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第5話 アンティーク店兼下宿

 通りに面した大きなショーウィンドウが、午後の陽射しをやわらかく反射していた。窓ガラスの向こうには大聖堂のステンドグラスに似た配色のランタンや、ガラス製のカラフルな指輪に銀製ペンダント、それに古びた地図や地球儀がディスプレイされている。


 【フォリア・アンティークス】という看板と、【閉店中】という看板の文字が読めたことに、メルディは内心ホッとしていた。文字は千年後も変わらぬままだ。


「オレはこっちに住んでて、下宿はこっちの建物ね。三年前に改修してるから外観のわりに中は綺麗だよ」


 ユーリ・フォリアの実家は母屋と下宿、民泊用の建物が分かれており、渡り廊下で繋がっている。中庭には草木が思い思いに生い茂っていた。現在家主であるユーリの祖父母は旅行中で、手入れが行き届いていないのだとバツが悪そうに説明する。


「観光のハイシーズン前に毎年ね。もうすぐ帰ってくるよ」


 綺麗にしとかなきゃ……と、ユーリは留守を任されたことを今更思い出したようだった。


「メルディはここを使って」


 案内された部屋は建物の二階部分にあり、窓からよく日が入って明るい。壁際にベッド、衣装棚に勉強机に本棚、何もは入っていない戸棚、それからラジエーター(暖房機器)と壁掛けテレビまで設置されてあった。


「Wi-Fiのパスワード……って今はまだいいか……」


 ドキドキと部屋を見て回るメルディをにこやかにユーリは目で追っていた。どうやら気に入ってくれているようだと。


(ものすごく清潔な部屋! なんだか可愛いし……)


 ほんの数時間前まで住んでいた屋敷は大きかったが雑然としており、日々の研究と鍛錬で精一杯なメルディの部屋はほどんど寝るためだけに存在した空間だった。……なにより散らかってもいた。

 部屋の中には扉が別に二つあった。ここはなんだと入り口近くの別の扉を開けたメルディが声を上げる。


「部屋の中にラトリナ!?」

「ラトリナ? ってトイレのことだっけか?」


 エリオは聞き慣れない単語の答え合わせをユーリにしていた。彼は得意気に頷いている。()()()()全般、彼の得意分野であるのだ。


「……このガラスの空間は?」

「あーシャワー室だ。そこの金色の部分ひねったらお湯がでる」

「そんなのが部屋の中にあるの!? これが千年後の普通!?」


 エリオに具体的に教わりながら、恐る恐る蛇口を捻り、シャーッと音を流しながら大量の水を降らすシャワーを見てメルディは目を丸くしていた。


「バスタブはないんだ。湯船に浸かりたかったら隣街がいいよ。()()()()湯治場だったろう?」

「うん。私もたまに行ってた。千年後も湧いてたんだ温泉」


 変わっていないものを聞くと安心するメルディだが、実際のところ鄙びた湯治場から人気高級リゾート地へ様変わりしているとはこの時まだ想像もしていなかったのだった。


「ありがとう……とっても素敵な部屋ね」


 窓の外を眺めなら、メルディは表情筋が休まるのを感じた。気付けば体もガチガチになっていたように感じている。千年の時を越えたのだから当たり前ではあるが。


「そうでしょう~!? 部屋に空きがあるなんてもったいないよね~」

「大学やビジネス街からは遠いからな」

「観光客には立地がいいって喜ばれるんだけど……じーちゃんもばーちゃんもあんまり積極的に入居者募集かけないからな~」


 商売っ気のない彼の祖父母は今では自分達が楽しむために店を開けていた。

 ホッとしたのも束の間、メルディの頭の中は今度は別の不安で充満し始める。これだけ設備の整った部屋となると、家賃はどれほど必要になるか想像もつかなかったのだ。現在、無職で無一文のメルディには支払う術もない。


(気にしないでとは言ってくれてるけど……)


 ここまで親切だと裏があるんじゃないかと思ってしまう自分にメルディは自己嫌悪だ。


(いやいや。こういう時こそ直感とフィーリング!)


 それがあの師匠の教えでもある。わからないこと、すぐに判断がつかないこと。そんな時は直感で生きるのだ。


(この二人の側は心地いいし、この感覚は大事な気がする)


 これほど他人に対してかまえずにいられたことはなかなかない。メルディの毎日はハードだったので、この雰囲気が貴重であることも理解している。


「下宿の人には簡単な食事がついてるんだ! じーちゃん達戻るまで俺が作ってるんだけど、まあまあ美味しいよ。作らない日はあらかじめ教えるからね」

「今の下宿人が俺だけだからこの家主適当にやってんだ」


 揶揄うようなエリオの批判をユーリは笑って誤魔化していた。


「まあまあ。コーヒーだけは毎日用意してるだろ~」

「コーヒー……?」

「飲み物。苦味があるんだが慣れるとハマるんだ」


 この建物のこの部屋にたどり着くまでに散々驚いたというのに、さらに食事関係までいちいちそれが何か確認する必要がありそうだと、メルディは思わず身を仰け反らす。が、胸の中にはワクワクとした好奇心が広がっていっていた。


「まだ驚くことが出てくるの……?」

「千年先の世界を旅してるみたいなもんだろ……まあ楽しめよ」

「うんうん。悪くないと思うよ!」


 そんなメルディを馬鹿にせず、二人丁寧に教えてくれる。


「中庭の向こう側……母屋の一階が食堂だよ。朝は十時くらいまで。出ているもの、好きに食べてね」

「料金はかからねぇから」


 エリオが先回りしてメルディの心配を取り除く。何もかも彼女にはサッパリだ。


「一息入れよう。メルディはお茶の方がいい?」

「……さっき言ってたコーヒー、飲んでみたいな」

「お! いいね!」


 何事もチャレンジだ。食堂へ移動するとすぐにユーリがコーヒーを運んでくる。漂ってきた香りにメルディはなんともいえない表情になっていた。いい匂いなのか、そうでないのか判断しかねている顔だ。


「……にっっっが! え? すっぱ……??」

「だろうな」


 そっと口をつけ、一瞬魔を置いてのこれだ。


「なにこれ!? これにハマるってどういうこと!?」


 コーヒーを一口飲んで急にこの時代の生活に不安がよぎる。今日はメルディの心はアップダウンが激しい。大丈夫と思ったり、やっぱりヤバイと感じたり。


(千年経ってるんだもんなぁ……人類の味覚が大きく変わっちゃうには十分な時間なのかな……食べられるものがあるといいんだけど……)


 カップの中の泥のような水を一点に見つめていた。


「まあまあチョコでも食べて……」


 そう言ってツルツルした可愛らしい包みの中に入ったチョコレートをユーリが勧めるが、メルディは、正直食べたくない……と思っているのがありありとわかる表情になっていた。


「それはたぶん大丈夫だ。お菓子だよお菓子」


 躊躇っているメルディのために毒見のようにユーリとエリオがそれぞれそれを口の中に放り込む。もちろん顔を歪めることはない。満足気だ。


「ご、郷に行っては郷に従え……ね……」


 ゴクリ、と緊張しながらそれを口に含める。そんな覚悟しなくても……とユーリは心配そうだ。


「あっっっま!!!」

「あれ!? 甘すぎた!?」


 喉がやけるような感覚を味わったメルディは、どうしていいかわからずオタオタとしていた。甘みを中和しようと先ほどのコーヒーカップをつかむが、それを飲むのはやめることにしたようだ。すぐに手を離した。


「貴族のお菓子!?」


 以前貴族の屋敷で食べたデザートより甘い。しかもまだまだたっぷりとそのチョコレートは箱の中に入っている。

 この屋敷の快適さといい、ユーリは貴族なのだろうかとメルディは思い始めていた。本人はそんな振る舞い少しもしないし、使用人もいないところを見ると、そうでないのはもちろんわかるのだが、千年後の常識が彼女にはまだ理解できず混乱に陥っていた。


「それならこっちならどう? 甘さ控えめのクッキーなんだけど」


 ユーリはどうしても美味しいという言葉を引き出したいようだ。あれこれと一生懸命にメルディをもてなそうとしている。


「無理はすんな」


 エリオはそのユーリの気持ちを感じ取ったようだ。出された新たなお菓子を前に怯んだメルディにすぐに声をかけていた。

 二人はそれぞれメルディを気遣っている。


「二人ともありがとう。これからお世話になります」


 座ったまま改めてメルディは頭を下げる。この二人に合わなかったら、自分はいったいどうなっていたかと、なかった未来を想像しながら。


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