第7話 手続き
(平和だ~)
これが本当に自分がいた時代から続く世界――同じ世界線か思わず疑ってしまうほどメルディは平和な毎日を満喫していた。あまりに穏やか過ぎる。時空転移して今日で一週間。昼食をとりながらワイドショーを見るのが日課になりつつあった。不安に思っていた師匠からのちょっかいはまだない。
(科学ってすごーい!)
テレビでは最新家電の特集をしていた。それから、
(不倫がこんなにも批判される世になったのね~)
芸能人のゴシップの話題に加え慰謝料や仕事の違約金の話もしている。千年前からやってきたメルディからすると、法律も細かく万民に対して平等のように感じられた。科学も法律も、どちらも完璧ではないが便利だ。便利すぎる。魔法の代わりを十分に果たしている……! と、メルディは毎日一人テレビの前で感動していた。
「エレベーターに乗った時も、冷蔵庫見た時も、テレビもスマホも、ぜーんぶ魔道具だと思ったのに」
「魔道具はね~結局発展しなかったんだよ。作れる人がどんどん減ってそのまま」
ユーリはすでに昼食を食べ終え、コーヒーを飲んでいる。
「まぁ、魔道具を作れるのは魔法使いだけだし当たり前か~」
千年前はちょうど魔道具の全盛期。魔道具を作れるのは魔法使いだけだったが、魔道具は誰でも使うことができた。世界から歓迎された技術だったのだ。
「今日はどこ行くんだ?」
エリオの本日の昼食はサンドイッチ。昨日も一昨日もそうだった。メルディは甘いパン。昨日も一昨日も。なんたって美味しい。それから飲み物は紅茶。こちらの方が彼女には馴染みがある。
「博物館!」
「好きだな~」
「なんたって千年の時間を補完しないといけないしね」
本はユーリの家の地下書庫のものを読ませてもらっていた。彼の曽祖父が古書を集める趣味があり、その恩恵を誰よりも受けたのがメルディだった。この一週間でかなりここまでの歴史と今の世の常識を頭に詰め込めた。……と、彼女は思っている。
「国王も領主もいなくて世の中がまわるってのが今だに信じられないな~」
「千年前もいないならいないで、なんとかなったんじゃねぇか」
「そんなことはないでしょ~」
この一週間でわかったこと。エリオは意外と大雑把な性格。最初はツンツンした態度だったが、今はあれこれメルディの面倒を見ていた。
ユーリは穏やかな気質に見せかけて、テンションがあがると周囲が見えなくなる。だが通常モードなら細やかで抜け目がない。おかげで最初の”手続き”はすぐに終わらせることが出来た。メルディがこの時代のこの街で生きていくための手続きだ。
時空転移の翌日、
「領主様に挨拶できるかな?」
朝食の席でメルディの発言の意味を理解するのにユーリもエリオも少し時間を要した。
メルディからすると、魔法使いは貴重な存在だというし、後ろ盾にでもなってもらうのがいいかもしれない、と彼女なりに考えたのだ。なんたって無一文。生きるためにはお金がいる。親切なユーリのお陰でとりあえずは衣食住に困らないが、ずっとこのままではいられない。
「……領主はもういないんだ。代わりに役所に行こう」
ユーリは小さな本サイズの板の上を指で滑らせていた。それがスマートフォンという現代科学の結晶ともいえる機械だとその後すぐにエリオが説明する。だがそのすぐ後、疑うような声で、
「役所? 役所でいいのか?」
「AIに聞いた。で、一応今教授にも聞いてる」
と、ユーリはエリオにメール画面を見せていた。もちろん、メルディにはなんのことだか。
「これがあれば遠くにいる人間に連絡も取れるんだよ」
「……魔道具?」
「いや」
「やっぱりそれも魔法じゃないの!?」
信じられない! と、メルディは思わず声が大きくなっていた。
◇◇◇
「ではこちらにご記入を……」
(声が震えてる)
『戸籍住民課』というプレートが掲げられた窓口に座る男性は、メルディの備考欄に書かれた『見習い魔法使い』という文字を見て一瞬目を見開いた。
細かに記載するところがあるその紙を、ユーリと窓口男性が親切に書き方を指示してくれる。生年月日の記載欄を見て間違いを指摘されたが、
「あってます。あ、誕生日の日付はわかんないんで、だいたいなんですけど」
「まあ細かいことは後で説明しますよ」
ユーリがニコニコ自信たっぷりな態度だったので、彼はそれ以上追及するのをやめた。
「さ、次は市長だね」
「市長ってのが領主の代わり?」
「まぁそんなもんだ。だいたいな」
この国の基準は民主主義。今待っている市長は市民により選出されたこの街の代表だと聞いて、メルディはポカンとした顔になっていた。
魔法使いは居住地の代表と面談の必要があり、有事の際にはここから連絡がくる。ただやはり、基本的には干渉なく自由に生きることを保障されていた。
「さっきの人、私が魔法を使えると知っても淡々と仕事をこなしてたわね。もっと大騒ぎになると思ったのに」
「あくまで一般市民と同じように対応しないといけないんだ。そういう国際法だからね」
数分後、三人は上の階にある来賓室に案内された。皮張りの座り心地のいいソファー、部屋の調度品はシンプルだが、どれもこの街の雰囲気にあっている。壁には誰かの肖像画、それからキルケの街並みの鮮やかな色合いの絵画が飾られていた。
廊下で誰かがバタバタと走っている音が聞こえてくる。そしてそれはメルディ達がいる部屋の前でピタリと止まっり、もったいつけるようなノック音が三人の耳に届いた。
「おはっ……お初にお目にかかります! わ、私はウィリアム・ゴーレフ! よ、よようこそキルケの街へ!」
緊張しているのか、その若い市長は部屋に入るなり上ずった声でメルディに丁寧に頭を下げた。
「お忙しい中突然に申し訳ございません。私、大魔法使いレオナルド・マグヌスの弟子、メルディと申します」
相手は腐っても権力者だと、メルディは深くお辞儀をし、なるべく好印象を持ってもらおうと作り笑顔になっていた。ついでに師匠の名前を出して自分も大きく見せる。
(ゴーレフって……領主の従者が確かそんな名前だったわね)
どことなくこの市長とその従者の瞳が似ている気がする、なんてことを考えながら。
「え!? マグヌスの弟子!?」
市長の方はとんでもないビッグネームが出たことにより、虚を突かれたように素直に驚いている。
メルディは先程受付で、きっちりと魔法が使える証拠は見せてきた。筆記具を使わず字を書いたり、書類に触れることなくヒラヒラとあっちこっちに移動させた。
魔力保有の簡易検査も受けた。手に古ぼけたガラス玉を握ると明るく光り、無事それも証明されている。
その後、先ほどの窓口男性は動揺しながらも市長に連絡を取り、何度も同じことを説明していた。市長も信じられなかっのだろう。まさか魔法使いが現れるなんて。魔法使いに縁のあるこの街ですら、本物の魔法使いを見たことがある人はごくごく僅かなのだ。
「大変失礼ですが、どのような経緯でこの街へ?」
おずおずと尋ねてくる。態度とは別に目は興味津々な光を放っていた。
「えーっとですね……」
「いえ! 今の質問はお忘れください!!」
メルディが何から話そうか考えていると、気分を害したと勘違いしたようだ。慌てて質問を取り消した。
(そんなことで獲って食ったりしないわよ……)
怯えているような、期待しているような、どちらともとれる態度だった。
「少し信じられないかもしれませんが……」
メルディは初めから説明する。師匠のこと、時空転移のこと、それから二人に会ったこと、この時代の事はまだほとんどわかっていないこと。
ゴーレフ市長は聞き上手で、え!? なんと!? そんなことが!? と逐一驚いている。メルディも気持ちよく話せるというものだ。
「……なるほど……ではしばらくこの街に?」
「はい。どの道行くところはありませんし」
「『国際保護法』については……?」
市長の視線はユーリとエリオの方へと向かっていた。
「はい。一応」
メルディの答えを聞いてゴーレフ市長は安堵したように頷き、後ろに控えていた彼より年配の男性からまとまった用紙を受け取った。そしてそれをそのままメルディに渡す。
「急ぎ用意した資料ですのですみません……また改めてお渡しいたしますが、この街で暮らしていただくにあたってのご案内になります」
内容は先ほど聞いた通り、魔法使いのプライバシーを保障するということと、有事の際は市長かその代理から直接魔法使いに連絡が行くということが書かれていた。
「一応、こちらからどうしてものお願いがある場合、居住地の長……この場合は私の名前でご連絡することが許されているのです」
「わかりました」
どうしても困った時に……と、市長は遠慮がちだったが、メルディが嫌がっている様子がないのを見て明らかに表情が明るくなっていた。
「あ、でもメルディ……まだスマホも持ってなくて」
と、気付いたユーリにより、しばらくの連絡先は『フォリア・アンティークス』ということで話がまとまった。
帰り道、役所の建物を出るまでメルディは多くの職員からチラチラと視線を感じるものの、そちらの方を向くとすぐさま顔を背けられる、というのを繰り返した。
「うわっ」
本日二度目、自動ドアにメルディがビックリする。
「魔力がなくても誰でも科学を使えるんだね……『平等』なんだ」
千年後に来てすでに何度か聞いた単語、『平等』という単語がメルディは気になっていた。
「ま、その『科学』の恩恵を受けられるかどうかは金で決まったり、自然環境やらの面でデメリットもあるんだけどな~」
「その辺魔法はエネルギー面を考えるとエコだよね~」
のんびりとした口調だが同時に歯切れの悪い二人の答えを聞いて、残念ながら自分が考えるよりも『科学』にも何かしら問題もあるのだとメルディは感じ取った。
「夕食はピザにしよっか~」
「それ美味しい?」
「ああ、ピザは気に入るんじゃねーかな。多分似た料理はあったと思うぞ」
夕焼けの中、三人で『フォリア・アンティークス』へ当たり前のように歩いていく。それがメルディにはなにより安心できる時間となっていた。




