22.回帰する日常
東京行きの特快列車がレールの上を疾走し、車窓の風景は澄み切った冬の海から、次第に灰色のコンクリート建築と入り組んだ電柱へと取って代わられていった。
車内では、暖房が規則正しく稼働している。後部座席では小野寺がカメラバッグを抱え、首をかしげて熟睡しており、時折重苦しい鼻息を漏らしていた。咲良は予備のコートを羽織り、座席にうずくまって夢の中へ落ちていた。その頬には、あの映像を見た時の紅潮がまだ微かに残っているようだった。
そして前方の座席では、悠人とCCが隣り合って座っていた。
CCは相変わらず黒のロングダウンコートを着ていた。大磯浜で汚れ、後に悠人が細心の注意を払って洗い、乾かしてくれたあの黒いキャップは、今は彼女の膝の上に静かに置かれている。彼女は窓の外を飛び去る都会のシルエットを見つめていたが、その眼差しはどこか虚ろだった。
「何を考えてるんだ?」 悠人が声を潜め、車内の静寂を破った。
「計算しているの……『日常』の回復率を。」 CCは振り向かなかった。声は相変わらず冷淡だったが、注意深く聞けば、武装された鋭さが影を潜めているのが分かった。 「東京に戻れば、大磯浜の湿度も、土の匂いも、あの光も、すべて脳内の非アクティブ・データになってしまう。……惜しいわね。」
「それはデータじゃない、思い出だよ。」悠人は彼女を見つめた。CCの手が無意識に座席の縁を掴んでおり、指の節が白くなっているのに気づいた。
彼女はまだ、怖がっているのだ。 あの路地裏を離れ、不良たちが逮捕された後であっても、すべてを論理で制御することに慣れた少女にとって、「ロジックが完全に失効した」恐怖は、肌に張り付いた冷や汗のように拭い去れないものだった。
その時、電車が長いトンネルに入り、車内が一瞬にして暗闇に包まれた。突如訪れた暗闇に、CCの肩が激しく震え、呼吸の乱れが一瞬で伝わってきた。
悠人は迷わなかった。彼は手を伸ばし、優しく、けれど力強く、CCの氷のように冷たい手を握りしめた。
CCの体が強張った。彼女は顔を向け、薄暗い車内の光の中で悠人を見つめた。脳内には「パーソナルスペース」や「異性との接触頻度」に関する無数の準則が閃いたが、その瞬間、すべての方程式は電源の落ちたモニターのように、真っ暗なままだった。
「少し眠るといい。」悠人は優しく言い、もう一方の手で彼女の肩を引き寄せ、自分の方へと導いた。「青藤高校に戻れば、また『優しいお人好し』と『氷山の天才』に戻らなきゃいけない。今のうちだけは、ただの『氷室 凜』でいていいんだ。」
CCは0.5秒だけ抗ったが、やがてすべての防御を放棄したかのように、従順に悠人の肩へと頭を預けた。 それは彼女がかつて感じたことのない厚みと温かさだった。悠人のセーターからは、あの古い家のオレンジの皮のような香りが微かに漂い、彼女の狂った心拍を奇跡的に落ち着かせていった。彼女は目を閉じ、悠人の掌の温もりを感じた。それはデータではない、彼女が確認できる唯一の真実だった。
「悠人……」彼女は夢現に呟いた。 「ん?」 「学校に戻っても……私から一メートル以上離れないで。」
それは命令であり、同時に救いを求める言葉でもあった。悠人はその極めて非論理的な言葉を聞き、口角を微かに上げた。彼は暗闇の中で彼女の手を握り直し、静かに応えた。
「御意。」
電車がトンネルを抜け、東京の繁華街のネオンが窓外に炸裂した。二人の影は座席の上で、ぴたりと重なり合っていた。
新学期の初日、月曜日の朝八時十五分。 ガラスカーテンウォールの青藤高校の校舎は、冷え冷えとした朝光を浴びて、どこか落ち着かない輝きを放っていた。ここは正確さと序列が重んじられる場所だが、今、全校が二人を巡って騒ついていた。
悠人とCCは、校門へと続く銀杏並木を並んで歩いていた。二人は平静を保っていたが、周囲の囁き声は毒霧のように四方八方から押し寄せてきた。
「見ろよ、あれが天才の氷室だ……」 理系クラスの男子生徒たちが眼鏡を押し上げ、崇拝に近い偏執的な声を漏らした。「あんな絶対的なロジックを持ち、偏差値を小数点以下まで正確に出す完璧な存在が、どうして葉山悠人みたいな、優しさを売りにして成績も平凡な奴と並んでるんだ? あれは『才能』に対する冒涜だぞ。」 これはこの学校特有の「能力差別」だ。彼らの目には、悠人は社交術だけで生き延びる凡人に過ぎず、学校一の才女の隣に立つ資格などないように映っていた。
しかし反対側では、さらに粘り気のある汚らわしい声が発せられていた。 「ねえ、見て。あの氷室さんの制服、きっちり着てるけど、どこか雰囲気が違う気がしない……?」 着飾った女子生徒たちが耳打ちし、悪意のある笑みを浮かべながら、CCの華奢な腰や脚のラインをなめるように視線で追った。
「週末に大磯浜で泊まったって噂よ。葉山の奴、氷室さんみたいな恋愛経験のないタイプはチョロいって踏んだんじゃない? もう済ませちゃってるかもね……ま、あんな田舎じゃ、男の衝動なんて抑えられないだろうし。」
身体や性に関する卑劣な憶測が、毒針のようにCCの防壁を貫こうとしていた。 その時、生徒会の女子数人が二人の行く手を阻んだ。リーダー格の女子が金縁の眼鏡を押し上げ、挑発的な優越感を浮かべて微笑んだ。 「葉山君、来週の晩餐会のデータだけど……。それとも、今は『他』のデータの相手に忙しくて、学校の事務なんて構ってられないかしら?」 含みのある言葉に、周囲から隠微な笑い声が漏れた。
悠人の顔色が沈んだ。自分がどう卑下されようと構わない。だが、大磯浜でのあの純粋で痛切な救済の時間を、これほどまでに汚らわしい噂話に塗り替えられることだけは許せなかった。彼が反論しようと口を開きかけた時、隣のCCが足を止めた。
CCはゆっくりと、黒いキャップを押し上げた。 影に潜んでいた、凍てついた淵のように深い瞳が、冷徹なメスとなってその女子生徒の瞳を射抜いた。そして、周囲で囁き合っていた群衆を一瞥した。 その眼差しは、怒りではなく、「低次元な冗談」を見る絶対的な蔑視だった。
「悠人。」 CCが口を開いた。声に抑揚はなかったが、抗い難い威厳があった。 「今、脳内で語彙分析を行ったわ。この場にある言論の92%は無意味なノイズ、残りの8%は価値のない悪意ある憶測よ。」
彼女は顔を向け、顔を引きつらせている生徒たちを冷ややかに見据えた。 「『身体的接触』を利益享受の手段と見なすその原始的な進化ロジックは、確かにあなたたちの認知レベルにはお似合いね。」
CCは、一秒見るのも熱量の無駄だと言わんばかりに視線を外した。彼女は悠人の袖を引き、静かだが断固とした声で言った。 「ここのデータ環境は不潔すぎるわ。私の観測を妨げる。行きましょう。」
悠人は一瞬呆気に取られたが、すぐに晴れやかな気分が湧き上がってきた。彼は立ち尽くす女子生徒たちに向かって、いつもの、けれど以前よりも少しだけ皮肉の混じった「お人好し」の微笑みを浮かべた。 「皆さん、おはよう。……では、失礼します。」
悠人は二度と彼女らを見ることなく、CCと共に校舎へと足を踏み入れた。扉が閉まった瞬間、すべての毒言は厚い防弾ガラスの向こう側へと隔絶された。
旧校舎の最上階、天文部の部室。 ここは下の冷徹な現代風とは違い、古い紙と機械油の匂いが漂っていた。ドアを開けた瞬間、押しつぶされそうだった社交の圧力がようやく消え去った。
悠人は窓際へ歩み寄り、カーテンを半分開けて、灰色の都会の地平線を眺めた。校門での余熱――CCを守ろうとして逆に守られてしまった、あの奇妙な感覚がまだ残っていた。 「CC、さっきは門のところで……サンキュ。」 悠人は振り返り、パソコンの前でキーボードを叩く少女を見つめた。 「君の言う通りだ。あんなノイズ、分析する価値もなかったな。」
「干渉を排除しただけよ。」 CCは振り返らずに答え、黒髪が彼女の横顔を隠していた。 「私の演算によれば、一度『絶対的な蔑視』のデータベースを構築しておかないと、低次元な個体は無価値な社交リクエストを生成し続ける。それは熱力学的効率に反するわ。」
悠人は笑った。これこそが、彼の知るCCだ。彼は彼女の隣に歩み寄り、画面上で踊るデータストリームを見つめた。それは大磯浜で収集した「光の屈折角」に関する最終レポートだった。
「大磯浜の件は解決したけど、ここでの噂は……そう簡単には消えないかもな。」悠人の声に不安が混じる。
CCはキーボードを叩く手を止めた。彼女は不意に何かを思い出したように、パソコンの光を瞳に映しながら、探究心に近い冷静さで言った。 「悠人。」 「ん?」 「さっき、門のところで彼らが言っていたことだけど……」
CCはゆっくりと顔を向けた。その表情は、まるで量子力学の難問を尋ねる時のように真剣だった。 「大磯浜で私たちが『済ませた』とか『関係を持った』というのは、どういう意味かしら?」
悠人の笑顔が瞬時に凍りついた。脳内がショートしたかのような、音のない悲鳴が上がる。 「え……あ、あの、それは……その……」 悠人の顔面温度が目に見える速さで上昇していく。彼は口をパクパクさせながら、この天才美少女が理解でき、かつ気まずくならないような語彙を必死に探した。 「それは、大人の……その、極めて親密な……物理的な衝突というか……いや、つまり、すごく個人的で……」
「バンッ!」
悠人が説明に窮して崩壊しかけたその瞬間、天文部の重厚な木の扉が勢いよく開き、その大きな音が彼の命を救った。
「みんな! 戦況は切迫しているが、援軍は到着したぞ!」 小野寺が汗を拭いながら大股で入ってきた。後ろには真剣な表情で眼鏡を直す佐藤クラス委員長が続いている。 「咲良が学校中のコネクションを動かした。地下の部活から女子グループまで全部だ!」 小野寺が興奮気味にスマホを振り回す。 「咲良の厳命だ。『今後、葉山と氷室の不潔な噂を流す奴は、大磯浜平和委員会の公敵と見なす』ってな! 今じゃ掲示板の書き込みはあらかた削除されて、代わりに俺たちの冬休みの『歴史的建造物の実地調査報告』がトップに躍り出てるぜ。」
佐藤委員長が頷き、追い打ちをかけるように言った。 「君たちが大磯浜で何か『非論理的』なエピソードを隠しているとは思うが、クラスの名誉のために、調査報告書はすでに教務課に提出しておいたよ。」
悠人はようやく大きなため息をついた。心臓が口から飛び出しそうだった。 CCは入ってきた二人を見つめ、冷淡にキャップを直した。 「データの修復は予想より早かったわね。佐藤、もしその報告書のサンプル容量が足りないなら、光学フォーカスの物理数式を三つほど補充してあげてもいいけれど?」
「……結構だ、氷室さん。そんなもの、誰も読みたがらないよ。」




