第20話 キッチンにて
キルケに戻って早々、メルディはローブ作りに取り掛かった。勢いがあるうちに最後の難関に取り組みたかったのだ。
「って、もう夜も遅いよ~?」
「明日からでもいいだろ」
すでに時計は午後十時を回っている。彼らは存分にベルロアの高級リゾートホテルを満喫して帰って来た。ユーリもエリオもあくびを出しながら見習い魔法使いに声をかけるも、
「ちょっとだけ! 朝には綺麗にしてキッチンを返すから!」
メルディはウキウキとしながら銀盆をキッチンの作業台に置き、ニュクスニアの精油を並べている。
「夜干しもしないとだからさ~。明日は新月だし都合もいいんだよね~」
大きな鍋と小さなミルクパンをコンロの上に置きながら、見習い魔法使いは今にも鼻歌を歌いだしそうな表情だった。
「……夜干し?」
染めた布地を乾かすのが目的でないことだけはわかるエリオと、
「あ~~~昼の光を抜くってそういうこと?」
「そうそう」
ローブ作りの予習に余念のないユーリ。すでに文献を読み漁り、製作工程を理解していた。その方が近くで見ていて三倍は面白いはずだからと。
「今日は染色用の核を作るところまでやるよ」
「え? 核……?」
さっそく想定外の単語が出てきて、ユーリは眉をひそめた。
「なんていうのかな……硬い絵の具みたいな……?」
「えーなにそれ!!」
一気に目が覚めたのか、ユーリは身を乗り出して自宅のキッチンを覗き込んだ。
「ていうか、ちゃんとした錬金術の工房とかで作るんじゃなくってもいいの?」
「千年前の錬金工房よりずっと設備がいいわよこのキッチン!」
「そうか……火加減も安定してるしな……」
エリオも背伸びをしながらユーリの隣に立つ。
三年前にリフォームされ、新しい設備が多く導入されたフォリア家のキッチンは、メルディにとっては最新式の錬金工房と同義語だった。さらに清潔で、水だって蛇口から簡単に出てくるし、汚染されていない。
「今日のは準備の準備だけど、ちょっと危ないから結界を張るね」
メルディは天井に指をさし、小さく呟いた。
「エイギス・ドームス」
六角形の薄型ドームがメルディが立つコンロ一帯を取り囲んだ。これで火や魔力が暴走してもある程度抑えられ、さらに錬金術の効果が安定するのだ。
「作業用シールドって感じ?」
「そうだね。ちょっとしたミスで軽い爆発くらい起こるから」
「……大丈夫か?」
今度はエリオの眉がよっていた。無防備なメルディが怪我をしないか心配なのだ。
「もちろん予防はします! プラエシディウム~~~」
自分自身にも防御魔術を施した。
「ノリノリだねぇ」
「へへ! なんかいいものができそうな気がしてさ!」
ネットで購入したニュクスニアの精油、企業提供のアラクネの糸、自分で採取しに行ったエオリウスの枝葉、そして千年前から届いたボタン。
(福利厚生で使わせてもらえる銀盆もあるしね)
とんでもないパワーを秘めたものができそうだと、メルディはどうしてもワクワクが抑えられないのだ。
「じゃあ始めます!」
寝る気などなくなってしまった観客を前に、メルディは逐一説明しながら作業を進めた。自分がきちんと工程を覚えているかという確認にもなる。
「ニュクスニアの精油を弱火にかけて魔術をかけまーす! セパラーレ!」
メルディが用意していた小さなミルクパンの上で、深い青色の精油が更に濃くなっていく。それをじっと見ていた見習い魔法使いは、少し緊張しつつ人差し指を立て、
「セクエレ」
すぐに指先をミルクパンから銀盆へと弧を描いて滑らすと、分離されたニュクスニアの深い深い青が、あとに続いて銀盆の中へと入って行った。
ふぅ、とメルディは小さく息をつく。
(うまくいった……やっぱり小さな呪文の積み重ねって大事だな)
千年後の世界に来て、大技を使うことなく過ごしてきたが、日々の中で小さな魔術を使い続けていた結果、自分でも気づかないうちに緻密な魔力コントロールが必要な魔術すら、危なげなく使いこなせるようになっていたのだ。
結界の外では男子二人がなにも見逃さないよう、瞬きも忘れたように目を見開いている。
「次いくよ!」
観客に声をかけ、指輪から採れたてのエオリウスの枝葉を取り出した。これからこれを細かく刻む。
「セカーレ」
太めの枝がスパンっと気持ちよく半分になる。
(ここが大変なのよね……小さい枝をさらに小さくするの……)
単純に魔術を使って切るのは難しくないのだが、細かくするにはかなりの回数を重ねる必要がある。ここが今日の正念場だとメルディは腕まくりをしたのだが、
「ねぇ。その工程ってミキサー使っちゃだめなの?」
「え!?」
ユーリは作り方を予習済みなだけあって、気になっていたのだ。この作業に魔術が必要かどうか。彼が読んだ書物には魔術で刻むパターンと、ナイフで細かくするパターン、それぞれあった。
「ミキサーって、あの、ジュースとか作る?」
「そうそう。ずっと前に買ってそのまま使ってないやつがあるんだよ。使えるなら使っていいよ」
「けどミキサーであれが刻めるか?」
エリオの言うことは最もだ。ミキサーの刃が枝に負ける可能性は高い。
「強化魔術が使えるわ! そっちの方が早そう!」
フォルティフィカーレと魔術をかけられたそのミキサーは、青白い枝葉をどんどん粉砕していった。
「こんな感じでいいんだねぇ」
予想した錬金術の風景ではない。自分でミキサーを提案しておきながら、ユーリはちょっぴり不思議そうに首を傾げながらミキサーの動きを追っていた。
「研究室で薬品を混ぜてるってイメージは確かにあったな」
どちらかというとお料理風景に近いと二人共思っているのがありありと伝わって来たが、そんなことメルディは少しも気にならない。なんせ今、テンションが上がりに上がっている。
「錬金術はね、最新道具が登場するたびにレシピが練り直されたりしてるから。千年前にミキサーがあったら絶対に必要な道具として名前が上がってるはず!」
「それはなんかちょっとわかる気がする」
自信満々なメルディに真面目な顔をして、うんうん、とエリオは頷いていた。
これは後日談だが、イザベルとノア、両人に、
『キッチンで錬金術!!? ミキサー!!?』
と驚かれたので、やはり現代の魔術師はそれなりに『錬金術の工房』で『それなりの道具』を使って作業をすることが判明した。
粗目に粉砕されたエオリウスの枝葉を大鍋に入れて火にかける。指先で鍋のふちをぐるりとなぞり、メルディは魔力を流し始めた。それに呼応するよう、鍋の水面に青白い波紋が広がっている。
「……熱くないのかなっ?」
邪魔をしないよう小声でユーリがエリオに話しかけていた。
「指先は魔力を纏ってるから熱くないよ~」
ご機嫌なメルディが答えた後、よし、と言って指を離す。
「しばらく煮ながら今のを繰り返すの。時間かかるけど……寝なくて大丈夫?」
「邪魔でなければ見ててもいいか?」
大鍋の中でパチパチと小さな星のような光が舞っているのを、エリオは興味深そうに観察していた。
「どうぞどうぞ」
それからメルディのスマートフォンが十分間隔でアラームを鳴らし、その度に彼女は魔力を大鍋に流し込む。次第に鍋の中の星は力を増していき、メルディのプラエシディウムが蓋の代わりとなっていた。
「よし! いいわね!!」
今日一番の気合の入った声がメルディの口から飛び出した。
パチパチとした光からバチバチとした輝きに変わったところで、
「フィルトラーレ!」
呪文と同時に鍋の中が渦巻き始め、
「セクエレ!」
澄んだ液体がメルディの指に従い銀盆へと向かう。そうして着水すると同時に、
「え!? 固まるの!?」
ユーリが驚きのまま身を乗り出して、簡易結界に頭をぶつけた。
先に入っていたニュクスニアの青と混ざった途端、光が脈打つように動きながら、どんどんと姿を変えていったのだ。
「あとはちょっとだけ混ぜます」
メルディが銀のスプーンで、わずかに残った液体を混ぜ合わせる。
「星雲……夜を閉じ込めたみたいだ」
エリオが小さな声で呟いたのをメルディは聞き漏らさなかった。
「そうだね。師匠も同じこと言ってた。『満天の星を閉じ込められてたらいいものが出来た証拠だ』って」
ガラスのような星状の結晶体が銀盆の上に転がっているのを、メルディは満足そうに見つめていた。




