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変数の出現

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23/67

23.一メートルの契約

水曜日の午後、廊下の掲示板の前は黒山の人だかりができていた。 青藤高校において、毎月の模試の順位発表は、公開処刑にも等しい残酷なイベントだ。空気には濃密な焦燥感が漂い、生徒たちは白いリストの中に自分の座標を探していた。


「……ちっ、またか。まるで越えられない壁だな」 人混みから無力な溜息が漏れる。リストの最上段には、あの名前が相変わらず孤高に君臨していた。


【学年第一位:氷室 凜(3-1)】


全科目ほぼ満分。小数点以下二桁まで正確に刻まれた、圧倒的な実力だ。そのすぐ下には、着実に順位を守る委員長の名前があった。


【クラス二位:佐藤 誠】

【クラス三位:御堂 零司】

(※バスケ部のデータアナリストとして遠征中)

【クラス四位:小野寺 拓海】


「嘘だろ?」理系クラスの男子が目をこすり、驚きで声を荒らげた。「四六時中カメラを振り回して、冬休みも田舎で遊び呆けてた小野寺が三位? 入賞したのかよ?」


人混みの後ろで小野寺が格好つけて髪をかき上げた。目の下には徹夜明けのクマがあるが、得意げな笑みは隠せていない。 「いやぁ、大磯浜で『ある人』のために光学パスの計算を手伝ってたら、埃をかぶってた俺の脳内CPUが強制再起動されちゃってね」 小野寺は隣に立つ悠人の肩を叩き、冗談めかして言った。「悠人、今回の『奇跡』の代償は、ちょっと高くついたみたいだな」


悠人の視線はリストの中段、自分の名前へと落ちた。


【クラス十七位:葉山 悠人】


普通の学校なら十分な成績だが、青藤高校1組において、これは入学以来最低の順位だった。


「ほら、言った通りだ」 先ほどの理系男子が眼鏡を押し上げ、わざと大きな声で悠人を軽蔑するように見た。 「優しさなんて飯の種にはならないんだよ。冬休みに色恋沙汰にうつつを抜かして、脳みそまで原始人に退化したんじゃないか? これが噂の『恋愛脳』による知能低下ってやつか?」


周囲から刺すような冷笑が漏れる。彼らの目には、悠人は「氷山の天才」に惹かれながらも、能力不足で脱落していく滑稽な存在に映っていた。


「誰が退化したって?」小野寺が眉をひそめ、詰め寄ろうとした瞬間、背後から凍てつくような冷気が廊下を席巻した。


騒がしかった廊下が瞬時に静まり返り、生徒たちが反射的に道を開けた。 CCが片手をポケットに入れ、もう片方の手で厚い物理の講義資料を抱えて歩いてきた。掲示板には目もくれず、順位など興味がないと言わんばかりに、まっすぐ悠人の前までやってきた。


彼女は顔を上げ、その冷たい双眸を落胆した悠人の顔に0.7秒間だけ留めると、ゆっくりと彼の成績表へと視線を移した。


「数学82点、物理78点、英語91点」 CCは判決文を読み上げるような口調で成績を口にした。氷の粒がグラスに落ちるような冷ややかな声だった。 「悠人。脳のエネルギー分配法則に基づけば、あなたの皮質における演算熱量は、冬休み期間中すべて『感情処理』に浪費されたようね。極めて不合格なデータ報告書だわ」


悠人は苦笑いし、申し訳なさそうに頭をかいた。「ごめんよCC。どうやら僕の『奇跡』のせいで、一時的に知能のブレーカーが落ちたみたいだ」


それを見た理系男子が、さらに勝ち誇ったように言った。 「氷室さん、分かったでしょう? この程度の個体は、君の進歩を遅らせるだけだ。青藤高校ではデータこそが絶対であり、こんな凡庸な男は――」


「うるさいわ」


CCが突然顔を向け、その視線はレーザー光線のように理系男子をその場に縫い付けた。 彼女は再び悠人に向き直ると、口調は硬いままだが、拒絶を許さない覇気を纏って告げた。 「天文部に来なさい」


小野寺は二人の背中を見送りながら、顔面蒼白の理系男子に向かって口笛を吹いた。「おっと、一位様はお前になんてこれっぽっちも興味がないみたいだな。佐藤、俺たちも行くか?」 佐藤委員長は眼鏡を押し上げ、周囲を一瞥すると、小野寺の後に続いた。


午後の陽光が埃の舞う窓を通り抜け、乱雑な星図や古い望遠鏡を照らしていた。ここは今、校内で最も静かで、そして悠人にとって最も「危険」な場所だった。


CCは厚い講義資料を「ドンッ」と円卓に叩きつけ、椅子を引いて鮮やかに座った。入り口で立ち尽くす悠人に手招きし、その冷静な瞳は射抜くような鋭さを秘めていた。


「座って」


悠人はバツが悪そうに隣に座った。「一メートル契約」に従い、椅子の距離は正確に80センチを保っている。 「さっきの成績表を見る限り、あなたの論理構造には深刻な空洞があるわ」CCは資料を開き、シャーペンをメスのように精密に動かして複雑な力学の問題を指した。「この問題。大磯浜では手書き地図の比率感覚であんなに正確に解けていたのに、なぜ答案用紙では間違えたの?」


「ええと……試験場には灯台の光もないし、君も隣にいなかったからかな」悠人は冗談で空気を和ませようとした。


CCの手が止まった。彼女はゆっくりと顔を向け、その深い瞳で悠人を真っ直ぐに見つめた。まつ毛が微かに震えるほど、距離が近い。 「悠人。そのような感性的なノイズデータは、補習時間には不要よ」


口ではそう言いながらも、シャーペンを握る彼女の指先は無意識に強張っていた。彼女はバッグから、銀色の目盛りが付いた細長い赤い紐を取り出した。


「それは何?」悠人は呆然とした。


「一メートル基準線よ」 CCは淡々と言い、ナイロン紐の一端を悠人の椅子の肘掛けに、もう一端を自分の手首に結びつけた。紐はピンと張られ、長さは正確に100センチだった。 「今から、この講義資料の最初の五十問を解き終えるまで、あなたはこの半径から離れることを禁じます」


「CC、それはいくら何でも……」 「始めなさい」


交渉の余地は与えられず、彼女はタイマーを作動させた。 それからの三時間は、悠人が入学以来経験した中で最も過酷な「地獄」だった。 CCの指導スタイルは彼女の性格そのものだ。無駄口はなく、絶対的な効率のみ。悠人の論理がわずかに逸れれば、CCの指先がひんやりとした温度を伴って、彼の額を「トン」と軽く叩いた。


「痛っ……」悠人は額をさすりながら、数式だらけの紙を見つめ、小声でこぼした。「健太や小野寺にもこんなに厳しいのかい?」


「彼らは私の『一メートル契約』の対象外よ」 CCはうつむき、ノートに悠人の誤答率を素早く記録しながら、消え入りそうな声で言った。「……あなただけよ。あんな低次元な雑音に、勝手に定義されることを私が許さないのは」


悠人のペンを握る手が止まった。氷のような外見の下で、最もハードコアなやり方で自分を守ろうとしている少女を見つめた。彼女は「頑張れ」とは言わない。「演算を開始して」と言う。彼女は「信じている」とは言わない。「許さない」と言うのだ。


「……分かった」悠人の瞳に決意が宿った。彼は長く止まっていた微積分の問題に再び向き合った。「やってみるよ。あのクソったれなボールを、リングに叩き込むつもりでね」


部室には、シャーペンが紙を擦る音だけが響いていた。 夕陽が二人の影を長く伸ばし、赤いナイロン紐は金色の光の中で、消えることのない誓いのように見えた。しかし、悠人が波に乗ってきたその時、彼のスマホが微かに震えた。


画面には御堂零司からのメッセージが表示されていた。画像が一枚――それは遠征先から送られてきた、悠人のこの二年の成績変動の統計グラフだった。そして、一行のテキストが添えられていた。


『葉山。お前の後ろにある影は、光の速度についていけず、すぐに消えることになるぞ』


天文部の補習が一段落し、夕陽が旧校舎の廊下を温かなオレンジ色に染め上げていた。 赤いナイロン紐は、CCによって丁寧に解かれ、巻き取られた。 悠人は強張った手首を回し、笑って言った。 「今日は助かったよ、CC。君の『バイオレンス補習』のおかげで、脳みそが扇風機より速く回ってる気がする」


「あなたのデータ欠損を補填しただけよ」CCはカバンを背負い、黒いキャップを被り直した。補習中の集中で少し赤らんでいた頬を隠すように。 「行きましょう」


校門で二人は別れ、CCは静かに地下鉄の駅へと消えていった。悠人の目には、彼女がこの街で最も平凡で、かつ最も眩しい風景に見えた。


CCが家のドアを開けると、軽やかなジャズの調べと、キッチンからのスペアリブスープの香りが迎えてくれた。 「ただいま」 「お帰り、凜」


リビングのソファで電子書籍を読んでいた父親が顔を上げ、穏やかな微笑みを浮かべた。「今日の帰宅は予定より十分遅いね。天文部での『アフターサービス』が徹底していたようだ」


エプロン姿の母親が、味見用のスプーンを手にキッチンから現れた。彼女の瞳には厳しい詮索ではなく、すべてを見通した上での優しさが宿っていた。 「答案用紙は見たわよ。相変わらず文句なしの一位ね。でも、あの悠人くんというお友達、今回は順位を落としたのかしら?」母親はCCに手を洗うよう促しながら、世間話のように切り出した。「冬休みに彼の大磯浜への『データ収集』に付き添ったと言っていたわね?」


三人が食卓を囲むと、雰囲気はリラックスしたものになった。 「ええ。彼はあの期間中、多くの非論理的な突発事象を処理していたから」CCはスープを一口啜った。口調は相変わらず淡々としているが、両親の前では明らかにリラックスしていた。「彼の成績低下は一時的なものよ。私が今、修復を手伝っているわ」


「凜、私たちは葉山家の息子さんと付き合うことに反対はしていないよ。彼のお父さんは優秀なエンジニアだったと聞いているしね」 父親が食器を置き、理知的で客観的なトーンで言った。 「私とお母さんも、昔は研究室でのデータ衝突がきっかけで知り合ったんだ。だが分かっておきなさい。理性的な関心と、感性的な依存には境界線があるということを」


母親も同意するように頷き、付け加えた。 「私たちが心配しているのは、凜が今までこんな行動を取ったことがなかったからよ。あまりに心を砕きすぎて、あなたの精神状態に影響が出るのを恐れているの」


「私はただ、観測対象の安定を確保しているだけよ」 CCはうつむき、茶碗の中のご飯を弄んだ。


「そうかい?」 父親は小さく笑った。すべてを察しながらも、あえて踏み込まない笑いだった。 「ならいい。だが、彼が君に大磯浜の思い出を返してくれたお礼に、期末テストが終わったら、もし良ければ彼を家に招待しなさい。私たちの天才娘が『深い交流』を望むほどの男の子に、どんな魅力があるのか見てみたいからね」


CCの動きが止まり、耳の付け根がじわりと熱くなった。 「……彼の成績次第で、決めるわ」

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