14.あなたは午前4時の東京を見たことがあるか?
冬の寒風が校舎の廊下を縦横無尽に吹き抜け、大掃除を終えた備品室はどこか広々として見えた。悠人はずっしりと重い黒いゴミ袋を提げ、廊下の突き当たりにある大型廃棄物集積所へと向かっていた。彼の足取りは重く、一歩一歩がまるで見えない重力と戦っているかのようだった。
彼は混乱に乗じて、あの錆びついた鉄箱を完全に捨ててしまおうと考えていた。修復できないのであれば、いっそゴミ捨て場で塵に帰したほうがいい。そうすれば、自分は「誰にでも優しく、過去を持たない」悠人を演じ続けることができるから。 しかし、小野寺の「金属の衝突音」に対する異常なまでの敏感さがすべてを台無しにした。
「ぬおおお! 悠人殿、待たれよ! 今、ゴミ袋の中から非常に価値のある音が聞こえたでござる!」 小野寺は灰色の旋風のように突進してきた。悠人が反応する前に、彼は袋の中からその鉄箱を引っ張り出した。
「悠人……これ、何?」 後を追ってきた咲良が、悠人の強張った表情を見て、いぶかしげに尋ねた。「あんた……さっき、これを捨てようとしてたの?」
悠人の顔色は、露出オーバーのネガのように真っ白だった。彼は口を開いたが、声にならなかった。その瞬間、彼は死体遺棄を図って現行犯逮捕された犯人のように、小野寺が興奮して鉄箱を開けるのをただ見つめていた。中からは、2008年NBAファイナルの半券が姿を現した。
「悠人殿! これは2008年、レイカーズ対セルティックスのチケットでござる!」小野寺が叫んだ。「ブラックマンバ・コービーの最も凄絶な決勝戦! これを捨てようとするなど、聖なる歴史への冒涜でござる!」
「……親父の形見なんだ」悠人はうなだれ、胸を締め付けるような掠れた声を出した。「でも、これを持っていると、親父が望んだように……強くしなやかに歩んでいくことができない気がして。だから、いっそ消してしまおうと思ったんだ」
傍らで黙って観察していたCCの視線は、チケットの下にある、悠人が捨てようとしていた目立たない一巻のネガに釘付けになっていた。彼女は悠人の瞳の奥にある、破滅に近い哀しみを感じ取った。
「私に預けて。」CCは悠人の前に歩み寄り、氷のように冷たく、しかし強硬な口調で言った。 「凜……いいんだ、本当に。どうせ直せない遺憾だから」 「私には、方法があるわ。」CCは悠人の手から直接鉄箱を奪い取った。 「私のロジックにおいて、回収されていないデータは、消失したことにはならないの」
その晩、CCは冷え切った自宅へ戻り、映像の専門家である叔父を訪ねた。 「叔父様、ラボを貸してほしいの」CCはリビングで、帳票をめくっている男に告げた。 CCの叔父は極めて理性的な映像処理のスペシャリストだ。彼は眼鏡を押し上げ、焦げ付いたネガを一瞥して鼻で笑った。「凜、確率を計算してみろ。このネガの損傷率は90%を超えている。修復に商業的価値などない、時間の無駄だ」
「分かっているわ。」CCは叔父の目を真っ直ぐに見つめた。「でも、0.01%にも満たないデータが必要なの。これは価値のためじゃない。ある人の遺憾を『校正』するためよ」 叔父はしばし沈黙したが、やがて口元に微かな弧を描いた。それは極限への執着を持つ、この一族特有の矜持だった。「……なら、始めるがいい。だが我が家のルールは知っているな、途中で止めることは許さん」
数え切れないほどの失敗とやり直しの末、時間は午前四時を迎えた。 「午前四時か……」CCは窓の外の漆黒の冬の夜を見つめた。
「凜、画面を注視しろ」叔父が低く命じた。 無数の砂嵐とノイズが激しく跳ね上がる中、一枚の極めて不鮮明な映像が強引に「引きずり出された」。
映像の中には、痩せた人影が小さな男の子の手を握っている姿があった。そのバスケットボールの表面には、手書きの文字が微かに刻まれていた。 『たとえ負けたとしても、彼のように温かくしなやかに歩んでいこう』
CCはモニターの前で、自分のプロセッサーが重い轟音を立てるのを感じていた。 悠人がこの鉄箱を捨てようとしたのは、父親の「失敗」と「不在」だけを記憶し、父親が残した「しなやかさ」を忘れてしまったからだ。
「悠人、あなたは一人でこの負け戦を戦っているわけではないのよ」 CCは静寂な午前四時に向かって、静かに呟いた。




