第18話 温泉地と水着
「ここ? ……え? ここがあの……?」
「ベルロアだよ」
「やっぱり千年間と違うか? その頃から温泉地ではあったんだろ?」
メルディは目の前の景色に呆然としていた。そこには、彼女の記憶にある『のどかな湯治場』など跡形もない。
「ああそっか。ここら辺のホテルは百年くらい前に建ったのを改装してるから……最近だね!」
「最近なのか?」
ユーリの言葉にエリオは呆れたように笑う。
キルケの隣町、ベルロアは昔から湯治場としてこの国では有名だったが、百年程前から本格的に温泉を観光源とした町作りを始め今の形になった。
「これが……ホテル?」
宮殿と思っていたホテルの大きな入り口扉を前に、メルディは中に入るのを躊躇っていた。マンドゴラの受け渡し先として、ノアから指定されたのがこのホテルだったのだ。
「キルケとは宿泊施設も色味が違うよねぇ」
「お得意のネット検索はしなかったのか?」
二人は彼女をホテルの中に入るよう促しながら、それぞれ華やかなホテルの装飾を楽し気に見ていた。
「だって森で寝泊まりする予定だったんだもん……野宿……じゃなくてキャンプ!」
帰りに温泉に入って帰ろう、くらいの気持ちはあったが、
「この町……キルケの新市街地とは違った変化をしてるから……面食らったと言うか……」
二人に付き従ってチェックインの手続きをし、メルディも建物中をキョロキョロとし始める。
キルケにある老舗ホテルには彼女も店の品物を届けに立ち入ったことはあるが、そこは元貴族や商人の館が階層されていためか重厚感もあり、メルディにしてみればまだ馴染みのある空気が漂っていた。
しかしこのホテルは入口の外観こそ百年前の雰囲気を保っているが、中は現代基準。ロビーも広く、天井も高い。一面がガラス張りの窓になっており、外には真っ白なプールが見える。
「湯気が立ってるしあれは温泉だね」
「あれが!?」
メルディはプールの存在は知っている。この夏、興味はあったが利用することはなかった。だから今、彼女は内心ちょっと焦っている。
(水着で温泉に入るの!!?)
メルディは水着が恥ずかしかったのだ。一方、入浴で裸になるのは平気だと感じるので、彼女は自分のちぐはぐな感覚に戸惑っている。
「部屋に温泉ついてるらしいから、気になるならそっち入れよ」
エリオは気を遣ってくれ、
「ラッシュガードも貸してくれるらしいし、どうせなら広々とした温泉を楽しもうよ~!」
ユーリはノリノリだ。
「それにしてもお金があるなぁ~アルティスナ製薬……!」
このホテルはノアの勤め先にあるアルティスナ製薬が運営していた。自然保護区にも近く、広大なホテル内にはエオリウスの木々も茂っており、メルディの希望通りの採取ができそうなのだ。
「野宿どころかこんな貴族みたいなところで寝泊まりなんて……い、いいのかな?」
ベルボーイに案内された部屋は一人で使うにはどう考えても広い。ベッドルームだけでなくリビングスペースまである。
(ミーティングルームってなに……?)
部屋の案内を読みながら、小さな荷物を置き、高価そうなソファに恐る恐る腰を掛けた。
(そういえばこのホテルに泊まるってイザベルさんに言ったら……)
『ずるいっ! あの人! 私は泊まらせてくれないのに!!』
窓の外に見える自然保護区の雪景色を眺めながら、そう憤っていたことを思い出す。ここはどうやら、なかなか泊まるのも難しい人気のホテルのようだ。今もまたメルディのスマホにメッセージが届いたので、言われるがまま写真を取り、送信する。
『次は一緒に行くわよ。もっと映える撮り方教えてあげる』
すぐに返信が届いた。一緒に、という単語にメルディは内心ギョッとしたが、まあそれならそれで……と思うくらいには彼女に親しみがわいている。
ノアがやって来たのは、メルディ達が到着した翌日。ユーリもエリオもメルディの部屋のミーティングルームで彼を待っていた。
「お待たせしてすみません」
ノアは部屋の入口で部下のような男性を待たせ、ミーティングルームに入って来た。やはり顔色は悪いが、表情は以前よりずっと軽いようにメルディには見えた。
「こちらこそ、こんないいところに泊まらせてもらって」
「俺達までありがとうございます」
三人とも立ち上がって礼を言う。全部アルティスナ製薬持ちで小旅行が出来てラッキー! くらいのノリだったのが、思った以上のもてなされ具合に恐縮していたのだ。どの部屋にもミニバーにフルーツの盛り合わせ、バスローブやフカフカのタオルが用意され、なんだか高そうなビンに入ったスキンケア用品も置かれている。
(手ぶらでどうぞってこういうことだったのかぁ)
と、メルディは(ユーリもエリオもだが)、到着してしばらくしてからノアの言葉の意味を理解していた。
「もう存在しないマンドゴラを提供していただくんです。価値を考えればこれでは到底足りないでしょう」
ふふっと若者達の反応を見てノアは小さく笑っていた。
「ではさっそく!」
至れり尽くせりの状況に居たたまれなかったメルディは、早く渡せるものは渡そうとするが、
「いえ。先に契約書の確認を」
「け、契約書……!?」
彼女は千年後の世界の契約書については知っていた。スマートフォンを契約する際にも出て来たし、その他なにかにつけて生活を始める上でそれにサインをしていた。
だがこのマンドゴラは、有効活用できる人に譲るというだけ、というメルディからするとそれほど大した話ではなかったのだ。
(どうぞ~って渡すだけかと……)
ユーリもエリオも少し驚いていたが、マンドゴラの価値を考えれば確かに必要なことだとメルディに声をかける。
「マンドゴラの無償提供に関連することと、マンドゴラの安定生産に成功した場合のメルディさんの取り分について書かれています」
そっとテーブルの上に並べられた紙にはビッシリと細かく文字が書かれていた。
それをメルディが目を細めながら一生懸命読み込もうとしている。
(読めるけど……読めるけど意味が分からない!? これが千年後の言葉!?)
これまで見たどの契約書よりも難解だ。
どうしよう……と、ユーリとエリオに助けを求めようとしたところで、ノアが自身の胸元に揺れるタグに触れた。
「これは後でよくご確認いただくとして、我々魔法使いの契約書をお渡しするとしましょう」
「魔法使いの契約書!!?」
前のめりになったのはもちろんユーリだ。
「はぁ~よかった。助かります」
そう言って、ノアが取り出したもう一枚の用紙を受け取る。ちょっと厚みがあり、用紙の縁には魔法陣が書き込まれていた。
「これね。魔法使い同士が約束を守るためにたまに使ってるんだ。結構便利なの」
「具体的に書かないと効力は弱いんで、上手く使う必要があるんですがね」
ユーリの為に簡単に説明をする。彼もこれを専攻しているだけあって、『魔法使いの契約書』は知っていたが、本物を見たのは初めてなのだ。目を輝かせながらその紙に触れ、
「ああ、ここに教授達がいたらまた泣くだろうなぁ」
「確かに泣きそうだな」
と、エリオと二人でこれから起こるであろう魔法的出来事に期待を膨らませていた。
「メルディさんには、マンドゴラを今回、我々アルティスナ製薬に渡すにあたり一切の金銭的請求をしないということを。私は弊社の代理人として、もしそのマンドゴラの増殖に成功した場合、年に一割メルディさんにお渡しするとお約束をしたします」
「わかりました」
メルディはそう言って、紙の上部に人差し指を置いた。小さな光の文字がそこから飛び出してくる。そして彼女が指を滑らす先にどんどん文字が刻まれていく。
「すごい……」
小さなユーリの声が聞えた。
同様にノアも指先で紙をなぞる。途中一度、胸元を抑え倒れ込んだので、メルディが慌てて痛みを取る治療を行った。
「……この痛みもあとちょっとだと思うと名残惜しいくらいですよ」
最後に二人で『魔法使いの契約書』の両端を持ち、同時に魔力を流し込む。するとその紙はキラキラとした光の破片となって、それぞれの体へと入って行った。
「ああやっぱり。メルディさんは強い力をお持ちのようだ」
「わかるんですか?」
ノアの感心するような声にエリオが反応した。
「ええ。この約束を破れば私は命を落とすかも」
「またまた~うちの師匠達じゃああるまいし」
メルディは照れるように笑った。契約魔法は術者の力に応じて、違反した時の反動が変わる。強い力を持つ魔法使いであればあるほど、それは命に関わるものになってくるのだ。
「では、今度こそ」
「ええ」
メルディの指輪が光り、空中に新鮮なマンドゴラが浮かぶ。ほぼ同時にノアの胸元に揺れるプレートが光り、その中へと入って行った。
「……本当にありがとうございます」
いつもの淡々としたノアの声ではない。喜びをかみしめるように声を絞り出していた。
「師匠の無茶ぶりが役に立ってよかったです」
「ははっ。そうしたら私はやはりマグヌスに感謝しなければ。メルディさんには災難だったかもしれませんが……」
ノアの病気の治療薬を作ったのもマグヌスだった。
(災難……災難なのかな……?)
マンドゴラを取りに行ったら時空転移に巻き込まれ、千年後の世界へ。そして今、何故かリゾート地を思う存分満喫できる立場になっている。
「私はさっそく研究所に戻ります。どうぞごゆっくりお楽しみください」
では、と足取り軽くノアは部屋を出て行った。きっと彼ならすぐに治療薬を完成させるだろうと、メルディも気持ちが明るくなる。
「よーっし! プール……じゃななかった! 外の温泉行こう!」
やはり最初、彼女は自身の水着は恥ずかしかった。しかしそれも徐々に慣れていく。千年の時を超え、とんだ災難に巻き込まれたと思っていたが、今はなんとか暮らしていけているのと同じだ。正直、楽しいと思う日も多い。
この水着を着るという経験は、メルディにとって千年後の世界でも生きていけるのだと知った、小さな自信として記憶に残ったのだった。




