押し上げた。 「氷室、君はもうデータの裏に隠れる『背景キャラ』じゃない。この青春の大団円における『唯一の主人公』だ」 彼はCCに一枚のメモリーカードを差し出した。 「ここ二週間、僕が撮り溜めた君と悠人の『非観測対象インタラクション』だ。僕からの卒業祝いだよ――写真集《私と守護者のささやかな日常》だ」 「小野寺、ありがとう」 CCはそれを厳かに受け取った。どんなデータよりも価値のある贈り物だった。
「悠人」講堂に入る直前、CCは悠人の袖を引いた。 「ん?」 「今日が終われば、私たちはもうこの学校の生徒ではなくなるわ。でも、私の手にあるこのカメラは、ずっとあなたにピントを合わせ続けるから」
悠人は笑い、CCの真っ白な帽子をそっと直してあげた。それは彼が贈った「再生」であり、彼からの「約束」だった。 「……行こう。新しい生活の、最初の一枚を撮りに」
二人の影は、舞い散る桜の中を、輝かしい光の射す講堂へと進んでいった。




