15.境界線上のダイアログ
モニター上のプログレスバーが最後の1%を走りきり、「温かくしなやかに歩んでいこう」という筆跡が鮮明に浮かび上がった瞬間、CCは脳内の張り詰めていた歯車がふっと緩むのを感じた。
それは、彼女が今まで経験したことのない達成感だった。数学の難問を解いた時とは違う。あの「ゴミ」同然だったネガの中に封じられていた魂を、ついに捕まえたのだ。
かつてない興奮に突き動かされ、彼女は壁の時計すら見ることなく、本能的にスマートフォンの画面を叩いた。
『修復完了。わずか0.8秒だけれど、見つけたわ』
送信ボタンを押したその刹那、視線が画面上部の数字をかすめた。04:02。
CCの動作が凍りついた。 しまった。こんな時間に携帯を操作しているのは、全校で私一人しかいないはず。
「……バカね」 彼女は自らを低く罵り、気まずさで頬が熱くなるのを感じた。
メッセージを取り消そうとしたその時、手の中の画面が激しく震えた。悠人が、即座に返信してきたのだ。
『君もまだ起きてたのか? 凜』
メッセージの下には、温かくもどこか困ったような絵文字が添えられていた。
CCはスマートフォンを握り、掃き出し窓のそばへ歩み寄った。 午前四時の街は死に絶えたように静まり返り、遠くの街灯だけが冷たいオレンジ色の光を放っている。
CCはすぐに返信した。
『映像の中にバスケットボールが写っていたわ。お父様は……あの時、あなたにシュートを教えていたの?』
トーク画面の向こうでは、長い間「入力中…」の表示が出たままになっていた。
『たぶんね』 悠人のメッセージが届いた。言葉の端々に、あえて作ったような軽やかさが透けて見える。
『あの頃はまだ小さすぎたから、本当はもう覚えてないんだ。親父って人はさ、お節介で、自分だってシュートが下手だったくせに。そのネガも、たぶん適当に撮っただけだよ。そんなに気にしなくていい』
CCは「本当はもう覚えてない」という一文を見つめた。
今日ネガを修復する中で見た、悠人が鉄箱を捨てようとした時の微細な表情の変化。 それを論理的に分析すれば、この言葉には**「100%の嘘」**というフラグが立つ。
12年近く前の半券があれほど綺麗に保管され、あのネガがゴミ袋の最も深い場所に隠されていた。悠人が「覚えていない」はずがない。
彼はただ、はぐらかしているのだ。優しさという名の厚いタコで、中にある血の滲むような傷口を包み隠している。
以前のCCなら、データを示して反論しただろう。 『あなたの微表情と物品の保存状態から推測して、覚えていない確率は0%よ』と。
しかし今、窓の外で徐々に明るみ始める一筋の曙光を見つめながら、CCはネガにあった言葉を思い出していた。「温かく走れ」と。
『そう』
CCの指が画面に触れ、その二文字だけを打ち込んだ。
彼女はその境界線に留まることを選んだ。 彼の逃避を、そして「父親」という話題に対する自己防衛を察しながら、あえて暴かないことに決めたのだ。
『重要でないのなら、このデータは暫定的に私が保管しておくわ。いつかあなたが「思い出した」時、私に取りに来なさい』
画面の向こうは、しばらく沈黙した。
『ありがとう、凜。午前四時のサプライズ、受け取ったよ』
CCは画面を消した。部屋は再び暗闇に沈む。
眠気はなかった。ただ、地平線が深い紺から淡い紫へと移り変わるのをじっと見つめていた。 午前四時の対話は、何の謎も解き明かさなかった。むしろ、この「遺憾」をより具体的な存在にしただけだ。
彼女は、悠人が嘘をついていると知っている。 そして悠人もまた、自分が嘘をついていることをCCが知っていると気づいている。
この奇妙な、秘密の共有感。 それはどんな精密な論理公式よりも、CCの鼓動を速くさせた。




