第14話 懐中時計
親切な観光客が名残惜しそうに魔法使いの元を去った後(彼は国際法のことをもちろんよく理解していた)、赤髪の男性が改めてメルディに向き直った。
「はじめましてメルディさん。私はノア・エレオス。お察しの通りセフィラーノ・アルベリーニの弟子の魔法使いです」
落ち着いた表情に落ち着いた声のトーン。同じ弟子でもイザベルとは雰囲気がずいぶん違う。
(とりあえず、勝負しに来たってわけじゃなさそう)
実は気配を感じた瞬間、ちょっとだけ警戒したのだ。イザベルは魔法使いであることに誇りを持っているようだった。だが国際法に守られている《《お陰》》で、世にも珍しい魔法使いであっても滅多にもてはやされることがない。
『あの子の価値は魔法使いってだけではないんだけどなぁ』
セフィラーノは少し罪悪感を滲ませながらそう言っていた。
メルディも一通り挨拶を返す。千年前から時空転移してきたこと。マグヌスの弟子でまだ見習いであること。セフィラーノとイザベルとはもう知り合いなこと。そしてノアの反応を見ながら、気になることをすぐに解消することにした。
「その……私になにか用事があって?」
「はい。あなたが本物の魔法使いなのか確かめたくて」
「……それだけ?」
「いえ」
うっ……と身構えたメルディだったが、ノアは淡々と言葉を続けた。
「フォリア・アンティークスへ行ってみようかと。ちょっと気になるものが……それに久しぶりに長期休暇をとったんで観光でもと」
「え?」
首を傾げるメルディを見てノアはうっすら微笑んだ。
「マグヌス大聖堂のご利益でもと思いまして。こんなこと言ったら先生には怒られそうですが」
首元で揺れる魔石にそっと手を触れながら、後半はニヤリ、とわざとらしく笑ってみせた。
「はっ! そうだ! 病院行ってください! ど、どこか悪い時は病院ですよね!?」
珍しくメルディがわたわたと慌て始めた。彼女の使った痛みを抑える魔術は一時的なものだ。根本的な治療ではない。彼女が長く暮らした時代に病院はなかったが、現代は誰でも怪我や病気になれば病院に行けるということは知っている。
「この病気は治せないんです」
「病院なのに!!?」
「千年前の魔術や錬金術も同じで、病院は万能ではないんですよ」
ノアの目が翳った。だがそれを悟らせないよう、メルディから目を逸らす。
「さあ! 痛みが引いているうちにフォリア・アンティークスに行きましょう! メルディさんの職場見学ですね」
ベンチから立ち上がって彼女に方向を尋ねる。スマホの画面にはマップが表示されていた。
(あれ? なんで私がそこで働いてるって知ってるんだろ? イザベルさんに聞いた?)
先ほどメルディが彼女のことを知っていると伝えた時、彼の眉が少し上がったのだ。それで彼は少なくともイザベルとは関係なくここに来たのだとメルディは予想していたのだが……。
「こっちの道からでいいですか?」
「えーっとこっちの方が近いです」
なんだか流れに飲まれたようにメルディはノアの案内を始めた。セフィラーノ一門からは共通の押しの強さを感じる彼女だが、実はそれほど嫌ではない。どこか自分に親しみを込めてくれるのを感じ取っていたからだ。千年前は、そういったものを感じる機会はほとんどと言っていいほど失われていた。
「ここのカフェはコーヒーが美味しんだそうです。で、あっちのあの赤いバルはチーズと生ハムの種類が豊富ってうちのオーナーが言ってました」
彼の胸元がまた痛み始めていないかチラチラと確認しながら、メルディは観光ガイドを始めていた。得意げな自分の声が耳に届き、少し照れてしまう。ノアの方は観光客らしくキョロキョロと歴史地区の街並みを楽しんでいた。
「なんとなくですが、以前来た時のことを覚えていて……“見習い”の時に先生につれてこられたんですよ」
ちょうどその時、メルディと顔見知りのパン屋が彼女に気づき手を上げて挨拶をし、メルディも返していた。
「そうそう……あそこのパン屋でチョコがたっぷり入ったパンを買ってもらって……」
「あれ、美味しいですよね!」
ノアは穏やかな表情で懐かしさに浸っている。
(本当に仕事を休んで観光に来ただけなんだ)
十人しかいない魔法使いなのに普通の生活を送ってるなんて意外だ、とメルディは思ったが、
(いや、私もわりと普通の生活は送ってるのか)
普通でないことといえば、師匠の墓探しをしていることだけ。それ以外はごくごくありふれた毎日。
途中、錬金術《《グッズ》》の取り扱い専門店の前で彼は立ち止まった。
「ここ、結構本格的なの取り扱ってますよ。……私の知らない道具も結構あるんで、たまに見せてもらってます」
メルディが千年後の世界からいなくなった後も、しばらくは魔術も、錬金術も、魔道具も発展を続けていた。特に錬金術は“錬金薬”と呼ばれるような、特別な薬の研究が活発になっており、数々の治療薬が開発されたが、魔法の衰退と共に姿を消したのだ。材料となる魔草や魔獣の多くが絶滅した、というのもある。
「……私の病気も、千年前なら治ったんですよ」
ショーウインドウに並べられた秤や鍋、小瓶に視線を向けながら、ノアは抑揚なく呟いた。
「治療薬の作り方はわかってるんです。けど、主成分であるマンドゴラはもう絶滅していて……それでも先生と共同で作った薬でなんとか日常生活を送れてるんですが、それもついに効かなくなって……」
不安が溢れ出しているのに、やはりノアの表情は穏やかなままだった。
「……なんの病気か聞いてもいいですか?」
「メルディさんの時代だと、マナ・フレア症というやつです」
マナ・フレア症とは、魔力を使おうとすると身体が過剰反応し全身が痛む病気だ。千年前にもポツポツと同様の症状を訴える魔法使いがいた。この病気はもちろん、魔法使いにのみ発症する。
「ちなみに、その治療薬を開発したのはレオナルド・マグヌスなんですが」
ふっとノアの表情が和らいだ。尊敬の表情が瞳に込められているのがわかる。
「うーん……私が《《こっち》》に来た後ですね、作り上げたの」
「では、マナ・ヒュペルは?」
「ああ、その時はいました! ロヴェナ家のお坊ちゃんがそれで怪我が絶えないってことで急ぎの開発依頼だったんですよねぇ」
「どのくらいの期間で!?」
先ほどまでとは考えられないくらい、ノアの表情が輝いている。だが圧倒されていたメルディにすぐに気がついて、
「失礼」
すっと元通りの落ち着いた表情に一瞬で戻った。
この道中の出来事だけで、メルディはなんとなくノアのことがわかった。彼は錬金術に重きを置く魔法使い。だが、錬金術は魔術よりさらに現代では活躍の場がない分、それを寂しく感じているようだった。
「この外観……やっぱり先生と一緒に来たことがあります。どうやら魔法使いに縁のあるお店のようだ」
ノアは懐かしそうにフォリア・アンティークス全体を見渡した。
店に入ってすぐノアを紹介された(もちろん、魔法使いとして)エリオはもちろんギョッとはしたが、なんとなくこんなことがあることを予想していたのか、
「ごゆっくりどうぞ」
声のトーンを変えなかった。だが、ノアが店内をゆっくり見てまわってる間、
「……大丈夫なのか?」
“心配”と瞳に書いてあるような視線をメルディに向けた。魔法関連のドタバタは彼も経験済みだ。今回もそうなるかもしれない、という心構えはできているようだが、確認くらいはしておきたい。
「たぶん!」
「たぶんか……」
ノアは時間をかけていくつかの品物を手に、ショーケースの側にいたエリオとメルディのところもまで戻ってくる。
「昔欲しかった鉱石標本と攪拌棒……今見てもやっぱり欲しくなるものですね」
静かな口調だが、ノアは目尻が下がっていた。セフィラーノにこの店に連れてこられた日のことを思い出は幸せなものだったようだ。
「あの時は一つだけ、と言われて迷った末に天秤を買ってもらったんですよ」
一番高かったので……と言いながらニヤリと笑ったのを見て、メルディ達はそれが冗談なのだとわかった。
エリオが丁寧に品物を包んでいる間、チラリとノアの視線がショーケースの中に移る。
「……すみません。追加をしてもいいですか?」
「もちろん!」
値段も詳細も何も確認せず、ノアはこれまで通りの調子で、
「この懐中時計をください」
「えっ!!?」
指さしたのはあの百年前の懐中時計。詳細も確認せずに気軽に手を出せるものではない。だからメルディは慌ててエリオに声をかけ、懐中時計の説明を始める。これは確かにとてもいいものだが、高額であること、どういうわけか長年売れていないなんて余計なことまで喋ってしまっていた。
「ご説明ありがとうございます。では購入させてください」
「話聞いてました!?」
「もちろん。この時計、以前来た時にもあったものです。本当はこれが一番欲しかったんですが、先生にいつか自分で買えるようになりなさい、と言われてまして」
だから買うんです。買えるので。今でもやっぱり欲しいですし。
「懐中時計はロマンが詰まっていますね」
と、表情も変えずにノアは財布からクレジットカードを取り出していた。だがメルディが彼の懐事情が大変なことにならないか心配しているのが伝わったのか、
「私、魔法使いではあるんですが、大手製薬企業会社に務めてましてね。たまに贅沢品を買うくらいなら問題ないんです」
またもニヤリと笑ったので、メルディは彼が言ってることが冗談なのか本気なのかわからなくなった。さらに、大手製薬会社とは? と、彼の言わんとすることを考えポカンとしてしまっている。
「大手製薬……まさかアルティスナ製薬ですか?」
気づいたのはエリオ。ノアはフッと柔らかな表情になって頷いた。
「そ、そういうことかぁ」
今日のメルディのモヤモヤが一気に晴れる。
「個人情報をこんなことに使って本当は懲戒ものですけどね。まあ大丈夫でしょう。メルディさんのアラクネ糸の申請の件、正確な確認は私が一番スムーズなのは間違いないですし」
メルディが魔法使いかどうか確かめた理由がこれでようやく理解できた。
「理由が理由ですから、私が弊社の上層部と直接やりとりをしての決裁になります。一般社員に詳細を知られないようするので多少時間がかかるかもしれません。どうかご理解を」
「あ、はい! そんな! 全然! ありがとうございます!」
ぺこぺことメルディは頭を下げた。最難関と思われたアラクネの糸が案外苦労なく手に入ったのだ。正式な手続きを踏んだだけで。
(千年後ってすごいなぁ)
なにより驚いたのは、世にも珍しい魔法使いであっても、魔法使いとして生きていく必要がないということだ。魔法使いであることに価値を、存在意義を置いていないことだ。魔法使いになった先があることだ。
(魔法使いになれたら……杖が手に入ったら……どうしようかなぁ)
実はメルディはちゃんと考えたことがなかった。千年前ならそのまま魔法使いとして生きていただろうが、千年後の世界では……。
「ではまた」
特に余韻を残すこともなく、ノアはさらりと帰っていった。




